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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 15日 ( 5 )


2016年 01月 15日

GOSHO 立正安国論 82 疑を断じて信を生ず 十


 法華経の第二に云く「()し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば乃至(ないし)其の人(みょう)(じゅう)して阿鼻獄(あびごく)に入らん」と、

The second volume of the Lotus Sutra says, “If a person fails to have faith but instead slanders this sutra . . . When his life comes to an end he will enter the Avīchi hell.”

A passage from the second volume of the Lotus Sutra states,If one does not believe in the sutra and commits slander,….after he dies, he will fall into avichi hell.

同第七の巻不軽品(ふきょうぼん)に云く「千劫(せんこう)阿鼻地獄(あびじごく)(おい)て大苦悩を受く」と、

And in the “Never Disparaging” chapter in the seventh volume, it says, “For a thousand kalpas they underwent great suffering in the Avīchi hell.”

And a passage from the Bodhisattva Never Disparaging chapter in the seventh volume states, “For one thousand kalpas, he will undergo tremendous sufferings in avichi hell.”

涅槃経(ねはんぎょう)に云く「善友を遠離(おんり)し正法を聞かず、悪法に住せば是の因縁(いんねん)の故に沈没(ちんぼつ)して阿鼻(あび)地獄に在つて、受くる所の身形(しんぎょう)縦横(じゅうおう)八万四千()(えん)ならん」と。

In the Nirvana Sutra, we read: “If a person separates himself from good friends, refuses to listen to the correct teaching, and instead embraces evil teachings, then as a result he will sink down into the Avīchi hell, where the size of his body will become eighty-four thousand yojanas in total length and breadth.”

The Nirvana Sutra teaches, “If one become estranged from his good friends, refuses to listen to the true Law, and adheres to evil doctrines, he will inevitably sink into avichi hell, where his body will expand and stretch eighty-four thousand yojanas.”


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御書本文】【目次 Index



by johsei1129 | 2016-01-15 21:24 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十六

一 面門(めんもん)とは口なり

 註釈の上二十五に云く「面門とは口の異名(いみょう)なり」と。文の三・十七、記の三上五十、涅槃(ねはん)経一・十三、皆(もっ)(しか)なり。

一 眉間(みけん)開くと()かんとしけるが等

 眉間白毫(びゃくごう)(にわか)に開きたるを以て成仏(じょうぶつ)(よそおい)(あらわ)さんとの(たく)ならんが、(あやま)って面門と書きたるぞとなり。

一 三鈷(さんこ)の事・(こと)不審(ふしん)なり

 (こと)に是れは狂惑(きょうわく)なり。今(いわ)く、(たと)(まこと)なりと(いえど)も奇とするに()らず。経に云く「()(しゅ)()()って他方の無数(むしゅ)の仏土に()()かんも、(また)(いま)(かた)しとせず乃至()く此の経を()かん、(これ)(すなわ)ち難しとす」等云云。「能く此の経を説かん」とは、大日経等は不真実、法華経は真実と説くなり。弘法(こうぼう)三鈷(さんこ)を投げて法華は戯論(けろん)、大日経は真実と云云。(あに)天魔に(あら)ずや。

   三月二十日

一 されば此の真言・禅宗・念仏

 開目抄下五十に云く「(けん)(にん)年中に(ほう)(ねん)大日(だいにち)の二人・出来(しゅったい)して」等云云。釈書二・五に云云。安国論に云云。

一 (にん)(のう)二十八代・(たか)(なり)

 ()鳥羽院(とばいん)とも申し、隠岐(おき)法皇(ほうおう)とも申すなり。

一 (ごん)大夫(たいふ)殿を失わんと

 相模(さがみ)(のかみ)(よし)(とき)の事なり。

一 大王たる上は国の主なれば等

 一には君臣、二には調伏(じょうぶく)、三には諸神の守護あらんに、一日、二日だにも(ささ)えかねて、承久(じょうきゅう)三年六月十四日、(ただ)一日の合戦(かっせん)()()けたもうが故なり。

一 神に申させ給いしに等

 (おそ)らくは「神」の字は(あやま)れり。(まさ)に「祈」の字に作るべきか。

一 佐渡(さどの)(くに)

 (じゅん)徳院(とくいん)は佐渡の国、土御門(つちみかど)院は阿波(あわ)の国、()鳥羽院(とばいん)隠岐(おき)の国に流されたまえり。

一 天童・勢多伽(せいたか)文。

 東鑑(あずまかがみ)二十五・二十七に云く「山城(やましろ)(のかみ)(ひろ)(つな)()勢多伽は仁和寺(にんなじ)より六波(ろくは)()()(いだ)さる。御室(おむろ)御寵(こちょう)(どう)なり。御室の御(なげき)(また)母の歎、又顔色華麗(かれい)(とも)憐愍(れんぴん)()えたり。勢多伽の叔父(おじ)佐々木信綱(のぶつな)欝訴(うっそ)()って信綱に(たま)うの間、梟首(きょうしゅ)す」云云。略抄。

一 調伏(じょうぶく)のしるし還著於(げんちゃくお)本人(ほんにん)()へとこそ見へて候へ

  (あるじ)の僧を咒咀(じゅそ)して、生木(なまき)(くぎ)を打ち、(おぼ)えず(みずか)の手に釘を打つ。家に帰って主の僧是れを見て、汝の手はいかにと云う。其の時始めて驚いて、ありのままに申し()びけること。


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報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-15 20:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十五 「慧亮(えりょう)脳を破りし時・次弟(じてい)位に即き、相応加持する時・真済(しんぜい)の悪霊伏せらるる」


一 
真済(しんぜい)が自記なり信じがたし、(また)邪見者が等

 「真済」は弘法第一の弟子(でし)柿本(かきのもと)(きの)僧正(そうじょう)是れなり。而して(そめ)殿(どの)(きさき)を見て(はなは)だ其の色に(まど)う。(のち)死霊(しりょう)に成り、(つい)には天狗(てんぐ)と成る。愛宕山(あたごやま)太郎房(たろうぼう)是れなり。此の人の日記は信じ難し。邪見(じゃけん)の者の所述なるが故なり。

 真言天台勝劣抄三十五・九に云く、「真言宗を法華経の行者(ぎょうじゃ)に対する時は竜と虎と師子と兎との闘いの如く乃至()(りょう)(のう)を破りし時・次弟(じてい)(くらい)()き、相応(そうおう)加持(かじ)する時・真済(しんぜい)の悪霊(ふく)せらるる等(これ)なり」文。

 釈書の十二・二十に云く「慧亮は叡山(えいざん)(えん)(ちょう)の徒なり。兼ねて()(かく)()く」等云云。
 源平盛衰記の三十二・十七に「
(もん)(とく)天皇の御子(みこ)第一の(みや)(これ)(たか)、御母は()兵衛(ひょうえの)佐名(すけな)(とら)(むすめ)なり。第二の宮は(これ)(ひと)、御母は太政(だじょう)大臣(だいじん)良房(よしふさ)(ちゅう)(じん)(こう)の御(むすめ)(そめ)殿(どの)(きさき)と申す是なり。兄弟(とも)御位(みくらい)を心にかけらる。第一の御祈(おんいのり)の師は真済(しんぜい)、第二の宮の御祈の師は慧亮なり。(つい)に力士の相撲(すもう)()けらる。名虎は今年三十四、太く(たくま)しく七尺(ばか)りの男にて、六十人の力あり。(よし)()は小男、行年二十一、なべての力人(ちからびと)とは聞ゆれども、名虎に対すべきにはあらず。名虎は(まつ)の如く、能雄は(ふじ)の如しと云云。慧亮剣を()き、脳を()(やぶ)り、香の(けむり)に燃ゆる時、大威徳(いとく)の乗り給える水牛、爐壇(ろだん)を三度(めぐ)って声を()げて()えたりける。()の声大内(おおうち)に響きければ、能雄に力ぞ付きにける。名虎(なとら)は其の声を聞いて身の力落ち、(もう)(ねん)として名虎相撲にまけにける」等云云。

 「相応(そうおう)加持(かじ)する時・(しんぜい)悪霊伏(あくりょうふく)せらるる」等とは、神社考の四・十三に云く「文徳帝の天安(てんあん)二月八月不予(ふよ)なり。真済看待(かんたい)す。升遐(しょうか)の後、志を(うしな)いて隠居(いんきょ)す。先には()(りょう)(こう)(けん)して()け、(ここ)に至って(いよいよ)(かい)(かい)たり。世に言く、真済(しんぜい)(そめ)殿(どの)(きさき)を見て、迷いて平らかならざるなりと。(じょう)(がん)二年二月、年六十一、(つい)に死して(すだま)と為る」云云。

 釈書の十・三に云く「染殿の后、狂疾(きょうしつ)を受けて数か月を()。后(たく)て云く『諸仏の出世に非ざるよりは(たれ)()く我を(くだ)さんや』と。相応、明王に懇祈(こんき)す。明王(いち)(おう)(そむ)くと(いえど)も、(かさ)ねて()げて云く『(なんじ)(ひそ)かに彼の霊に(かた)れ、(なんじ)(あに)真済の霊に非ずやと。彼聞けば必ず(こうべ)()れん。()(とき)大威徳の(じゅ)(もっ)()せよと。次の日、(おしえ)の如くして彼の霊を(こう)(けん)す。(きさき)の病即ち()ゆ」と云云。

 羅山文集の六十三・二十一に云く「真済(しんぜい)色に(まど)う。死して天狗(てんぐ)()る。愛宕山(あたごやま)太郎房(たろうぼう)是れなり」文。

私に云く、伊豆の国熱海(あたみ)()僧正(そうじょう)のほこらあり。亦都松と云う松あり。是れ(そめ)殿(どの)(きさき)のしるしの松なり。(えだ)(みやこ)に向えり。此の故に都松と名づくるとなり。


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報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-15 20:45 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

報恩抄文段 下十四

一 破戒の法師(ほっし)

  羅山(らざん)文集(ぶんしゅう)十五・二十六に云く「左大臣(たちばな)諸兄(もろえ)十代の孫にして、肥後(ひごの)(かみ)元愷(もとやす)が子なり。本名は(なが)(やす)(のち)遁世(とんせ)して能因(のういん)と名づけ、古曽部(こそべ)入道と号す。摂津(せっつ)のこそべ金竜寺にて、山寺の春の夕暮(ゆうぐれ)()て見れば 入相(いりあい)の鐘に花ぞ()りける」と云云。

  問う、何ぞ「破戒」と云うや。

  答う、和歌を好んで綺語(きご)(おか)す。故に破戒と云うなり。
 本語の三・十二に云く「
能因(のういん)は摂州のこそべより毎年花盛(はなざか)上洛(じょうらく)し、大江(おおえの)公資(きんすけ)が五条東の洞院(とういん)宿(やど)る。(くだん)南庭(なんてい)に桜あり。()の花を(めで)んがために(かん)(どう)(まる)一人を(あい)(したが)う。公資(きんすけ)、孫の(きみ)(なか)に常に云く、数奇(すき)たまえ、すきぬれば歌はよむぞと諷諫(ふうかん)しける」と。
 又「
永承(えいしょう)四年歌合(うたあわせ)に、三室山(みむろやま)(かえで)(たつ)田川(たがわ)の錦の歌」云云。
 又「
()る時、兼房(かねふさ)が車の(しりえ)に乗りて行くに、二乗の洞院にて車より(おり)る。兼房(これ)を問う。答えて云く、伊勢の()前裁(せんざい)(むすび)(まつ)今にあり、いかでか乗りながら()ぐべきやと。(なお)松の(こずえ)の見ゆるまで車にのらず」と。
 又「都をば
(かすみ)(とも)に出でしかど 秋風ぞ()く白川の関」云云。「顔色を黒くする事」云云。
 又同十六紙に云く「
加久(かぐ)()長帯刀(おきたてわき)(とき)(のぶ)、始めて能因に()う。能因、錦の小袋を取り出す。鉋屑(かんなくず)(すじ)あり。是れは長柄(ながら)の橋のかんな(くず)なり云云。(とき)(のぶ)も亦懐中(かいちゅう)より裹物(つつみもの)を取り出す、かれたる(かわず)なり。是れはいでの蛙なり」云云。既に此くの如く和歌に(しゅう)(じゃく)す、(あに)破戒に非ずや。

(しか)れども伊予(いよの)(かみ)(さね)(つな)にともないて、()の国に(くだ)りけるに、夏の初め久しく(ひで)る。和歌をよみて三島(みしま)明神(みょうじん)(ささ)ぐ。(きん)葉集(ようしゅう)第十。(るい)(ぞう)五・五十六に「天の川なわ(しろ)(みず)にせき(くだ)せ あま下ります神ならば神」云云。神社考の三・十七に「伊豆(いず)三島明神とは、伊予の三島を移して(これ)(まつ)る」と。

一 かかる徳あるべしや

 (あに)(じゅ)()聴聞(ちょうもん)の徳あるべしや云云。太平の十二・十八に「弘法(こうぼう)(しゅ)(びん)(じゅそ)して殺す事、何ぞ霊山親承の(たぐい)ならん」と。

一 (しか)()の日記に云く等云云

 意に云く、(まさ)()(しん)伝教(でんぎょう)入滅の(のち)といわんとすれば、而も此の日記に云く乃至御存生(ごぞんしょう)かと見ゆ。()し義真(めつ)()と云わば、弘法の真言は天長十年まで(ひろ)まらざりけるかと云云。


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報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-15 20:43 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 15日

善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず、国により人により時により、やうやうにかわりて 候、と説かれた【窪尼御前御返事】

【窪尼御前御返事】

■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十二月二十七日  六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は大聖人が御遷化なされる十ヶ月前に認められた消息です。
大聖人はこの年の冬の厳しさについて文中で「としのさむき(寒き)事生れて已来いまだおぼへ候わず、
ゆき(雪)なんどのふりつもりて候事おびただし。心ざしある人も、とぶ(訪)らひがたし」と記されてお
られます。
その中で窪尼は、恐らく新年を迎えるための数多くの品々を身延山中の大聖人の元へ届けられたと思わ
れ、その志を大聖人は冒頭で「善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず、国により人により
時により、やうやうにかわりて候」と善根について分別されるとともに「此れは日蓮を御くやうは候は
ず、法華経の御くやうなれば釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまかせまいらせ候」と称えられ
ておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)。

【窪尼御前御返事 本文】

しなじなのものをくり給て候。
善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず・国により人により時により・やうやうにかわりて
候。
譬へばくそをほして・つきくだき・ふるいてせんだんの木につくり・又女人・天女・仏につくりま
いらせて候へども火をつけて・やき候へばべちの香なし・くそくさし、そのやうに・ものをころし・ぬ
すみをしてそのはつををとりて功徳善根をして候へども・かへりて悪となる。
須達長者と申せし人は月氏第一の長者ぎをん精舎をつくりて仏を入れまいらせたりしかども彼の寺焼け
てあとなし。
この長者もといを(魚)を・ころしてあきなへて長者となりしゆへに、この寺つゐにうせにき。
今の人人の善根も又かくのごとく・大なるやうなれども・あるひは・いくさをして所領を給、或はゆへ
なく民をわづらはして・たからをまう(儲)けて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども仏にもなら
ざる上、其の人人あともなくなる事なり。

又人をも・わづらはさず我が心もなをしく我とはげみて善根をして候も仏にならぬ事もあり。いはくよ
きたね(種)をあ(悪)しき田にうえぬれば・たねだにもなき上かへりて損となる。まことの心なれども供
養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候。

此れは日蓮を御くやうは候はず法華経の御くやうなれば釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまか
せまいらせ候。

抑今年の事は申しふりて候上、当時はとしのさむき事生れて已来いまだおぼへ候わず、ゆきなんどのふ
りつもりて候事おびただし、心ざしある人もとぶらひがたし、御をとづれ、をぼろげ(注)の御心ざしにあらざるか、恐恐謹言。

十二月二十七日 日 蓮 花 押
くぼの尼御前御返事

注[をぼろげ]:普通を意味し、「をぼろげの御心ざしにあらざるか」で普通でない、格別の志であろうとの意になります。




by johsei1129 | 2016-01-15 19:05 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)