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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 05日 ( 3 )


2016年 03月 05日

当時高く評価されていた真言を法華経に劣ると論じたことで世間の非難が起きていることを記された書【帰伏正法御書】

【帰伏正法御書】
■出筆時期:文永末期 五十四歳頃の述作と思われます。
■出筆場所:鎌倉若しくは身延山中の草庵と思われます。
■出筆の経緯:本抄はご真筆の断簡が伝えられておりますが、前後が不明なため詳細な内容の把握は困難ですが、大聖人が当時鎌倉仏教諸派の中で高く評価されていた真言を法華経に劣ると論じたため非難されていることを記されておられます。大聖人は佐渡流罪のご赦免以後、真言亡国の思いを強め、弟子・信徒への消息でも真言破析の論を繰り返し認められておられます。本抄もその一つで、某強信徒に宛てられた消息と推察されます。
■ご真筆:京都市 本禅寺(断簡)所蔵。
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【帰伏正法御書 本文】

仏法の中にあらそい出来すべき
たね(種)、国のみだ(乱)る
べきせんへう(先表:予兆)なり。いかなる
聖人の御ことばなりとも 用
べからず。各各日蓮をいやし
みて云く、真言宗と法華経宗
とは叡山・東寺・薗城・奈ら(奈良)、
上一人・下万民一同に帰伏す
る正法なり。始めて勝劣を
立て慈覚・智証・弘法に
そむ(背)かんとをほせあるは、
いかんとがとをぼすか。強敵を




by johsei1129 | 2016-03-05 20:21 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 05日

GOSHO 上野殿御返事(熱原外護事) 1

Protecting the Atsuhara Believers 

The Ruler’s Fate

   弘安三年七月二日 五十九歳御作 

   2 July 1280 (Age:59)

 

()ぬる六月十五日のけさん(見参)悦び入つて候。

I was delighted to see you this past fifteenth day of the sixth month.

I was most delighted to see you on the fifteenth day of the sixth month.

さては・かう()ぬし()等が事いままで()かへをかせ給いて候事ありがたくをぼへ候、

I am extremely grateful that you have provided for the priest of the shrine and his family until now.

I am grateful to you for providing housing for the Shinto priests and other followers up to now.

ただし・ない()ない()は法華経をあだ()ませ給うにては候へども・()へには・()の事によせて事()づけ・()くまるるかのゆへに・あつ()わら()のものに事をよせて・かしこ(彼処)ここ(此処)をも()かれ候こそ候いめれ。

Though in their hearts our enemies detest the Lotus Sutra, for appearance’s sake they make a pretext of something else to the authorities, and in this way express their hatred for us. Thus they made claims against the believers in Atsuhara and have been obstructing us wherever they can.

Since, in their hearts, the authorities harbor a grudge against the Lotus Sutra, they are taking every opportunity to bring forth accusations. This is the reason they are taking advantage of the Atsuhara incident to persecute us wherever they can.

さればとて上に事をよせて・()かれ候はんに・御もち()ゐ候はずは物をぼへぬ人に・ならせ給うべし、

Nevertheless, when the enemies of the sutra make claims to the authorities and cause them to obstruct us, should you simply refuse to go along, you would then be one who is ignorant in the ways of the world.

Nevertheless, if we challenge their false accusations, we will appear to lack good judgement.

()かせ給いて・()しかりぬべきやうにて候わば・しばらく・かう()ぬし()等をば・これ()へとをほ()せ候べし。

If it seems to be unwise to keep the shrine priest at your residence, I wish you would tell him to come here for a short while.

So if it becomes too difficult for you to hide the Shinto priests and the others at your estate, please tell them to come to my residence for a while.

めこ(妻子)なんどは()れに候とも・よも御たづねは候はじ、

Even if his wife and child remain there, it is most unlikely that anyone will search for them.

It is unlikely that their wives and children will be subjected to interrogation even if they continue to stay there.

事のしづ()まるまで、それにをかせ給いて候わば・よろしく候いなんとをぼへ候。

I feel that it is better to have them stay there until things quiet down.

You should probably keep them with you until this matter subsides.


                  つづく Next 
解説  全目次 Index All



by johsei1129 | 2016-03-05 10:38 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 05日

法華取要抄文段 十 嬉しさを昔は袖に包みけり 今宵(こよい)は身にも余りぬるかな


 又(日講の)本迹(ほんじゃく)決疑抄下十四の意に云く「既に当抄の意は、初めに迹門を以て日蓮を正と為すと判じ、寿量の一品二半も亦日蓮が(ため)と釈す。是れ本迹相対して末法の要法と為す。即ち滅後に約して本迹一致なり」等云云。

難じて云く、三大秘法抄に云く「末法に入て爾前迹門は全く出離生死(しょうじ)の法に非ず。(ただ)(もっぱ)ら本門寿量の一品に限りて出離生死の要法なり」云云。此の文に分明なり。何ぞ迹門を以て末法の出離の要法と為さんや。(いわん)薬王品得意抄に云く「分別功徳品より十二品は(しょう)には寿量品を末代の凡夫の行ず可き様を・(ぼう)には方便品等の八品を修行す可き様を説くなり」云云。(すで)に末代に約して明らかに傍正と云う。何ぞ滅後に約して本迹一致と云わんや。彼、深く自立(じりゅう)に執し、()げて()(じょう)()す。悲しいかな、悲しいかな。

什門(じゅうもん)の日悦の義に云く「末法出離の要法、本門寿量の題目を弘通したもうに()悪口(あっく)罵詈(めり)(きゅう)()(とう)(じょう)の難を(こうむ)りたもう事、誠に法師品の況滅(きょうめつ)度後(どご)、勧持品の二十行の()に少しも(たが)わざる事を自讃し給う時、末法の中には日蓮を以て正と為すと判じ給えり。(まった)く迹門を以て末法出離の要法と為したもう故に、日蓮を以て正と為すと判じ給うには(あら)ざるなり」云云。  

難じて云く、(およ)そ当文の大意は、流通は(もと)より滅後の為なり。(しか)るに流通(るつう)の経文、全く日蓮の身に符合す。所以(ゆえ)に今、此の流通段より立ち(かえ)って正宗八品を見るに、是れ(まさ)に日蓮の為なり云云。文意は()くの如し。何ぞ(ただ)流通の経文に差わざることを自讃し給うと云わんや。若し(しか)らずんば「八品に二意有り」及び「逆次に之を読めば」の文は、如何(いかん)之を(しょう)せんや。故に知んぬ、他流の如きは其の流れを(こと)にすと雖も、只是れ五十歩百歩の(ことなり)のみ。

 今(いわ)く、凡そ宗門の綱要、当抄の大意は、(まさ)に本門三箇(さんか)の秘法を以て末法流布の正体、出離生死の要法と為す。然るに方便品等、寿量品等は、()此の文底三箇の秘法を助顕するの功あり。故に並びに「末法今時の日蓮等が為なり」と云うなり。(とも)に文底三箇の秘法を助顕すと雖も、(しか)も傍正有り。(いわ)く、方便品等は遠く之を助顕し、寿量品等は近く之を助顕す。既に遠近(おんごん)親疎(しんそ)の別あり。故に薬王品得意抄に「(しょう)には寿量品」「(ぼう)には方便品」等と云うなり。

当に知るべし、傍正の言に就いて両処水火なり。在滅相対、本迹相対を(ぞう)(らん)すべからず、混合すべからず。故に知んぬ、迹門は若し在世に望むれば是れ正意(しょうい)なりと雖も、若し本門に望むれば(なお)是れ傍意なり。是れ傍意なりと雖も、而も文底を助顕するの功あり。故に在世及び正像に望みて「末法の中には日蓮を以て(しょう)と為す」と判ずるなり。

  問う、文底を助顕するの相は如何(いかん)。 

  答う、此れは是れ宗門の秘事なり。容易(たやす)く君に向って説かず。()し信心無二の志あらば、別に義章あり。重ねて之を示すべし云云。  

一 況滅(きょうめつ)度後(どご)の文是なり

  今、流通の文を引いて正宗(しょうしゅう)の末法を正と()る義を証す。凡そ流通とは、正宗の(ほっ)(すい)を末代に流通す、故に流通と云う。所引の文の意に云く、在世(なお)(しか)なり、況や正像をや。正像尚爾なり、(いか)に況や末法をや云云。故に此の文は滅後を以て正と為し、滅後の中にも末法を正と為すなり。故に伝教大師云く「()を語れば像の終わり末の初め。経に云く、況滅度後」云云。此の文、(あに)末法を正と為すの義に非ずや。

一 (もろもろ)の無智の人有つて等文。

  既に流通の中の文、全く日蓮が身に()う。故に知んぬ、正宗も日蓮を以て正と為すなり。故に此の文を引いて正宗の日蓮を正と()るの義を証す。  

一 喜び身に(あま)るが故に等

  喜びに(また)喜びを重ぬるが故に「喜び身に余る」と云う(いわ)く、流通の経文の御身(おんみ)に符合する上に、(また)正宗八品も日蓮を以て正と為す。(あに)喜びに喜びを重ぬるに非ずや。

古歌に云く「(うれ)しさを昔は(そで)に包みけり 今宵(こよい)は身にも余りぬるかな」。


                      つづく
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by johsei1129 | 2016-03-05 10:08 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)