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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 12日 ( 2 )


2016年 05月 12日

Gosho 当体義抄 The Entity of the Mystic Law


 釈尊、五百塵点劫(じんてんごう)当初(そのかみ)、此の妙法の当体蓮華を証得して世世(せせ)番番(ばんばん)成道(じょうどう)を唱え、能証(のうしょう)所証(しょしょう)の本理を顕し給えり

Shakyamuni Buddha became enlightened to this lotus that is the entity of the Mystic Law numberless major world system dust particle kalpas in the past, and in age after age and lifetime after lifetime, declared that he had attained the way and revealed the fundamental principle he had realized with his enlightened wisdom.

Shakyamuni [as the Buddha of the true cause of original enlightenment ] was awakened to the true entity of Myoho-Renge prior to the age of the Five Hundred Dust-particle Kalpas. Then, [as a provisional Buddha] he appeared numerous times in the world to preach the principle of attaining enlightenment. By so doing, he revealed the true principle of objective reality and subjective wisdom.


                       つづく To be continued


本文 Original Text  目次 Index                   



by johsei1129 | 2016-05-12 21:06 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 12日

 如説修行抄筆記 十三 蓮祖は今日(こんにち)出世あれども本師なり。迹に非ず、末に非ず、久遠最初の本師なり。


一 予が云く(しか)らず

此の下は今師の能判なり。中に於て初めに略釈、次に「我等が本師」の下は広釈なり。三に「此等のを()ての明鏡」の下は結帰なり。(ここ)(また)標・釈・結の三段なり。略釈の中に「然らず」とは、総じて諸宗を非する言なり。「金言を()ほるべきなり」とは如説なり。修行は(おのずか)「仏法を修行せん」の言、之を思え。  

一 我等が本師

此れより(しも)は広く如説修行を明かす。初めに如説、次に「末法の今」の下は修行なり。初めの文に(また)二。初めに在世の始終を挙げ、次に「此の経の序分」の下は勝劣(せん)(じん)を判ずるに二。初めに経文を引き、二に「是より已後(いご)」の下は判談なり。初めに経を引く中に、初めに序分を引き、次に「(しか)して後」の下は正宗を引くなり。 

一 本師。

「本」の字、始めなりや旧なりや。玄の七に云く「本師の十妙を(しょう)(とく)す」文。是れは久遠の釈尊を指して「本師」と云うなり。久遠(くおん)本因の釈迦、師匠の有無に異義あり云云。当抄の意も、滅後の宗祖を以て三世に望みて「本師・釈迦」と云うと、本化(ほんげ)上行を以て久遠に望みて「本師・釈迦」と云うと重々の意あるべし。所詮、今日の師は本師に非ず。末師なるが故に迹の師なるが故に云云。(なお)(また)蓮祖は今日出世あれども本師なり。迹に非ず、末に非ず、久遠最初の本師なり。余所(よそ)の如し云云。  

一 施権(せごん)文。

此の「権」とは同体の権を以て衆生に施したもうなり。衆生(これ)を受けて「(おのおの)自ら実と(おも)う」の(しゅう)をなす故に異体の権と云うなり。仏意同体、機情異体なり。  

一 開権(かいごん)文。

此の「権」とは異体の権なり。之を開して妙体と成さしむ故に所開の権は異体の権なり。(しょ)(けん)の権は同体の権なり。

一 廃権(はいごん)文。

「権として論ずべき無し。義は(はい)に当る」故に異体の権を廃するなり。

問う、無量義経に三開会(かいえ)を明かすや。若し明かすと云わば、()の経に従一出多を明かして(いま)だ従多帰一を明かさず、何ぞ開会の義有らんや。若し明かさずと云わば、今の御文言、(こころ)()難し。如何(いかん)

答う、序正相対の時は無量義経に之を明かさず。三開会は是れ正宗(しょうしゅう)の正意なる故なり。是れ(また)経の平面に約するなり。義意に約すれば三開会有り。三開会を説く所の序なる故に、三開会を判じて(さまた)無し。

(また)文に「()(ほう)便力(べんりき)・四十余年・未顕(みけん)真実」と云う。四十余年方便を説くは(あに)施権に非ずや。方便を方便と説くは豈開権に非ずや。開廃()()なる故に廃権を論ずる事(さまた)無し。此れ義分に約するなり。故に今の文に三開会を判じたもうなり。(しか)れども仏、分明(ふんみょう)に三開会を説き分けたまう事なしといえども、菩薩は上智の故に「以方便力」の一言を聞いて、三の開会と(こころ)()、分け給うなり。二乗は()劣るが故に、正宗に至って(つぶさ)に三開会を聞いて得解(とくげ)するなり云云。

一 法華経より外の諸経は一分の得益(とくやく)も・あるまじきに

文の上は権実相対なり。元意は本迹相対なるべし。寿量品に「我実に成仏してより已来(このかた)」文。迹門にて不成仏の法なること、此の経文に分明なり。
 十法界抄に云く「()(じつ)成仏(じょうぶつ)とは寿量品已前を未顕真実と云うに非ずや」文。

私に云く、未顕真実の爾前経を修行して成仏せずんば、未顕真実の迹門なる故に迹門無得道なる義()(じょう)せり。故に文相は権実相対なれども、元意は本迹相対なること、妄失(もうしつ)すべからざる者なり。


           つづく


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                     日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-12 20:53 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)