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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 09日 ( 3 )


2016年 01月 09日

新年の祝いの品々を供養された窪尼御前に「法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏はとかせ給 いて候へ。此れをもつて御心へあるべし」、と励まされた消息【窪尼御前御返事】

【窪尼御前御返事】
■出筆時期:弘安二年(1279)十二月二十七日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書を記されたのは年の瀬の十二月二十七日です。窪尼は新年に合わせて祝いの品々を大聖人の元へ届けられ、
大聖人は直ぐに返書として本消息を送られたと思われます。

大聖人は文中で「御心ざしさきざき(先々)かき(書き)つくして、ふで(筆)もつひ、ゆび(指)もたたぬ」と記され、
窪尼がいかに頻繁に四季折々にご供養の品を届けられているかを物語っております。
さらに文末では「法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏はとかせ給いて候へ。此れをもつて御心へあるべし」と法華経信仰を貫くよう励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆:富士大石寺所蔵。

【窪尼御前御返事 本文】

十字(むしもち)五十まい、くしがき一れん、あめをけ一送り給い了んぬ。
御心ざしさきざきかきつくして、ふで(筆)もつひ、ゆび(指)もたたぬ。

三千大千世界に七日ふる雨のかず(数)は、かずへつくしてん。十方世界の大地のちり(塵)は知る人もありなん。
法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏はとかせ給いて候へ。此れをもつて御心へあるべし。
恐恐謹言。

十二月二十七日     日 蓮 花 押
くぼの尼御前御返事





by johsei1129 | 2016-01-09 18:12 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 09日

GOSHO 立正安国論 76 疑を断じて信を生ず 三

主人(よろこ)んで曰く、(はと)()して(たか)と為り(すずめ)変じて(はまぐり)と為る、(よろこば)しきかな汝蘭室(らんしつ)の友に(まじわ)りて()()(しょう)と成る、

The host exclaimed with delight: The dove has changed into a hawk, the sparrow into a clam. How gratifying! You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp.

The host stated with joy: [Before my very eyes], the pigeon has transformed into a hawk, the sparrow into a clam. I am delighted to see that you have corrected your views by conversing with a friend of virtue in the orchid room, just as [ the winding ] mugwort grows straight in a hemp field.

(まこと)に其の難を(かえり)みて(もっぱ)ら此の言を信ぜば、風和らぎ(なみ)静かにして不日(ふじつ)豊年(ぶねん)ならん、

If you will truly give consideration to the troubles I have been describing and put entire faith in these words of mine, then the winds will blow gently, the waves will be calm, and in no time at all we will enjoy bountiful harvests.

If you seriously reflect on the recent disasters and whole heartedly trust my words, then the land will soon prosper, just as the ocean calms when the wind subsides.

(ただ)し人の心は時に随つて(うつ)り、物の性は(きょう)()つて改まる、

But a person’s heart may change with the times, and the nature of a thing may alter with its surroundings.

However, human hearts change with the passage of time, and human nature is affected by its surroundings.

(たと)えば(なお)水中の月の波に動き、陳前(じんぜん)(いくさ)(つるぎ)(なび)くがごとし、汝当座に信ずと(いえど)(のち)定めて永く忘れん、

Just as the moon on the water will be tossed about by the waves, or the soldiers in the vanguard will be cowed by the swords of the enemy, so, although at this moment you may say you believe in my words, I fear that later you will forget them completely. 

This is just like the reflection of the moon on the water rippling with the waves, or soldiers in the face of battle quailing at the sight of the swords of their enemy. You believe in my words at this moment; however, later you will surely forget them.

()()ず国土を安んじて現当(げんとう)を祈らんと欲せば(すみやか)情慮(じょうりょ)(めぐ)らし(いそい)対治(たいじ)を加えよ、

Now if we wish first of all to bring security to the nation and to pray for our present and future lives, then we must hasten to examine and consider the situation and take measures as soon as possible to remedy it.
 If you desire a secure land, and wish to pray for peace in your present and future existence, you should waste no time, ponder on the correct path, and immediately eliminate slanders.

If you desire a secure land and wish to pray for peace in your present and future existence, you waste no time, and should immediately eliminate slanders.


                      

                     つづく Next
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by johsei1129 | 2016-01-09 13:40 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 09日

報恩抄文段 下八


一 問て云く涅槃(ねはん)経の文等

  此の下は次に起後(きご)、亦二と為す。初めに問、次に答、亦三と為す。初めに二経の勝劣(しょうれつ)を判じ、次に「(しか)るを涅槃宗」の下は邪計を破し、三に「涅槃経を読むと申すは」の下は正当(しょうとう)なり。

文に云う(みょう)(らく)大師云く」とは、記の三の下二十の文なり。

文に云う「大経と申すは涅槃経なり」とは大般(だいはつ)涅槃を略して「大経」と云う。例せば大智度論(だいちどろん)を略して大論と云うが如し。(しか)るに大と云うは能歎(のうたん)(ことば)なり。故に玄の二・三十七に云く「大経に云く『大を不可思議と名づく。(たと)えば虚空(こくう)の小空に()って名づけて大と()さざるが如し。涅槃も亦(しか)なり』と」云云。故に浄家(じょうけ)の、弥陀の小経に対して(そう)(かん)経を以て名づけて大経とするには同じからざるなり。

文に云う「涅槃経には法華経を(ごく)と指して候なり」とは、涅槃経は所従の如く、下臈(げろう)の如し。法華経は主君の如く、上臈(じょうろう)の如し。故に「極」と云うなり。

文に云う「下()を上()」等とは、顕謗法抄十二・三十に云く「上郎・下郎不定(ふじょう)なり。田舎(いなか)にては百姓・(ろう)(じゅう)等は(さむらい)を上郎と云ふ、洛陽(みやこ)にしては、源平等(げんぺいら)已下(いげ)を下郎といひ、三家(さんけ)を上郎といふ」と云云。「三家」とは、中院(なかのいん)閑院(かんいん)華山院(かざんいん)なり。所詮、所望(しょもう)不同なり。

文に云う涅槃(ねはん)経をよむと申すは法華経をよむを申すなり」とは、此の下は正答。文意(もんい)に云く、故に涅槃経の行者(ぎょうじゃ)と申すは法華経の行者の事なり。涅槃経を信ずると申すは法華経を信ずる事なりと云云。言う所の「よむ」とは、即ちこれ講読(こうどく)讃歎(さんだん)なり。例せば玄義を読み、御書を読む等の如し。

問う、涅槃経を読まずして、(ただ)法華経を読むを即ち涅槃経を読むと名づくるや。

答う、(しか)らず。涅槃経を読まん時に法華経を讃歎すれば、(すなわ)ち涅槃経の意に(かな)う。故に実に是れ涅槃経を読むなり。涅槃経は臣下(しんか)の如く、法華経は(しょう)(おう)の如し。(たとえ)の文を見るべし。

孝経に云く「()の父を(うやま)えば則ち子(よろこ)ぶ。兄を敬えば則ち弟悦ぶ。其の君を敬えば則ち臣悦ぶ」等云云。例せば竜樹(りゅうじゅ)天台(てんだい)等の講読の如し。竜樹菩薩、般若経(はんにゃきょう)を講読して云く「般若は秘密に(あら)ず、法華は()れ秘密」等云云。然るに般若経の賢人は法華経の国主を重んずる者をば「我を・()ぐれども悦ぶなり」。

天台大師は方便(ほうべん)品を講読する時、方便品の題号を釈するに、三種の方便、四句の(ごん)(じつ)()四句の中の(また)権の一半を開して、(じっ)(そう)の権実を明かす。此の十双の権実に()いて八門の解釈あり。其の中の(さき)七門の意は、権実相対して()(ぜん)の諸経を法用(ほうゆう)能通(のうつう)()()の方便と名づけ、(ただ)法華を(もっ)()(みょう)自行(じぎょう)方便と名づく。是れは爾前を下して但法華を(さん)するなり。第八門の意は本迹(ほんじゃく)相対して爾前・迹門を通じて法用・能通化他の方便と名づく。(ただ)本門寿量を以て秘妙自行の方便と名づく。是れ迹門を下して但本門を讃するなり。

(しか)るに迹門の賢人(けんじん)は本門の国主を重んずる者をば「我を・さぐれども悦ぶなり」。涅槃経も亦(しか)なり。涅槃経は残党(ざんとう)の如く、法華は大陣を破るが如し。法華は秋に(おさ)め冬に(ぞう)するが如く、涅槃経は(くん)(じゅう)如し。法華は主君の如く、涅槃経は臣下(しんか)の如し。故に涅槃経の賢人は法華の国主を重んずる者をば「我を・()ぐれども悦ぶなり」。文に云う「我を・()ぐれども悦ぶなり」とは、(ある)いは云く「避」の字なり云云。(ある)いは云く「下」の字なり。

大江(おおえの)匡衡(まさひら)の詩に云く「(すす)んで(かみ)まに(のぼ)()がることは持戒に()(しりぞげ)いて(しも)ざまに(くだ)()がることは破戒に依る」文。()し此の義に(じゅん)ぜば、次の文に「涅槃(ねはん)経は法華経を下げて」等と云うをも「法華経を()げて」等とよむべし。(しか)れば涅槃経の賢人(けんじん)は、法華経の主君を下げて我を()むる人をば、(あなが)ちに敵と(にく)ませ給うぞとなり。


                       つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-09 13:20 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)