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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 02日 ( 2 )


2016年 04月 02日

Gosho 上野殿御返事(春初御消息)Letter of Early Spring 2


 衣はうすし、食はたえたり。

My clothes are thin, my food supplies exhausted.

The robe I wore was thin and my food was running out.

夜はかん()()鳥にことならず、昼は里へ()でんとおもふ心ひまなし。

Nights I am no better off than the cold-suffering bird, and in the daytime I think constantly of going down to the village.

At night, I shivered in the cold like the legendary Kankucho bird and at dawn, I could think of naught, save descending to the village.

すでに読経のこえ()もたえ観念の心もうすし、今生退転して未来三五を()ん事をなげき候いつるところに、此の御とぶらひに命()きて又もや見参に入り候はんずらんと、うれしく候。

The sound of voices reciting the sutra has ceased, my religious meditations grow thin, and I grieve to think that, should I falter in my practice in this present existence, I must go on suffering for major world system dust particle kalpas or for numberless major world system dust particle kalpas. But with these gifts of yours my life has been restored, and I am delighted to think that we may soon meet in person.

The voice reciting the sutra fell silent and the heart of contemplation weakened. Just when I thought that I could no longer continue my faith in this life, thereby becoming unable to attain Buddhahood for Three Thousand Dust-particle Kalpas or Five Hundred Dust-particle Kalpas, your offerings arrived and revived me. I am grateful that I will be able to meet you again.


                      つづく Next
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by johsei1129 | 2016-04-02 10:09 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 04月 02日

法華取要抄文段 四十  「是好良薬」「今留在此」「汝可取服」は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目を証す


 問う、別して「是好良薬」の一文を引いて第四段の本門の本尊を証する(こころ)は如何。

答う、此の一文、人法体一の本尊を説き顕す故なり。(いわ)く、此の一文に「色香美味」の三徳を具足する故なり。経に云く「此大良薬、色香美味」等云云。天台云く「色は是れ般若(はんにゃ)、香は是れ解脱(げだつ)、味は是れ(ほっ)(しん)なり、三法の不縦(ふじゅう)不横(ふおう)なるを秘密の(ぞう)と名づく。教に依って修行して此の蔵に入ることを()ん」等云云。

()此の法身・般若・解脱の三徳を以て(たい)(しゅう)(ゆう)に約する(とき)は、即ち法の本尊を成ず。妙楽云く「体等の三章は(ただ)是れ三徳」等云云。

当に知るべし「色は是れ般若」とは即ち妙宗なり。「香は是れ解脱」とは即ち妙用(みょうゆう)なり。「味は是れ法身」とは即ち妙体なり。「秘密の蔵」は即ち是れ妙名なり。「()(きょう)修行」は、即ち是れ妙教なり。

宗祖云く「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体(みょうたい)宗用(しゅうゆう)(きょう)の南無妙法蓮華経是なり」云云。(あに)法の本尊に非ずや。

又若し法身・般若・解脱の三徳を以て三身に約する(とき)は、即ち(にん)の本尊なり。

宗祖云く「法身とは法身如来・般若とは報身如来・解脱とは(おう)(じん)如来」等云云。故に知んぬ、色は是れ般若・報身如来、香は是れ解脱・応身如来、味は是れ(ほっ)(しん)即ち法身如来なり。此れは是れ久遠元初の自受用報身、報中論三の無作(むさ)三身なり。境は是れ法身、智は是れ報身、境智合する(とき)は必ず慈悲有り。慈悲は即ち応身なり。

此の無作(むさ)三身とは、御義口伝に云く「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」云云。「秘密の(ぞう)」とは無作三身の宝号なり。故に御義口伝に云く「無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」云云。「()(きょう)修行」とは無作三身の所作(しょさ)なり。故に御義口伝に云く「無作の三身の所作は何物(なにもの)ぞと云う時南無妙法蓮華経なり」等云云。故に此の文に(にん)の本尊是れ分明なり。

当に知るべし、三章三身異なりと雖も其の体は(ただ)是れ三徳なり。(あに)人法体一に非ずや。譬えば()()の造る所の(やく)(どう)の如し。秘すべし、秘すべし云云。

  問う、別して「今留在(こんるざい)()」の文を引いて、第五段の本門の戒壇を証する意は如何。

  答う、此の文は是れ本尊所在の処を明かす故なり。本門の本尊所在の処、(あに)本門の戒壇に非ずや。  

  問う、別して「(にょ)可取服(かしゅぶく)」の文を引いて、第六段の本門の題目を証する意は如何。

  答う、此の文に信行具足して、本門の題目分明(ふんみょう)なるが故なり。所謂(いわゆる)「取」は是れ信心「服」は是れ唱題なり。(およ)そ「取」と言うは手を以て之を取る、故に信心なり。大論の第一に云く「経の中に信を説いて手と()す。手有って宝山に入れば自在に()く取るが如し」文。当に知るべし「取」は是れ(ゆう)なり。「手」は是れ体なり。今、用を挙げて体を(あらわ)。故に「取」の字は是れ信心なり。云う所の「服」とは、口を以て之を服す。故に是れ唱題なり。(さき)(じゅん)じて知るべし。天台云く「修行を服と名づく」等云云。(しか)れば則ち本門の題目(はなは)だ以て分明なり。

  今(しばら)く一文を引いて、前の六段を証し(おわ)んぬ。其の外の諸文、予が依義判文抄の如し。


                     つづく
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by johsei1129 | 2016-04-02 09:43 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)