人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2016年 05月 16日 ( 2 )


2016年 05月 16日

Gosho 御義口伝 Orally Transmitted teachings on the Lotus Sutra

比丘(びく)比丘尼(びくに)の二人は出家なり共に増上慢(ぞうじょうまん)と名く、(きず)()くし徳を()ぐるを以て本とせり、

The two categories of monks and nuns are persons who have left the household life, and both are said to display overbearing arrogance. To conceal their failings and flaunt their virtues is their basic characteristic.

Priests and nuns are two types of believers who have renounced the secular world. Both are called extremely arrogant, and their basic nature is to hide their faults and flaunt their virtues.

()()(そく)は男なり我慢を以て本とせり

 The upāsaka, or laymen, are men, and their basic characteristic is self-esteem.

 Laymen are male lay believers and their basic nature is to be pretentious..

()()()は女人なり()(ざん)を以て本とせり、

 The upāsikā, or laywomen, are women, and their basic characteristic is shamelessness.

 Laywomen are female believers and their basic nature is to be unrepentant.

此の四衆は今日本国に盛んなり

These four kinds of believers are very plentiful in Japan today.

These four kinds of believers exist in great numbers in the country of Japan today.

経には()(しゅ)()()(せん)と有れども日本国に四十九億九万四千八百廿(にじゅう)八人と見えたり、

The sutra says that they “number five thousand.” But in fact in Japan there are 4,994,828 such persons to be seen.

The Lotus Sutra states that five thousand [left the assembly, choosing not to listen to Shakyamuni’s lecture]. However, [the entire population of] 4,994,828 people in Japan [are the same as the arrogant individuals described above].




本文 Original Text  目次 Index



by johsei1129 | 2016-05-16 22:17 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 16日

 如説修行抄筆記 終  本門の本尊を念じ、本門の本尊に向い、口に南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり、身口意の三業に法華を信ずる人なり云云。 


一 (こえ)も惜まず

宝塔品の「大音声(おんじょう)を以って(あまね)く四衆に告げたまわく」の経文に合すべし。

一 天台(てんだい)大師。

摂受(しょうじゅ)の時、折伏有り。折伏の時、摂受有るなり。書三・四十九に云云。

一 ()(おう)の大難

(しゅ)(だつ)相対なり。天台・伝教等は種熟の異なり。本迹・事理の不同なり。

二十八巻に云く「天台・伝教等の御時(おんとき)には理なり、今は()なり、観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門(しゃくもん)の一念三千・此れは本門の一念三千なり」文。

一 (あわれ)なるかな等

此の下は(けっ)(かん)なり。第三巻終、合せ見るべし。

一 (いち)()を過ぐる事

此の下は(かい)(かん)なり。初めは誡門、「(たと)(くび)をば」の下は勧門なり。「ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」とは勧持品の「(まさ)忍辱(にんにく)(よろい)()るべし」及び涌出品の「精進(しょうじん)の鎧を()」の文の意なり。啓運抄三十九・十に云く「瞋恚(しんに)剣をば忍辱の鎧(これ)を防ぐ。()(だい)剣をば精進の剣(これ)を防ぐ」文。

今の御文言の意、当に精進の鎧を()るべし。退する心無く、忍辱の鎧を著れば、恐るる心無ければなり云云。 

一 南無妙法蓮華経。

御書五・二十八、九に云く「南無妙法蓮華経乃至日蓮の御房」。「南無日蓮聖人」等文。人法一()の御本尊の事なり。今の文に「南無妙法蓮華経」は法、「釈迦・多宝」は人なり。「霊山」と云うは娑婆(しゃば)(そく)寂光(じゃっこう)なり。

祖師(そし)御約束の事。

録外五・七に云く「相かまへて相かまへて自他の生死(しょうじ)()らねども御臨終のきざみ中間(ちゅうげん)に日蓮かならず・むか()いにまいり候べし」文。

「手をとり肩に引()けて」等文。此れ法師品の「即ち如来の肩に()(たん)せらるることを()ん」の文の意なり云云。

一 二聖・二天・(じゅう)()刹女(せつにょ)

陀羅尼(だらに)品の(たい)()なり。経に云く「焼香、(ばん)(がい)」文。

一 此の書御身(おんみ)を離さず常に()(らん)有る可く候。

啓蒙・(ごん)抄の意は、(たと)い常に此の書を(くび)にかけ懐中(かいちゅう)したりとも、此の書の(こころ)を忘れて折伏修行せざれば「離さず」に非ずと云云。

私に云く、常に心に折伏を忘れて四()の名言を思わずんば、心が謗法(ほうぼう)なるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠(じゅず)を持ちて本尊に向わずんば、身が謗法に同ずるなり。

故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向い、口に法華本門寿量文底(もんてい)下種・()の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、(しん)()()三業(さんごう)に折伏を行ずる者なり。是れ(すなわ)ち身口意の三業に法華を信ずる人なり云云。
  

見聞(けんもん)(おわ)んぬ。                     

            ()(ざん)二十六世()(ほう) (だい)()日寛 在判




本書目次                       日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-16 21:40 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)