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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 31日 ( 5 )


2016年 01月 31日

窪尼の粟の早稲米の供養は、釈尊十大弟子の一人で天眼第一と称えられた阿那律に匹敵すると称えた【窪尼御前御返事】

【窪尼御前御返事】
■出筆時期:弘安三年(1280)六月二十七日 五十九歳御。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は日興上人の叔母と伝えられている駿河の窪尼に送られた消息です。
大聖人は、釈尊十大弟子の一人で天眼第一と称えられた阿那律が、過去世に辟支仏(縁覚)に稗飯を供養した功徳で普明如来の記別を受けた謂れを引いて、
この度窪尼が粟の早稲米を法華経に供養されたのは、阿那律と同様に仏になることは間違いないと窪尼の志を称えられておられます。
尚、仏伝では阿那律は釈尊が説法中に居眠りをし叱責されると、それ以降眠りを絶って失明するが天眼を得たと伝えられております。
また阿那律が衣の繕いで針に糸を通すのに苦労し「私を助けて功徳を積み幸福になりたい人はいないだろうか」と考えていた時、
「私が功徳を積ませて頂きましょう」という釈尊の声が聞こえます。
阿那律が恐縮していると釈尊は「私だって功徳を積んで幸福になりたいのだよ」と言ったという。仏教の開祖釈尊の人柄を偲ばせるエピソードです。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵)

【窪尼御前御返事 本文】

仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人は、こくぼん王の御子、いえにたから(宝)を・みてて・おはしき。
のちに仏の御でし(弟子)となりては天眼第一のあなりちとて三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来とならせ給う。
そのさきのよ(前世)の事をたづぬれば、ひえ(稗)のはん(飯)を辟支仏と申す仏の弟子にくやう(供養)せしゆへなり。

いまの比丘尼はあわ(粟)のわさごめ(早稲米)山中にをくりて法華経にくやう(供養)しまいらせ給う。
いかでか仏にならせ給はざるべき、恐恐謹言。
六月二十七日   日 蓮 花 押
くぼの尼御前御返事




by johsei1129 | 2016-01-31 20:35 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 31日

GOSHO 上野殿御返事 Persecution by Swords and Staves 2

天竺(てんじく)嫉妬(しっと)の女人あり。男をにくむ故に家内(やうち)の物をことごとく打ちやぶり、其の上にあまりの(はら)(だち)にや、すが(姿)た・けしき(気色)かわり、眼は日月の光のごとく()がやき、くち()は炎を()くがごとし。

Once in India there was a jealous woman who hated her husband so much that she smashed everything in the house. Her excessive rage completely altered her appearance; her eyes blazed like the sun and moon, and her mouth seemed to belch fire.

Once, there was a jealous woman in India who so hated her husband, that in a fit of anger, she destroyed everything in her home. Fury transformed her appearance, her face twisted with rage, her eyes burned like the sun and the moon, and her mouth seemed to spew flames.

すが(姿)たは青鬼赤鬼のごとくにて年来(としごろ)・男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、両の足にてさむざむ(散散)にふみける。

She looked exactly like a blue or red demon. She seized the fifth scroll of the Lotus Sutra, which her husband had been reciting for some years, and trampled it savagely with both feet.

Her image was exactly like that of a red or blue demon. She seized the fifth scroll of the Lotus Sutra, which for years her husband had recited, and brutally stomped on it with both feet.

()の後命つきて地獄にをつ。両の足ばかり地獄にいらず、獄卒(ごくそつ)(てつ)(じょう)をもつて・()てどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による。

Later she died and fell into hell, all of her except for her feet. Though the wardens of hell tried to force them down by beating them with iron staves, her feet remained outside of hell as a result of the relationship, albeit a reverse one, that they had formed with the Lotus Sutra by trampling on it.

Latter she died and fell into hell, all except for her feet. The guards of hell tried to beat them down with iron staves, but were unable to do so because by trampling upon the Lotus Sutra, her feet had formed a relationship with it, and although it was a reverse relationship, they benefited from it.

今日蓮をにく()む故にせうぼう(少輔房)が第五の巻を取りて予がを()てをうつ。是も逆縁となるべきか。

Shō-bō struck me in the face with the fifth scroll of the Lotus Sutra because he hated me. Thus he too has formed a reverse relationship with this sutra.

Out of his hatred for me, Nichiren, Sho-bo struck me in the face with the fifth scroll of the Lotus Sutra. He too has made a reverse relationship with the sutra.


                 つづく Next
解説  全目次 Index All



by johsei1129 | 2016-01-31 14:30 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 31日

報恩抄文段上 目次

日寛上人 御書講義

   報恩抄文段 上 

序   本抄の大意  
    報恩抄は正しく本門の三大秘法を顕す
    当抄の題号
    当抄の入文  仏弟子、此の大恩を報ぜずんば畜類にも劣るべし


第一段 報恩の道理を明かす

      恥ずべし、恥ずべし、畜生すら恩を報ず


第二段 知恩・報恩を明かす


第三段 一代諸経の勝劣を判ず

     邪法を退治するを報恩と云い、正法を弘通するを謝徳と云う


第四段 在世及び正法時代の値難呵責謗法に四つの所以


第五段 像法正師の弘通と怨嫉

      久遠元初の本仏を貴ばざるは、是れ内智を貴ばざる故なり


六段 真言伝来及び慈覚・智証を責む
    「教を匿さざれ」等の厳命を固く守るべし。命を的に・懸けるべし


第七段 日本に法華の行者なきを明かす

  寛師は大聖人御誕生後、五百年に出現す


        下につづく

 解説    文段 総目次  



by johsei1129 | 2016-01-31 08:12 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 31日

報恩抄文段下 目次

  日寛上人 御書講義

  
   報恩抄文段 下 

  

第八段  日蓮大聖人の諫暁
  善神必ず謗国を捨離する三つの所以
  弘安の役は、是れ蓮祖の勧誡に依って、神明、国を助くるなり

  

第九段  真言の誑惑を破す
  臨終の時、色の黒きは心、地獄の黒色を画くが故なり
  承久の乱の大旨


第十段  日蓮大聖人の知恩報恩
  孝経に云く「三たび諫めて納れずんば、身を奉じて以て退け」


第十一段 正法を弘通するは謝徳なるを明かす
 
初めに正義を明かすとは

  初めに名通の相を明かすとは

  次に義別の相を明かすとは

  第二に功帰とは又二意を含む。所謂本果本因なり 

  今先聖の未弘に対して、蓮祖弘通の所以を明かすべし

  初めに他方・本化の前三後三とは

  次に迹化・本化の前三後三とは
宗門八箇の法義とは

  三箇の秘法開合の事

  此の一大秘法を開すれば即ち三箇の秘法なり    

  事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり


第十二段  総括 

  三箇の秘法広布の功徳は又参詣の人々の御身にあつまるべきなり


             上にもどる


 御書 本文       御書文段 全目次



by johsei1129 | 2016-01-31 08:11 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 31日

報恩抄文段 下終 三箇の秘法広布の功徳は道善房の御身に帰すべし。若し爾らば、此等の功徳は又参詣の人々の御身にあつまるべきなり。


 第十二段 総 括

一 花は根にかへり

 清原(きよはら)(しげ)(ふじ)の詩に云く「花は根に帰ることを()ゆれども、悔ゆるに(やく)無けん」文。白花(びゃっか)(こう)()を点ずれば、来春は必ず其の花、処々に紅紫を点ず云云。()し紅紫を(もっ)(いろど)(とき)は、来春は其の花、紅紫の色に咲くなりと云云。(これ)を思え。

一 真味(しんみ)は土にとどまる。(注:平成新編は「真味」、御書全集は「(このみ)」と拝する)

 涅槃(ねはん)経第八に云く「薬の真味(とどま)りて山に()り」等云云。「花は根に」より下は一部の総括、御廻向(えこう)の文なり。三箇の秘法広布の功徳は(どう)善房(ぜんぼう)の御身に帰すべしと云云。

  第一に報恩抄全部講談の所以(ゆえん)、講談に三意有り

 一には、仏の本懐に(かな)わんが(ため)なり。筆削(ひっさく)一・三十三に云く「仏、教法を(とど)むる意は伝弘(でんぐ)して展転(てんでん)し、人を()して大果に至らしむるに()り。()伝演(でんえん)せざれば、仏の本懐に(さから)う」等云云。故に知んぬ、若し伝演する(とき)は、仏の本懐に称うことを。

  二には、()(こころざし)(まん)ぜんが為の故に。文の十・二二十八に云く「(ただ)願くは、大法をして(おお)()(せん)することを()せしめん乃至師の志なり」取意。一切(いっさい)の師、弟子を養育する其の志は大法をして弘宣することを()せしめんが為なり。我が師、別して此の志深きが故に云云。

  三には、報恩を(きわ)むるに()せんが為なり。大論に云く「仮使(たとい)頂戴(ちょうだい)して塵劫(じんこう)()、身を床座(しょうざ)()し、三千に(へん)ずるとも、若し法を伝えて衆生(しゅじょう)を利せざれば、畢竟(ひっきょう)()く恩を報ずること無き者なり」文。師匠(ししょう)を頂戴して塵劫を()、釈迦菩薩の如く身を床座とするとも、畢竟、恩を報ずること無し。()し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり。

第二に自我偈(じがげ)一万三千巻読誦(どくじゅ)の所以、自我偈を誦するに()いて亦三意あり。(なお)是れ助行なるのみ。

  一には、別して自我偈の功徳広大なるが故に。

法蓮抄十五・二十一に云く「自我偈の功徳は唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)乃能(ないのう)究尽(くじん)なるべし、()れ法華経は一代聖教(しょうぎょう)骨髄(こつずい)なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品(じゅりょうほん)を命とし十方(じっぽう)の菩薩も自我偈を眼目(げんもく)とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別(ふんべつ)功徳品(くどくほん)()せられたり、()の自我偈を聴聞(ちょうもん)して仏になりたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵(みじん)の数をこそ・あげて候へ、()(うえ)薬王品(やくおうほん)已下(いげ)の六品得道のもの自我偈(じがげ)余残(よざん)なり」等云云。

  二には、十方の諸仏は自我偈を()として仏に成り給うが故に。

二十二・二十六に云く「されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う、世界の人の父母の如し乃至之を(もっ)思うに田村(とし)(ひと)なんどの様なる(つわもの)を三千人()みたらん女人あるべし、()の女人を(かたき)とせん人は此の三千人の将軍をか()きに・うくるにあらずや、法華経の自我偈を(たも)つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし」文。

()()の女人一人を供養せば、三千人の将軍(みな)悦ぶ。此の自我偈を読めば、(すなわ)ち三世の諸仏は歓喜したまう者なり。

  三には、自我偈を(じゅ)せば則ち(まこと)の孝養に成るが故に。

 又二十三に云く「此の文字の数は五百十字なり、一一(いちいち)の文字変じて日輪となり日輪変じて釈迦如来となり大光明を放って乃至いかなる(ところ)にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給いて彼の聖霊に語り給うらん、我をば誰とか(おぼ)(しめ)す、我は()(なんじ)が子息・法蓮が毎朝(じゅ)する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん、手とならんとこそ・ねんごろに語らせ給うらめ、()(とき)・過去聖霊(しょうりょう)は我が子息・法蓮は子にはあらず、(ぜん)知識(ちしき)なりとて裟婆(しゃば)世界に向っておがませ給うらん、是こそ(まこと)の孝養にては候なれ」文。

第三に題目百五十万(べん)()(しょう)所以(ゆえん)、別して唱題の所以なり

 一には、仰いで祖師(そし)の金言を信ずるが故に。

 上の文に云く「一閻浮提(いちえんぶだい)に人ごとに()()無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」云云。

 上野抄に云く「今末法に入りぬれば余経も法華経もせん()なし、(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」云云。

 二には、題目は是れ成仏の種子なるが故に。

 本尊抄に云く「在世(ざいせ)の本門と末法の始は一同に純円なり、(ただ)(かれ)は脱、()れは(しゅ)なり、彼は一品(いっぽん)()(はん)此れは(ただ)題目の五字なり」云云。

 秋元抄に云く「三世(さんぜ)十方(じっぽう)の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」と云云。

  三には、題目一返(いっぺん)は一部の功徳に当るが故に。

十如是抄に云く「(これ)を信じて一遍(いっぺん)も南無妙法蓮華経と申せば法華経を(さとり)如法(にょほう)に一部をよみ奉るにてあるなり、十遍は十部・百遍は百部・千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり」等云云。

故に百五十万遍は百五十万部なり。千部(なお)広大なり。(いわん)や万部をや。万部(なお)(しか)なり、况や十万部をや。(いか)に况や百万部をや。何に况や百五十万部をや云云。

  (しか)れば則ち、此くの如き講談・()(きょう)・唱題の功徳を(もっ)て、報恩謝(ほうおんしゃ)(とく)(ため)に日永上人に供養し奉る。()(しか)らば、蓮祖(れんそ)()の秘法御弘通(ごぐつう)の功徳等、(どう)善房(ぜんぼう)御身(おんみ)(あつま)るが如く、皆(ことごと)く日永上人の御身にあつまるべきなり。又面々の参詣に()るの故に、()くの如き功徳を成就(じょうじゅ)す。若し爾らば、(これ)()の功徳は又参詣の人々の御身にあつまるべきなり。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。




報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-31 07:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)