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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 25日 ( 3 )


2016年 04月 25日

Gosho 法華取要抄 Choosing the Heart of the Lotus Sutra

法華取要抄 

Choosing the Heart of the Lotus Sutra

The Essentials of the Lotus Sutra

     
                 文永十一年五月二十四日 五十三歳御作

      May 24, 1274 (Age:53)

問うて云く、如来滅後二千余年・竜樹(りゅうじゅ)(てん)(じん)・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、

Question: In these two thousand and more years since the passing of the Buddha, what are these “secret Laws” that were left unrevealed by Nāgārjuna, Vasubandhu, T’ien-t’ai, and Dengyō?

Question: What are the secret Laws that Nagarjuna, Vasubandhu, Tiantai, and Dengyō could not propagate during the two-thousand-odd years after Shakyamuni Buddha’s passing

答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり

Answer: They are the object of devotion of the essential teaching, the sanctuary of the essential teaching, and the five characters of the daimoku of the essential teaching.

Answer: They are the True Object of Worship of the Essential Teaching, the High Sanctuary of the EssentialTeaching, and the five characters of the Daimoku of the Essential Teaching.


                         つづく Next


御書本文 Original Text  目次 Index



by johsei1129 | 2016-04-25 23:00 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 04月 25日

妙法尼抄記 一  一たび人身を失えば万劫復(かえ)らず


御書三十二(妙法尼御前御返事文段) 八月二十日中日

 

一 人の寿命(いのち)は無常なり

 ()の四・二十七に云く「人の命は無常なり。一息(ひといき)追わざれば千載(せんざい)長く()く」文。前息()(おわ)って後息()がざる故に「追わず」という。或は(まさ)に「(かえ)らず」に作るべし。故に()の四本四十三に此の文を釈して云く「一たび人身を失えば万劫(かえ)らず」云云。止の七に「一息還らざるを即ち命終(みょうじゅう)と名づく」云云。 

一 (いず)(いき)は入る気を待つ事なし

  止の七・四十七に云く「大集に云く『出入の息を寿命と名づく。一息(ひといき)還らざるを即ち命終と名づく』と。比丘(びく)、仏に(もう)して(もうさ)『七日を(たも)たず乃至出入の息を保たず』と。仏(のたまわ)()(かな)、善く無常を修せよ』と」云云。

  ()の七末十五に云く「比丘七日を保たず等とは、大論二十五に『仏、比丘の為に死想の義を説く。比丘有り、仏に(もう)、我能()く死想を修すと。仏言く、汝()(かん)が修すると。答えて言く、七年に過ぎずと。有るが云く、七月を保たずと。有るが云く、七日乃至(ないし)六、五、四、三、二、一日と。仏の言く、是れを放逸(ほういつ)と名づくと。有る比丘(もう)す、(あした)より食に至るを保たずと。有るが云く、食の頃と。仏言く、皆()れ放逸と。有る一比丘言く、出ずる息は入る息を保たずと。仏言く、是れを精進(しょうじん)して善く無常を修すと名づく』と」文。「情なく手折りて()ずる気○又こん春もたのまればこそ」。

   後の世と聞けば遠きに似たれども 知らずや今日も()の日なるらん  恵心  

一 風の前の露(なお)(たとえ)にあらず

   (けん)() (たちま)ち微風に()られ 

(しゃ)()す (せい)(こう)の露一杯云云。 (注:瀉。そそぐ・くだる意。)

   露をなどあだなる物と思いけん 我が身も草にをかぬ(ばか)りぞ  維持(これもち)  


                  つづく
文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-25 22:44 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 04月 25日

日蓮大聖人が弘通初期に法華経を論じられた書【釈迦御所領御書】

【釈迦御所領御書】
■出筆時期:文永初期と思われます。
■出筆場所:鎌倉 草庵と思われます。
■出筆の経緯:本抄はご真筆の断簡が伝えられておりますが前後の文が不明のため、対告衆及び述作年月日の詳細は不明ですが、佐渡流罪以前の文永初期に認められたと思われます。

内容は「さればこの世界は我等が本師釈迦如来の御所領なり」と記され、法華経譬喩品及び寿量品を引用されておられますが、文永初期のこの時期、大聖人はあくまで末法の法華経の行者の立場で、法華経を弟子及び信徒に説いた書であると推察されます。
尚文中「憂婆塞・憂婆夷は仏弟子なれども外道にもにたり」と俗の男女の信徒を出家僧(比丘・比丘尼)よりも軽んじられておられるように思われますが、晩年日興上人に説かれた【御義口伝】では、弟子信徒については全て「日蓮等の類」と記され、差別なき一体のものであることを明確に示しておられます。
■ご真筆:名古屋市 円満寺、及び京都市 妙蓮寺(断簡)所蔵。
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【釈迦御所領御書】

王これをもちいず。仏、地神天神を証人として論じかたせ給ひたりき。さればこの世界は我等が本師釈迦如来の御所領なり。されば四衆ともに仏弟子なれども、憂婆塞・憂婆夷は仏弟子なれども外道にもにたり。
比丘・比丘尼は仏の真子なり。されば大悲経には大梵天・第六天・帝釈・四大天王・人王等を天にめして、三千大千世界を次第にゆづり給て云く、この世界を領知して我真子比丘比丘尼を供養すべき由をとき給ひき。
爾の時、梵天・帝釈等仰いで仰(おお)せに随ひにき。又仏、正直捨方便の法華経の譬喩品に云く、「今此三界皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾子なり」等云云。この文のごとくならば、この三界は皆釈迦如来の御所領なり。
寿量品に云く「我当に此の娑婆世界に在り」等云云。

この文のごとくならば、乃往過去五百塵点劫よりこのかた、此の娑婆世界は釈迦如来の御進退の国土なり。
其の上、仏滅後一百年に阿育大王と申す王をはしき。此の南閻浮提を三度まで僧に付属し給ひき。
又此の南閻浮提の内の大日本国をば、尸那国の南岳大師此の国に上宮太子と生れて、この国の主となり給ひき。しかれば聖徳太子已後の諸王は皆南岳大師の末葉なり。桓武天王已下の諸王は又山王





by johsei1129 | 2016-04-25 22:41 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)