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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 18日 ( 2 )


2016年 05月 18日

Gosho 太田左衛門尉御返事 On the Importance of the “Expedient means” and “Life Span” Chapters

此の方便品と申すは迹門(しゃくもん)の肝心なり。

The “Expedient Means” chapter constitutes the heart of the theoretical teaching.

The Expedient Means chapter of the Lotus Sutra is the heart of the theoretical teaching.

此の(ほん)には仏、(じゅう)(にょ)実相(じっそう)の法門を説きて十界の衆生の成仏を明し給へば、

In this chapter the Buddha expounds the doctrine of the ten factors and the true aspect of all phenomena, and makes clear how living beings in the Ten Worlds can attain Buddhahood.

In this chapter, the Buddha expounds the principle of the true entity of all phenomena based on the ten factors and reveals the attainment of Buddhahood by all people of the ten worlds.

舎利(しゃり)(ほつ)等は此れを聞いて()(みょう)(わく)を断じ、真因の位に(かな)

When Shāriputra hears this, he is able to cut off the illusions about the true nature of existence and attains the level at which he comprehends the true cause for enlightenment.

Hearing this doctrine, Shariputra and other disciples were able to sever the illusion of fundamental darkness and reach the unfailing stage [that assures the attainment of Buddhahood].

のみならず、未来華光(けこう)如来と成りて、成仏の(かく)(げつ)()()世界の(あかつき)の空に(えい)ぜり。

Moreover, he is assured that in the future he will become a Buddha called Flower Glow Thus Come One, a moon of enlightenment shining in the dawn sky of the realm called Free from Stain.

In the case of Shariputra, he also would become a Buddha named Flower Glow Tathagata in a future existence…..

十界(じっかい)の衆生の成仏の始めは是なり。

This represents the first step in the attainment of Buddhahood by the living beings of the Ten Worlds.

This is the first example of the attainment of Buddhahood by all beings of the ten worlds.


本文 Original Text  目次 Index



by johsei1129 | 2016-05-18 22:35 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 18日

 妙法曼荼羅供養抄記 二  此の曼陀羅の功徳広大無辺なる故に、祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来らざる無く、理として顕れざる無し。


一 当抄の題号の事。

  言う所の「妙法」とは、中央に(すで)に妙法蓮華経と題す、故に「妙法曼陀羅」と云うなり。(けだ)し左右の十界は(ただ)是れ中央の南無妙法蓮華経の具徳なるのみ。或は(また)真言宗の(こん)(たい)両部の曼陀羅に(かん)()するが故に「妙法曼陀羅」と云うなり。御書五・十一ウ、三十五・五十ウ、(しき)マンダラの事。

次に「曼陀羅」とは是れ(ぼん)()なり。(ここ)には()徳聚(どくじゅ)(ほん)ずるなり。此れ即ち釈尊因位の万行、果位の万徳の功徳を、一処に(あつ)めて妙法五字に()(そく)するが故なり。
 本尊抄に云く「釈尊の因行(いんぎょう)果徳の二法は妙法蓮華経の五字に()(そく)す我等此の五字を受持すれば()(ねん)()の因果の功徳を(ゆず)り与え給う」等云云。

「釈尊の因行果徳の二法」とは、()し迹門・爾前の意を以て之を論ずれば、教主釈尊は()(じょう)正覚の仏なり。過去の因行を尋ね求むるに、(あるい)(のう)()太子、或は(じゅ)(どう)菩薩、或は尸毘(しび)王、或は(さった)王子。或は(さん)()百劫(ひゃっこう)、或は(どう)()塵劫(じんごう)、或は無量()僧祇(そうぎ)劫、或は初発心時、或は三千塵点(じんてん)の間、七万五千六千七千の仏を供養し(しゃっ)(こう)行満して(いま)教主釈尊と成りたもう。()くの如き因位の諸行、皆(ことごと)く妙法の五字に具足す。故に無量義経に云く「未だ(ろく)()()(みつ)を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜()(ねん)に在前す」云云。

()し果位を以て之を論ずれば、教主釈尊は始成正覚の仏、四十余年の間に四教の色身を示現し、爾前・迹門・涅槃経等を演説し、一切衆生を()(やく)す。所謂(いわゆる)華厳の十方台上()舎那(しゃな)()(ごん)経の三十四心断結成道(じょうどう)、方等・般若(はんにゃ)の千仏等、大日・金剛頂等の千二百年余尊、並びに迹門宝塔品の四土の色身、涅槃経の(わっ)(けん)小身大身乃至八十御入滅、舍利を留めて正像末を()(やく)す。

本門を以て之を談ずれば教主釈尊は五百塵点劫(じんてんごう)已前の仏なり。因位も()くの如し。其れより已来(このかた)十方世界に分身(ふんじん)して一代聖教を演説し、塵数(じんじゅ)の衆生を教化す。()くの如き果位の万徳、皆(ことごと)く妙法の五字に具足す。故に「釈尊の因行(いんぎょう)果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」と云うなり

  問う、因行果徳の二法、妙法の五字に具足する其の(いわれ)は如何。

  答う、此の妙法の(まん)()()は文底下種の大法なり。
 故に宗祖云く三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」等云云。(たと)えば(とう)()一入(ひとしお)
再入(ふたしお)(くれない)の華も、千()・万顆の緑の(このみ)も、皆(ことごと)く種子の中に具足するが如し。因位の万行の(はな)も、果位の万徳の(このみ)も、皆咸く文底(もんてい)下種の妙法の五字に具足するなり。

(なお)尼倶類(にくる)(じゅ)如し、(けだ)しその種子は芥子(けし)の三分の一の如き、而して根茎(こんきょう)()(よう)を生じ、(つい)には大樹と成りて五百乗の車を(いん)(ふう)す。()くの如き大樹の華も菓も、皆咸く種子の中に具足す。華は根に帰り、(だつ)(しゅ)(かえ)是れなり。故に天台云く「百千枝葉同じく一根に(おもむ)くが如し」等云云。 

故に文底下種の大法は要中の要なり。是の故に此の妙法の曼陀羅は、無量無辺の因果の功徳の(あつ)()る故に功徳(くどく)(じゅ)(ほん)ずるなり。故に此の曼陀羅の()(どく)広大無辺なる故に、祈りとして(かな)わざる無く、罪として滅せざる無く、福として(きた)らざる無く、理として顕れざる無し。(しか)れば我等此の曼陀羅を受持すれば、自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。故に「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を(ゆず)り与え給う」等と云うなり。

次に「供養(くよう)」とは、()の四末五十八に云く「(しも)を以て(かみ)(すす)むるを供と為し、()を以て尊を(たす)くるを養と()う」等云云。(もん)の三・三に云く「供養とは三業(さんごう)に通じて皆()れ供養なり。別して論ずれば、其の依報(えほう)を施すを供養と名づく」等云云。

「三業に通じて」とは、心に本尊を信ずるは()(ごう)供養なり。口に妙法を唱うるは()(ごう)供養なり。身に曼陀羅を(らい)するは身業(しんごう)供養なり。「其の依報を施す」とは即ち是れ四事供養なり。謂く、()(ぶく)()()飲食(おんじき)・医薬等なり。

日女抄に云く「御本尊供養の御為に()(もく)五貫・白米(いち)()・菓子其の数送り給び候い(おわ)んぬ」云云。

録内二十三・三十八に「法華経の御本尊供養の御(そう)膳料(ぜんりょう)米一駄蹲鵄(いものかしら)一駄送り()び候ひ畢ぬ」云云。三業の供養肝心なり。

一に糞掃(ふんぞう)()、二に(じょう)乞食(こつじき)、三に一座食、四に(じょう)露座(ろざ)、五に塩及び五味を受けず。


                       つづく

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by johsei1129 | 2016-05-18 22:03 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)