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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 09月 04日 ( 1 )


2016年 09月 04日

【戒体即身成仏義 本文】その二

【戒体即身成仏義 本文】その二
世親菩薩云云はく「欲の無表は表を離れて生ずること無し」文。此の文は必ず表有りて無表色は発すと見えたり。無表色を優婆塞五戒経の説には「譬へば面有り鏡有れば則ち像現有るが如し。是くの如く作に因りて便ち無作有り」云云。此の文に鏡は第六心王なり、面は表色合掌の手なり、像は発する所の無表色なり。又倶舎論に云はく「無表の大種に依止して転ずる時、影の樹に依り光の珠宝に依るが如し」云云。此の文は、表色は樹の如く珠の如し、無表色は影の如く光の如しと見えたり。此等の文を以て表無表・作無作を知るべし。五戒を受持すれば人の影の身に添ふが如く、身を離れずして有るなり。此の身失すれば未来には其の影の如くなる者は遷るべきなり。色界・無色界の定共戒の無表も同じ事なり。又悪を作るも其の悪の作と表とに依りて、地獄・餓鬼・畜生の無作・無表色を発して悪道に堕つるなり。但し小乗教の意は、此の戒体をば尽形寿一業引一生の戒体と申すなり。「形寿を尽くして一業に一生を引く」と申すは、此の身に戒を持ちて、其の戒力に依りて無表色は発す。此の身と命とを捨て尽くして彼の戒体に遷るなり。

 一度人間天上に生ずれば、此の戒体を以て二生三生と生まるゝ事なし。只一生にて其の戒体は失ひぬるなり。譬へば土器を作りて一度使ひて後の用に合はざるが如し。倶舎論に云はく「別解脱の律儀は尽寿と或は昼夜なり」云云。又云はく「一業引一生」云云。此の文に尽寿一生等と云へるは、尽形寿と云ふ事なり。天台大師の御釈に「三蔵尽寿」と釈し給へり。然るに此の戒体をば不可見無対色と申して、凡夫の眼には見えず、但天眼を以て之を見る、定中には心眼を以て之を見ると云へり。然るに私に此の事を勘へたるに、既に優婆塞五戒経に「面有り鏡有れば則ち像現有り」と云ひて、鏡を我が心に譬へ、面を我が表業に譬へ、像をば無表色に譬ふ。既に我が身に五根有り、左右の十指を合すれば五影を生ず。知んぬべし、実に無表色も五根十指の如くなるべきを。又倶舎論に中有を釈するに「同と浄なる天眼とに見らる。業通ありて疾し。根を具す」云云。此の文分明なり。無表色に五根の形有らばこそ、中有の身には五根を具すとは釈すらめ。提謂経の文を見るに、人間の五根・五臓・五体は五戒より生ずと見えたり。乃至依報の国土の五方・五行・五味・五星皆五戒より生ずと説けり。止観弘決に委しく引かれたり。されば戒体は微細の青・黄・赤・白・黒・長・短・方・円の形なり。止観弘決の六に云はく、提謂経の中の如し「木は東方を主る、東方は肝を主る、肝は眼を主る、眼は春を主る、春は生を主る、生在すれば則ち木安し。故に不殺は以て木を防むと云ふ。金は西方を主る、西方は肺を主る、肺は鼻を主る、鼻は秋を主る、秋は収を主る、収蔵すれば則ち金安んず。故に不盗は以て金を防む。水は北方を主る、北方は腎を主る、腎は耳を主る、耳は冬を主る、淫盛んなれば則ち水増す。故に不淫は以て水を禁ず。土は中央を主る、中央は脾を主る、脾は身を主る、土は四季に王たり。

故に提謂経に云はく、不妄語は四時の如しと。身は四根に遍し。妄語又爾なり。諸根に遍して、心に違ひて説くが故に。火は南方を主る、南方は心を主る、心は舌を主る、舌は夏を主る、酒乱るれば火を増す。故に不飲酒を以て火を防む」文。此の文は天台大師提謂経の文を以て釈し給へり。されば我等が見る所の山河・大海・大地・草木・国土は、五根・十指の尽形寿の五戒にてまうけたり。五戒破るれば此の国土次第に衰へ、又重ねて五戒を持たずして、此の身の上に悪業を作れば、五戒の戒体破失して三途に入るべし。是凡夫の戒体なり。声聞・縁覚は、此の表色の身と無表色の戒体を、苦・空・無常・無我と観じて見惑を断ずれば、永く四悪趣を離る。又重ねて此の観を思惟して思惑を断じ、三界の生死を出づ。

 妙楽の釈に云はく「見惑を破るが故に四悪趣を離る。思惑を破るが故に三界の生を離る」文。此の二乗は法華已前の経には、灰身滅智の者、永不成仏と嫌はれしなり。灰身と申すは、十八界の内十界半の色法を断ずるなり。滅智と申すは、七心界半を滅するなり。此の小乗教の習ひは、三界より外に浄土ありと云はず。故に外に生処無し。小乗の菩薩は未だ見思を断ぜず、故に凡夫の如し。仏も見思の惑を断尽して入滅すと習ふが故に、菩薩・仏は凡夫・二乗の所摂なり。此の教の戒に三つあり。欲界の人天に生まるゝ戒をば律儀戒と云ふなり。色界・無色界へ生まるゝ戒をば定共戒と云ふなり。声聞・縁覚の見思断の無漏の智と共に発得する戒をば道共戒と名づく。天台の釈に云はく「今戒と言ふは律儀戒・定共戒・道共戒有り。此の名源三蔵より出でたり。律は是遮止、儀は是形儀なり、能く形上の諸悪を止む、故に称して戒と為す。定は是静摂なり、入定の時自然に調善にして諸悪を防止するなり。道は是能通なり、真を発して已後自づから毀犯なし。初果地を耕すに虫四寸を離る、道共の力なり」文。又表業無けれども無表色を発得する事之有り。光法師云はく「是くの如きの十種の別解脱律儀は、必ず定んで表業に依って発するに非ず」云云。此の文は表業無けれども無表色を発する事ありと見えたり。



【戒体即身成仏義 本文】その三に続く





by johsei1129 | 2016-09-04 21:45 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)