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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 01日 ( 2 )


2016年 05月 01日

Gosho 日女御前御返事(本尊相貌抄)The modality of the Gohonzon


 妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如(じゅうにょ)乃至十界は必ず(しん)()」云云。

Miao-lostated: “The true aspect invariably manifests in all phenomena, and all phenomena invariably manifest in the ten factors. The ten factors invariably manifest in the Ten Worlds, and the Ten Worlds invariably manifest in life and its environment.”

The Great Teacher Miaole stated,The true entity is always revealed in all phenomena, which invariably possess the ten factors….the ten worlds invariably possess both life and its environment.”

又云く「実相の(じん)()本有(ほんぬ)の妙法蓮華経」等と云云。

It is also stated that the profound principle of the true aspect is the originally inherent Myoho-renge-kyo.

He went on to say,The profound principle of the true entity is Myoho-Renge-Kyo, which is eternal and unchanging.

伝教大師云く「一念三千即()受用(じゅゆう)(しん)・自受用身とは(しゅっ)尊形(そんぎょう)の仏」文。

The Great Teacher Dengyō said, “A single moment of life comprising the three thousand realms is itself the Buddha of limitless joy; this Buddha has forsaken august appearances.”

The GreatTeacher Dengyō stated,Ichinen sanzenthree thousand realms in a single life-momentis the property of perfect wisdom, which is the Buddha himself, who has discarded his magnificently adorned and sublime appearance.

此の故に()()()の大(まん)()()とは名付け奉るなり。

Therefore, this Gohonzon shall be called the great mandala never before known.

This is why the Gohonzon is referred to as the unprecedented, great mandala.


御書本文   目次 Index



by johsei1129 | 2016-05-01 12:25 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 05月 01日

 如説修行抄筆記 二  本化(ほんげ)を召す経文に云く「是の諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、広く此の経を説かん」


  問う、在世・滅後の人法・師弟に約する経疏(きょうしょ)ありや。

  答う、師弟に約する事は、法師(ほっし)品に在世の師弟、滅後の師弟を明かすなり。在滅の弟子を明かす経文に云く「妙法華経の(いち)()一句を聞いて、乃至一念も(ずい)()せん」文。在世下品(げぼん)の師を経文に説いて云く「広く妙法華経を()分別(ふんべつ)するなり」文。(また)滅後下品の師を説いて云く「()(ひそ)かに一人の為にも、法華経を説かん」文。師弟を説く経文を合して(これ)を見れば、師の妙法華経を説くを聞いて、弟子()れを修行する故に、如説修行は弟子に約するなり。

人法に約することは(かみ)に経文を引くが如し。(また)薬草品の「其れ衆生有って、如来の法を聞いて、()しは持ち、読誦し、説の如く修行す」の文、師弟・人法()(そく)せり。謂く「其れ衆生有って」は弟子なり。「如来」は師なり。(また)如来は能説の人なり。「法」は所説の法なり。自行化他に約すること、(しょ)の八に云く「四人は是れ自行、一人は化他なり」文。

  次に別して当抄の意は、(ない)()・大小・本迹・観心の中には本門観心の如説修行なり。在世滅後の中には、別して末法今時の如説修行の師弟・人法(にんぽう)なり。

  問う、其の証文如何(いかん)。((ちな)みに大聖人を以て末法の三徳とする正しき証文の答は観心記に云く、三義あり。)

  答う、一には迹化他方を(とど)めたもう経文の元意(がんい)を、本尊抄に判じて云く「所詮(しょせん)迹化(しゃっけ)他方(たほう)の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず、末法の(はじめ)は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌(じゆ)千界(せんがい)の大菩薩を()して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て(えん)()の衆生に授与せしめ給う」文。

私に云く「末法」等とは滅後第三の末法今時なり。「地涌(じゆ)の菩薩」とは師なり。「閻浮の衆生」とは弟子なり(また)「地涌の菩薩」は人なり。「寿量品の肝心(かんじん)たる妙法」とは本門観心の法なり。故に末法の師弟・人法に約するなり。

  二は本化(ほんげ)()す経文に云く「是の諸人等()く我が滅後に於いて、護持し、読誦(どくじゅ)し、広く此の経を説かん」文。「滅後」とは第三の末法なり。「護持・読誦」とは修行なり。「広く此の経を説かん」とは如説(にょせつ)の大法なり。「是の諸人等」とは()く説き、能く修行するの人なり。(なお)此の経文の元意を御書の五・二十三ウに云く「上行(じょうぎょう)菩薩の大地より出現し(たま)いたりしをば乃至寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し(いだ)されたるとは()らざりしという事なり」文。既に文の中に「末法」という。(また)寿量品の題目は本門観心にして是れ法なり。上行菩薩は(のう)()の人なり。

三は地涌の菩薩の(ほっ)(せい)の文に云く「而も仏に(もう)して(もう)さく。世尊、我等仏の滅後に於て乃至我等も亦(みずか)ら是の(しん)(じょう)の大法を得て、受持読誦し、解説し、書写して、之を供養せんと欲す」文。「我等」とは(にん)なり。「仏の滅後」とは末法なり。「真浄の大法」とは本門の妙法なり。(げん)の七に四徳に約して釈す。四徳即ち妙法なるが故に「(しん)(じょう)の大法」の言は本門の大法なり。「受持」等は修行なり。

 四に別付嘱の文に依るが故に。経に云く「(よう)を以て之を言わば、如来の一切乃至是の故に(なん)(だち)、如来の滅後に於いて()()に一心に受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すべし」文。「四句の要法」は本門寿量の妙法なり。「(なん)(だち)」とは人なり。「滅後」とは末法なり。「一心に受持」等とは修行なり。

其の(ほか)、十神力の元意及び総付嘱の元意は之を略す。八の巻二十五丁、二十六二十四、十神力(じんりき)なり。二十六、二十八此れ総付嘱なり。(まさ)しく当文三十六ヲに云く「末法に入つては日蓮並びに弟子(だん)()等是れなり」文。


          つづく


本書目次                日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-01 09:02 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)