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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 17日 ( 3 )


2016年 05月 17日

Gosho 御義口伝 Orally Transmitted teachings on the Lotus Sutra

在世には五千人・仏の座を立てり

When Shakyamuni Buddha was in the world, five thousand persons rose from their seats and withdrew from the assembly where he was preaching.

During Shakyamuni’s lifetime, there were five thousand people who left their seats while he was preaching.

今末法にては日本国の一切衆生(ことごと)く日蓮が所座を立てり

But now, in the Latter Day of the Law, all the living beings in this land of Japan rise from their seats and withdraw from the place where Nichiren is preaching.

Today, in the age of the Latter Day of the Law, all the people throughout the nation of Japan are leaving their seats while Nichiren is preaching.






by johsei1129 | 2016-05-17 22:39 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 17日

 妙法曼荼羅供養抄記 一 「寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経」とは、即ち是れ文底秘沈の三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。故に「肝要」と云うなり。


 妙法曼荼羅供養抄

 

一 当抄大意の事

 (およ)そ妙法の曼荼羅(まんだら)とは、即ち是れ我等が受持し奉る所の三大秘法の随一、本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智の冥合(みょうごう)、久遠元初の()受用(じゅゆう)報身の当体、事の一念三千、無作(むさ)(ほん)()の妙法蓮華経の御本尊の御事なり。是れ即ち釈尊出世の本懐、多宝証明の本意、分身(ふんじん)舌相(ぜっそう)の本意、本化(ほんげ)()(しゅつ)の本意、天台未弘(みぐ)の大法、蓮祖弘通の骨目(こつもく)、末法の我等が現当二世を成就(じょうじゅ)する秘法の中の大秘法なり。

問う、釈尊出世の本懐は、(ただ)法華経を説いて在世の衆生を脱せしめんが為なりや。

答う、一往は然りと雖も実に本意を尋ぬれば、(ただ)是れ末法今時の我等衆生に本門の本尊を受持せしめんが為なり。故に経に云く「()()き良薬を、今(とど)めて(ここ)()く」と。又云く「悪世末法の時」「(のち)の五百歳中広宣流布」等云云。宗祖、此等の経意に(じゅん)じ、判じて云く「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は()の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」等と云云。  

問う、多宝の証明、分身の舌相も(また)在世の衆生の為なりや。

答う、一往は(しか)りと雖も、実に本意を尋ぬれば、末法今時の衆生に本門の本尊を信受せしめんが為なり。何となれば、在世の衆生は久遠()(らい)調(じょう)()調(じょう)(よう)(ともがら)なり。故に一人に於ても無智の者(これ)無し。(しばら)(しゃ)()(ほつ)・目連等の如きは、現在を以て之を論ずれば智慧第一・神通(じんつう)第一の大聖なり。過去を以て之を論ずれば、(こん)(りゅう)()(せい)(りゅう)()仏なり。未来を以て之を論ずれば、()(こう)如来、光明如来等なり。霊山(りょうぜん)を以て之を論ずれば、三惑頓尽(とんじん)の大菩薩、本を以て之を論ずれば、内秘(ないひ)()(げん)の古菩薩なり。文殊(もんじゅ)()(ろく)等の大菩薩は過去の古仏の現在の応生(おうしょう)なり。梵釈・日月・四天等は、初成()(ぜん)の大聖なり。故に仏の在世には一人に於ても無智の者之無し。誰人の(うたがい)を晴らさんが為に多宝仏の証明を借り、諸仏(した)(いだ)し給わんや。随って経文には「況滅(きょうめつ)度後(どご)」「令法(りょうぼう)()(じゅう)」等云云。此等の経文を以て之を案ずるに、(ひとえ)に末法今時の我等衆生に本門の本尊を信ぜしめんが為なり。 

故に宗祖云く「実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要(かんよう)たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う(こう)長舌(ちょうぜつ)なり」等云云。「寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経」とは、即ち是れ文底秘沈の三大秘法の随一(ずいいち)、本門の本尊の御事なり。故に「肝要」と云うなり。(まさ)に知るべし、肝要とは即ち是れ文底、文底とは即ち是れ肝要なり。本化涌出の本意も()くの如し。
 故に撰時抄に云く「寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布(るふ)せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたる」等云云。

  然れば則ち此の妙法の曼荼羅は、釈迦・多宝・分身・地涌の御本懐、正像未弘(みぐ)の大法、末法流布の大白法、我等衆生の現当二世を成就(じょうじゅ)する秘法の中の大秘法なり。誰か之を信ぜざるべけんや。


                  つづく

日寛上人 文段目次 



by johsei1129 | 2016-05-17 22:18 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 17日

弟子・信徒教化のため法華経の根幹の法門である『十二因縁』、『百界千如三千世間』、『三身(法・報・応)』をわかりやすく講説した書【一念三千理事】

【一念三千理事】
■出筆時期:正嘉二年(1258年) 三十七歳御作
■出筆場所:駿河国・岩本実相寺にてと思われます。
■出筆の経緯:大聖人は正嘉二年二月、駿河国・岩本実相寺に入り大蔵経(釈尊の一切経)を読まれ二年後に立正安国論として結実し北条時頼(最明寺入道)に献じ国家諌暁を果たします。また合わせて法華経の法門を初心の弟子・信徒の教化のため数多く述作されておられます。本書もその一つで、十二因縁、一念三千理事(百界千如三千世間)、三身((法・報・応))の事についてわかりやすく講説されておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

【一念三千理事 本文】

 十二因縁図、

問う流転の十二因縁とは何等ぞや答う一には無明、倶舎に云く「宿惑の位は無明なり」文、無明とは昔愛欲の煩悩起りしを云うなり、男は父に瞋を成して母に愛を起す、女は母に瞋を成して父に愛を起すなり倶舎の第九に見えたり、二には行、倶舎に云く「宿の諸業を行と名く」と文、昔の造業を行とは云うなり業に二有り、一には牽引の業なり我等が正く生を受く可き業を云うなり、二には円満の業なり余の一切の造業なり所謂足を折り手を切る先業を云うなり是は円満の業なり、三には識、倶舎に云く「識とは正く生を結する蘊なり」文、正く母の腹の中に入る時の五蘊なり、五蘊とは色受想行識なり亦五陰とも云うなり、四には名色、倶舎に云く「六処の前は名色なり」文、五には六処、倶舎に云く「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文、六処とは眼耳鼻舌身意の六根出来するを云うなり、六には触、倶舎に云く「三受の因の異なるに於て未だ了知せざるを触と名く」文、

火は熱しとも知らず水は寒しとも知らず刀は人を切る物とも知らざる時なり、七には受、倶舎に云く「婬愛の前に在るは受なり」文、寒熱を知つて未だ婬欲を発さざる時なり、八には愛、倶舎に云く「資具と婬とを貪るは愛なり」文、女人を愛して婬欲等を発すを云うなり、九には取、倶舎に云く「諸の境界を得んが為に?く馳求するを取と名く」文、今世に有る時世間を営みて他人の物を貪り取る時を云うなり、十には有、倶舎に云く「有は謂く正しく能く当有の果を牽く業を造る」文、未来又此くの如く生を受く可き業を造るを有とは云うなり、十一には生、倶舎に云く「当の有を結するを生と名く」文、未来に正く生を受けて母の腹に入る時を云うなり、十二には老死、倶舎に云く「当の受に至るまでは老死なり」文、生老死を受くるを老死憂悲苦悩とは云うなり。

 問う十二因縁を三世両重に分別する方如何、答う無明と行とは過去の二因なり識と名色と六入と触と受とは現在の五果なり愛と取と有とは現在の三因なり生と老死とは未来の両果なり、私の略頌に云く過去の二因[無明行]現在の五果[識名色六入触受]現在の三因[愛取有]未来の両果[生老死]と、問う十二因縁流転の次第如何、答う無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死憂悲苦悩に縁たり、是れ其の生死海に流転する方なり、此くの如くして凡夫とは成るなり、問う還滅の十二因縁の様如何、答う無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す、是れ其の還滅の様なり、仏は還つて煩悩を失つて行く方なり、私に云く中有の人には十二因縁具に之無し又天上にも具には之無く又無色界にも具には之無し。

一念三千理事 

十如是とは如是相は身なり[玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り]文、如是性は心なり[玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り]文、如是体は身と心となり[玄二に云く主質を名けて体となす]文、如是力は身と心となり[止に云く力は堪忍を用となす]文

如是作は身と心となり[止に云く建立を作と名く]文、如是因は心なり[止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす]文、如是縁[止に云く縁は縁業を助くるに由る]文、如是果[止に云く果は剋獲を果と為す]文、如是報[止に云く報は酬因を報と曰う]文、如是本末究竟等[玄二に云く初めの相を本と為し後ちの報を末と為す]文、三種世間とは五陰世間[止に云く十種陰果不同を以ての故に五陰世間と名くるなり]文、衆生世間[止に云く十界の衆生寧ろ異らざるを得る故に衆生世間と名くるなり]文、国土世間[止に云く十種の所居通じて国土世間と称す]文、五陰とは新訳には五蘊と云うなり陰とは聚集の義なり一に色陰五色是なり二に受陰領納是なり三に相陰倶舎に云く想は像を取るを体と為すと文四に行陰造作是行なり五に識陰了別是れ識なり止の五に婆沙を引いて云く識先ず了別し次に受は領納し相は相貌を取り行は違従を起し色は行に由つて感ずと。

 百界千如三千世間の事、

十界互具即百界と成るなり、地獄[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是地下赤鉄]、餓鬼[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是地下]畜生[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是水陸空]修羅[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是海畔底]、人[衆生世間十如是]、五陰世間[十如是]国土世間[十如是須弥四州]、天[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是宮殿]声聞[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是同居土]、縁覚[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是同居土]、菩薩[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是同居方便実報]、仏[衆生世間十如是]五陰世間[十如是]国土世間[十如是寂光土]。

 止観の五に云く「心縁と合すれば則ち三種世間三千の性相皆心より起る」文、弘の五に云く「故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為す、乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に説己心中所行の法門と云う良に以有るなり、請う尋ねて読まん者心に異縁無かれ」文、又云く「妙境の一念三千を明さずんば如何ぞ一に一切を摂ることを識る可けん、三千は一念の無明を出でず是の故に唯苦因苦果のみ有り」文、

又云く「一切の諸業十界百界千如三千世間を出でざるなり」文、籤の二に云く「仮は即ち衆生実は即ち五陰及び国土即ち三世間なり千の法は皆三なり故に三千有り」文、弘の五に云く「一念の心に於て十界に約せざれば事を収むること?からず三諦に約せざれば理を摂ること周からず十如を語らざれば因果備わらず三世間無んば依正尽きず」文

、記の一に云く「若三千に非ざれば摂ること?からず若し円心に非ざれば三千を摂せず」文、玄の二に云く「但衆生法は太だ広く仏法は太だ高し初学に於て難と為し心は則ち易しと為す」文、弘の五に云く「初に華厳を引くことは心の工なる画師の如く種種の五陰を造る一切世界の中に法として造らざること無し、心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり、心仏及び衆生是の三差別無し、若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば当に是くの如く観ずべし、心は諸の如来を造る」と、金?論に云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」

 三身の事、

先ず法身とは大師大経を引いて「一切の世諦は若し如来に於ては即ち是第一義諦なり衆生顛倒して仏法に非ずと謂えり」と釈せり、然れば則ち自他依正魔界仏界染浄因果は異なれども悉く皆諸仏の法身に背く事に非ざれば善星比丘が不信なりしも楞伽王の信心に同じく般若蜜外道が意の邪見なりしも須達長者が正見に異らず、即ち知んぬ此の法身の本は衆生の当体なり、十方諸仏の行願は実に法身を証するなり、次に報身とは大師の云く「法如如の智如如真実の道に乗じ来つて妙覚を成ず智如の理に称う理に従つて如と名け智に従つて来と名く即ち報身如来なり盧舎那と名け此には浄満と翻ず」と釈せり、此れは如如法性の智如如真実の道に乗じて妙覚究竟の理智法界と冥合したる時理を如と名く智は来なり。






by johsei1129 | 2016-05-17 19:55 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)