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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 25日 ( 3 )


2016年 01月 25日

GOSHO 南条殿御返事(白麦御書) 一

On Polished Wheat   

The Power of Sincerity

       建治元年七月二日 五十四歳御作  

        2 July 1275Age:54


(しら)(むぎ)一俵・小白(こしら)(むぎ)一俵・河のり五()ふ、送り()(おわ)んぬ。

I have received the sack of polished barley, the sack of polished wheat, and the five packets of river nori that you were kind enough to send.

Thank you for one bale of polished barley, one bale of wheat flour and five bundles of river seaweed, which I have received.

仏の御弟子に阿那(あな)(りつ)尊者と申せし人は()さなくしての御名をば如意(にょい)と申す。如意と申すは心のおもひのた()らをふらししゆへなり。

The Venerable Aniruddha, a disciple of the Buddha, in his youth bore the name At Will. He was called At Will because he could cause to rain down any manner of treasures that his heart desired.

One of Shakyamuni Buddha’s senior disciples was named Aniruddha but as a child he was known as Nyoi, because of his ability to manifest showers of whatever treasure he desired.

このよしを仏にとひまいらせ給いしかば、昔()えたる()(えん)(がく)と申す聖人をひゑ()はん()をもつて供養しまいらせしゆへと答えさせ給う。

If one asked the Buddha why he was born with such power, the Buddha would reply that it was because, long ago, in a time of famine, Aniruddha had presented a humble meal of millet as an offering to a sage who was a cause-awakened one.

When asked how he had come to possess this ability, the Buddha explained that Aniruddha had earned it in a past life as a reward for offering a bowl of cooked millet to a Pratyekabuddha in a time of famine.


           つづく


解 説  全目次 Index All



by johsei1129 | 2016-01-25 23:02 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 25日

報恩抄文段 下二七

  
  初めに他方・本化(ほんげ)の前三()三とは

一には、他方は釈尊の(じき)(てい)に非ざる故に。()(じょう)義疏(ぎしょ)第十に云く「他方は釈迦の所化(しょけ)に非ざるが故に」云云文。多くは是れ分身(ふんじん)弟子(でし)なるべし云云。

 二には、他方の住国不同なるが故に。天台の文の九に云く「他方(おのおの)(おのずか)(おの)が任有り。()()()に住せば、()利益(りやく)(はい)せん」文。

 三には、他方は結縁(けちえん)の事浅きが故に。天台云く「他方は()の土に結縁の事浅し。宣授(せんじゅ)せんと(ほっ)すと雖も(かなら)()(やく)無けん」文。「巨」は大なり。

 一には、本化は釈尊の直弟なるが故に。経に云く「(ことごと)く是れ我が所化なり。今大道心(だいどうしん)(おこ)す」と。天台云く「是れ我が弟子、(まさ)に我が法を弘むべし」文。

 二には、本化は此の土に常住(じょうじゅう)するが故に。経に云く「(これ)()は是れ我が子、是の世界に()()す」文。

 太田抄に云く「地涌(じゆ)千界(せんがい)の大菩薩・一には裟婆(しゃば)世界に住すること多塵劫(たじんこう)なり」文。

 三には、本化は結縁(けちえん)の事深きが故に。天台、本化を釈して云く「縁(じん)(こう)なるを(もっ)()()の土に(へん)じて(やく)し、他方の身土に遍じて益せん」等云云。
 

  次に迹化(しゃっけ)・本化の前三後三とは
 

 一には、迹化は釈尊(みょう)()(そく)の弟子に(あら)ざるが故に。

 本尊抄二十一に云く「迹化の(だいしゅ)は釈尊初発心(しょほっしん)の弟子等に非ざる故なり」云云。

 二には、迹化は功を()むこと浅きが故に。

 新尼抄に云く「観世音(かんぜおん)乃至(やく)(おう)菩薩等の諸大士乃至(これ)()は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を(がく)する日あさし、学も(はじめ)なり、末代(まつだい)の大難(しの)びがたかるべし」云云。録外(ろくげ)十二・二十七紙なり。

 三には、迹化は末法に利生(りしょう)(まさ)(すくな)かるべきが故に。

 初心成仏抄二十二・十四に云く「(やく)(おう)菩薩・薬上(やくじょう)菩薩・観音(かんのん)勢至(せいし)の菩薩は正像(しょうぞう)二千年の御使(つかい)なり、(これ)()の菩薩達の御番(ごばん)(はや)(すぎ)たれば上古(むかし)の様に利生(りしょう)有るまじきなり、されば当世(とうせ)(いのり)御覧(ごらん)ぜよ、一切(かな)はざる者なり」。 

 一には、本化(ほんげ)は釈尊(みょう)()(そく)御弟子(みでし)なるが故に。

 本尊抄二十七に云く「地涌(じゆ)千界(せんがい)は教主釈尊の初発心(しょほっしん)の弟子なり」文。

 二には、本化は功と()むこと深きが故に。

 下山抄二十六・十八に云く「五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)より已来(このかた)、一向に本門寿量品の肝心(かんじん)を修行し習い給える上行(じょうぎょう)菩薩等の御出現(ごしゅつげん)時尅(じこく)相当(あいあた)れり」。(注:「五百塵点」から「習い給える」までの文は御書全集に拝せず。平成新編に拝す)

 三には、本化は末法の利生(さか)んなるべきが故に。

 初心成仏抄に云く「末法当時は乃至法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字(ばか)()の国に弘まりて()(しょう)得益(とくやく)もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」文。

 故に迹化(しゃっけ)・他方を(とど)め、但本地(ただほんち)()して之を譲り与えるなり。第三の義(おわ)んぬ。

四には、彼は時(きた)らざるが故に、()れは時(すで)に来れるが故に。(すで)に本化の菩薩に付嘱し(おわ)って、(まさ)しく流布(るふ)の時を指示して云く「後の五百歳の中に閻浮提(えんぶだい)広宣(こうせん)流布(るふ)す」云云。故に知んぬ、三()の秘法は末法流布の大白法(だいびゃくほう)なることを。何ぞ正像(しょうぞう)に於て之を()(つう)すべけんや。

撰時抄四・八に云く「天台(てんだい)大師云く『後の五百歳遠く妙道に(うるお)わん』(みょう)(らく)大師云く『末法の初め冥利(みょうり)無きにあらず』伝教(でんぎょう)大師云く『正像(やや)過ぎ(おわ)って末法(はなは)だ近きに有り』云云。(しか)るに天台・妙楽・伝教等は進んでは在世(ざいせ)法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退(しりぞ)いては滅後(めつご)・末法の時にも生れさせ給はず中間(ちゅうげん)なる事をなげかせ給いて末法の(はじめ)()ひさせ給う御筆なり(乃至)道心あらん人人は(これ)を見()きて(よろこ)ばせ給え、正像二千年の大王よりも後世(ごせ)をも()はん人人は末法の今の(たみ)にてこそあるべけれ、此を信ぜざらんや、()の天台の座主(ざす)よりも南無妙法蓮華経と(とな)うる癩人(らいにん)とはなるべし」文。

(しか)るに本迹(ほんじゃく)一致の弘通(ぐつう)(なお)是れ天台宗なり。


                      つづく

報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-25 21:13 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 25日

今本門の即身成仏は当位即妙本有不改と断ずるなれば肉身を其のまま本有無作の三身如来と云える是な り、此の法門は一代諸教の中に之無し、と断じた【妙一女御返事(法華即身成仏抄)】

【妙一女御返事(法華即身成仏抄)】
■出筆時期:弘安三年(1280年)十月五日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍と再婚した富木尼の娘と思われる妙一女に宛てられた消息です。
また妙一女の弟は佐渡で大聖人に常随給仕し、後に六老僧の一人となった日頂となり、養父常忍の影響もあり姉・弟ともに大聖人の法門への理解が深かったと思われます。
本抄は妙一女が大聖人に「即身成仏」について問われたことへの返書となっており、「女人の身として度度(たびたび)此くの如く法門を尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥(きょうどんみ)女の二度来れるか」と記され、妙一女の法華経研鑽への強い志を称えられておられます。
尚、冒頭で「去る七月中旬の比、真言・法華の即身成仏の法門・大体註し進らせ候」と記されておられるのは、本消息の三か月前七月十四日に妙一女に宛てられた【妙一女御返事】のことで、妙一尼が「即身成仏」における法華経と真言の勝劣について大聖人に問われたことへの返書となっております。
■ご真筆:現存しておりません。

【妙一女御返事(法華即身成仏抄) 本文】
去る七月中旬の比、真言・法華の即身成仏の法門・大体註し進らせ候、其の後は一定法華経の即身成仏を御用い候らん、さなく候ては当世の人人の得意候・無得道の即身成仏なるべし不審なり、先日書きて進らせ候いし法門能く心を留めて御覧あるべし、其の上即身成仏と申す法門は世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ、就中(なかんずく)予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留む可きなり。

建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間・在在処処にして申し宣べたる法門繁多なりといへども所詮は只此の一途なり、世間の学者の中に真言家に立てたる即身成仏は釈尊所説の四味三教に接入したる大日経等の三部経に・別教の菩薩の授職潅頂(かんちょう)を至極の即身成仏等と思う、是は七位の中の十回向の菩薩の歓喜地を証得せる体為(ていたらく)なり、全く円教の即身成仏の法門にあらず、仮令(たとい)経文にあるよしを罵るとも歓喜行証得の上に得たるところの功徳を沙汰する分斉にてあるなり、是れ十地の菩薩の因分の所行にして十地等覚は果分を知らず、円教の心を以て奪つていへば六即の中の名字観行の一念に同じ、与えて云う時は観行即の事理和融にして理慧相応の観行に及ばず、或は菩提心論の文により・或は大日経の三部の文によれども即身成仏にこそ・あらざらめ・生身得忍にだにも云いよせざる法門なり。

されば世間の人人は菩提心論の唯真言法中の文に落されて即身成仏は真言宗に限ると思へり、之に依つて正しく即身成仏を説き給いたる法華経をば戯論(けろん)等云云、止観五に云く「設(も)し世を厭(いと)う者も下劣の乗を翫(もてあそ)んで枝葉に攀附(はんぷ)す狗作務(いぬさむ)に狎(な)れ猿猴を敬いて帝釈と為し瓦礫(がりゃく)を崇めて是れ明珠とす此の黒闇の人豈(あに)道を論ず可けんや」等云云、此の意なるべし、歎かわしきかな華厳・真言・法相の学者・徒に・いとまをついやし・即身成仏の法門をたつる事よ、夫れ先ず法華経の即身成仏の法門は竜女を証拠とすべし、提婆品に云く「須臾の頃(あいだ)に於て便ち正覚を成ず」等云云乃至「変じて男子と成る」と、又云く「即ち南方無垢(むく)世界に往く」云云、伝教大師云く「能化の竜女も歴劫(りゃっこう)の行無く所化の衆生も亦歴劫無し能化所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等云云、又法華経の即身成仏に二種あり迹門は理具の即身成仏・本門は事の即身成仏なり、今本門の即身成仏は当位即妙本有(ほんぬ)不改と断ずるなれば肉身を其のまま本有無作の三身如来と云える是なり、此の法門は一代諸教の中に之無し文句に云く「諸教の中に於て之を秘して伝えず」等云云。

又法華経の弘まらせ給うべき時に二度有り所謂在世と末法となり、修行に又二意有り仏世は純円一実・滅後末法の今の時は一向本門の弘まらせ給うべき時なり、迹門の弘まらせ給うべき時は已に過ぎて二百余年になり、天台伝教こそ其の能弘の人にてましまし候いしかどもそれもはや入滅し給いぬ、日蓮は今時を得たり豈此の所嘱の本門を弘めざらんや、本迹二門は機も法も時も遥に各別なり。

問うて云く日蓮計り此の事を知るや、答えて云く「天親・竜樹・内鑑冷然(かいがんれいねん)」等云云、天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得んや、安楽行品に云く末世法滅の時」云云、此等の論師人師・末法闘諍堅固の時・地涌出現し給いて本門の肝心たる南無妙法蓮華経の弘まらせ給うべき時を知りて・恋させ給いて是くの如き釈を設けさせ給いぬ、尚尚即身成仏とは迹門は能入の門・本門は即身成仏の所詮の実義なり、迹門にして得道せる人人・種類種(しゅるいじゅ)・相対種の成仏・何れも其の実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ・正観なるべし。

然るにさばかりの上代の人人だにも即身成仏には取り煩はせ給いしに、女人の身として度度此くの如く法門を尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥(きょうどんみ)女(※注)の二度来れるか、知らず御身は忽(たちまち)に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし、委細は又又申す可く候。

弘安三年十月五日日 蓮 花 押
妙一女御返事

※注[憍曇弥(きょうどんみ)女]:
釈尊の幼名シッタルタ時代の養母。実母の摩耶夫人が生後七日で死去したため妹の憍曇弥が養母となってシッタルタを育てた。
憍曇弥はシッタルタが成道後に故郷に里帰りした時、何度も出家を願い出るが、女性は比丘(出家僧)の修行の妨げになるとして出家を許されなかった。
従者の阿難が憍曇弥を哀れみ釈尊に「誰でも八正道を実践すれば悟りを得ることができるのですね」と尋ね「そうだ」と答えると、「憍曇弥はあなたの養母で恩ある方です、出家を許してください」と懇願するとついに釈尊は女性の出家を認め、憍曇弥は仏教史上最初の比丘尼となった。
さらに妙法蓮華経・勧持品第十三では憍曇弥に、未来世に「一切衆生喜見如来」になるとの記別を与えます。




by johsei1129 | 2016-01-25 20:32 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)