日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 01月 29日 ( 1 )


2018年 01月 29日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(24)

【譬喩品九箇の大事】
第九 今此三界等の事 (注)

文句の五に云く、次に今此三界より下、第二に一行半は上の所見諸衆生為生老病死之所焼煮を頌して第二の所見、火の譬を合す。
唯我一人より下、第三に半偈は上の仏見此已便作是念を頌して、驚入火宅を合するなりと。

 御義口伝に云く、此の文は一念三千(注)の文なり。一念三千の法門は迹門には生陰二千の世間(注)を明し、本門には国土世間を明すなり(注)。
又云く、今此三界の文は国土世間なり、其中衆生の文は、五陰世間なり。而今此処多諸患難唯我一人の文は、衆生世間なり。(注)

又云く、今此三界は法身如来なり、其中衆生悉是吾子は報身如来なり、而今此処等は応身如来なり。(注)



今此三界等の事
妙法蓮華経 譬喩品第三の、次の偈の文
[原文]
如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野 
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 
而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 
[和訳]

如来は已に三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に安らかに処せり。
今、此の三界は、皆、是れ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。
而も今、此の処は、諸の患難多し、唯我れ一人のみ、能く救護を為せり。

三界 
仏教上、欲界・色界・無色界の三つの世界をいうが、法華経譬喩品の『火宅』の比喩では、動物たちが食い合いしている長者の古い大きな屋敷で火災が起こり、そこから長者の子供たちを脱出させる話が説かれている。法華経の中では唯一おどろおどろしい話が続き、これはまるで中東のイスラム過激派組織、アフガンのタリバン等による現在の三界、つまり世界に拡散したテロの状況を彷彿させる。

一念三千
己心の生命を三千に分別した法門。
1.己心に「仏・菩薩・縁覚・声聞(四聖)、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄(六道)」、以上、十界の命を持つ。この十界は互いに具している。
 例えば、仏は仏の境涯を基盤に十界の命を具す。仏と言えど喜びもあれば、苦しみの命も持つ。これは仏界所具の天界、仏界所具の地獄界となり、十界が互いに具して 百界となる。
2.この百界に十如是(如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・如是本末究竟等)を掛け合わせて千如是となる。この千如是は有情・非情にわたり共通に貫かれている法則となる。
3.三世間(衆生世間、五陰(ごおん)世間、国土世間)。 この三世間は、衆生が過去是の善行・悪行による報い(如是報)として受ける境遇の差別・区別(世間)になる。
 衆生世間は自分を取り巻く人々、例えば親兄弟、社会で巡り合う人々の違い、五陰世間は個人が生まれつき持つ要素(色,受,想,行,識))の違い。例えば音感が良い、絵心がある、運動神経が優れているといった事。
国土世間は衆生が済む国土(環境)の違い。日本と言う内乱、テロのない平和な国に生まれる、または内乱・戦争の地に生まれるかの違い。さらに同じ日本でも、のどかな田園で生まれるか、大都会のビル群の中で生まれ育つかの違い。これら三世間の境遇の違いは、過去世の善行、悪行の報いとして定まる。

生陰二千の世間
衆生世間、五陰世間の事で、この二つの世間に千如是を掛け合わせると二千世間となる。

法身如来報身如来応身如来
法・報・応の三身の事。
法華経方便品第二に次の偈がある。
[原文]
仏所成就 第一希有 難解之法 唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相
[和訳]
仏が成就せし所の、第一の希有なる難解の法は、唯、仏と仏のみが諸法の実相を、能く究め尽くせばなり。


 つまり妙法蓮華経・方便品第二では、森羅万象はすべからく諸々の法で貫かれており、その法を究め悟られたのが仏であるとする。
諸法を悟れば衆生は仏になれるので、仏は、三千大千世界(宇宙)に無数に存在し、仏が衆生を導く仏国土も無数に存在するとと説き明かしている。
その諸法を捉えた概念が、本抄の「法・報・応の三身」、又「空仮中の三諦」となる。

 
 一例として「水」で空仮中の三諦を説明すると、水は置かれている環境(縁※主に温度)により、液体の水、固体の氷、気体の水蒸気と変化する。
固体でも雪、あられ、ひょうと変化する。水は見た目の姿が変われど、分子式"H2O"で表される水の本質は共通であり、100度で気体、0度で凍るという性質を持つ。
 しかしこの性質・法則そのものを人の目では見ることはできないが、我々は現象として認識できる。
あくまで譬えであるが、酸素原子一つを法身とするとこの酸素原子は始めもなければ終わりもないつまり無始無終の存在であり、法身も無始無終で輪廻転生する。そしてその酸素原子は水素原子二つと化合することによりH2O、つまり水と変身する。この事象を菩薩行をすることで仏として成道した報身と譬える。一旦仏となると永遠に仏であり続け菩薩以下に後退することはないので、有始無終の存在である。
 さらに仏は時に応じて、実際に仏として誕生する。例えば遥か久遠に成道した釈尊がインド釈迦族の王子として誕生し、その後王宮を後にして修行し仏となる姿を衆生に見せる。この当体が応身である。応身は誕生と言う始めもあり、滅度と言う終わりもある。
 日蓮大聖人は末法と言う時を感じ鎌倉時代の日本・安房の国に誕生し、竜の口の法難で仏となる姿を弟子信徒等に見せ六十一歳で池上宗仲の屋敷で御入滅なされた。
この仏の姿は、H2Oとしての性質を持ち、温度の変化により刻々と雨、雪、氷、水蒸気と姿を変える水に譬えることができよう。
 釈尊は妙法蓮華経・如来寿量品第十六で次のように仏の久遠の成道、その後の無数の仏国での衆生教化を解き明かしている。

[原文]
皆謂今釈迦牟尼仏 出釈氏宮 去伽耶城不遠 坐於道場 得阿耨多羅 三藐三菩提
然善男子 我実成仏已来 無量無辺 百千万億 那由佗劫
<中略>
自従是来 我常在此娑婆世界 説法教化 亦於余処 百千万億 那由佗 阿僧祇国 導利衆生
[和訳]
皆、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出て、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して「阿耨多羅 三藐三菩提」を得たりと謂えり。
然るに善男子よ、我は実に成仏せしより已来、「無量無辺 百千万億 那由佗劫」なり。
<中略>
是より来、我は常に、此の娑婆世界に在りて説法教化し、亦た余処の「百千万億 那由佗 阿僧祇国」に於ても衆生を導びき、利せり。


【御義口伝 上】要点解説(25)に続く







by johsei1129 | 2018-01-29 16:37 | 御義口伝 | Comments(0)