日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2018年 02月 01日 ( 1 )


2018年 02月 01日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(25)


【信解品六箇の大事】

 第一信解品の事  
記の六に云く、正法華には信楽品と名く(注)、其の義通ずと雖も楽は解に及ばず、今は領解を明かす、何を以てか楽と云わんや。

 
 御義口伝に云く、法華一部廿八品の題号の中に、信解の題号、此の品に之れ有り。
 一念三千も信の一字より起り、三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり。此の信の字、元品の無明を切る利剣なり。
其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり、解とは智慧の異名なり、信は価の如く解は宝の如し、三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。
智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即(注)なり、信の外に解無く、解の外に信無し、信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。


 今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に、無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。
又云く、信は不変真如の理なり、其の故は、信は知一切法皆是仏法(注)と体達して実相の一理と信ずるなり、解は随縁真如なり自受用智を云うなり。

 
 文句の九に云く、疑い無きを信と曰い、明了なるを解と曰うと。文句の六に云く、中根の人、譬喩を説くを聞きて、初めて疑惑を破して大乗の見道に入る故に、名けて信と為す。進んで大乗の修道に入る故に、名けて解と為す。
 
 記の六に云く、大を以て之に望むるに、乃ち両字を分ちて以て二道に属す、疑を破するが故に信なり、進んで入るを解と名く。
信は二道に通じ、解は唯修に在り、故に修道を解と名くと云うと。

 
注 
正法華には信楽品と名く
 法華経漢訳で全訳が現存するのは次の三本で、正法華はその中の一つ。正法華経は基本的に逐語訳で難解と言われほとんど普及していない。
添品妙法蓮華経は妙法蓮華経の補足版とも言え、各品の題号名も妙法蓮華経の題号を流用している。
 現在実際に僧俗に日常的に読誦されているのは、天才と謳われた鳩摩羅什訳の妙法蓮華経で、法華経と言えば事実上名訳と称えられる妙法蓮華経を示す。
日蓮大聖人は【諫暁八幡抄】で「然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり、其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は、純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり」と断じられておられます。
『正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年)
『妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年)
『添品妙法蓮華経』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多 共訳、601年)

名字即
天台が立てた内在する仏性を悟るに至る六即の一つ。
日蓮大聖人は御義口伝・【寿量品二十七箇の大事】で次のように説かれておられれます。
「六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、その故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり」と。


【御義口伝 上】要点解説(26)に続く





by johsei1129 | 2018-02-01 20:30 | 御義口伝 | Comments(0)