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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 01月 05日 ( 2 )


2016年 01月 05日

報恩抄文段 下四  日本国中に大聖人一人在(ましま)さずんば、宅(いえ)に柱無く、天に日月無く、国に大王無く、山河に珠(たま)無く、人に魂無からんが如し。大聖人一人の大切なるは是れなり云云。


一 (ただ)日蓮一人(ばか)(とどま)()て此の(よし)を告げ示せば

 此の(しも)は次に(まさ)しく明かす、亦二と()す。初めに初度の諫暁・国主の怨嫉(おんしつ)を明かし、次に「最勝(さいしょう)(おう)経」の下は、二度の諫暁・国土の災難を明かすなり。

 文に云う「但日蓮一人」等とは、(すなわ)ち是れ「(ただ)(われ)一人のみ()救護(くご)()す」の法華の行者(ぎょうじゃ)なり。「一迷先(いちめいせん)(だつ)して以て余迷(よめい)を教う」の最初の導師なり。

故に但(れん)()一人を信じ(たてまつ)りて南無妙法蓮華経と唱うれば、即ち是れ十方(じっぽう)三世(さんぜ)の諸仏乃至(ぼん)(たい)日月(にちがつ)天神(てんじん)地祇(ちぎ)等を信ずるに()れり。(たと)えば、(こうべ)()れば則ち髪(ゆる)、心働けば則ち身動く、大風吹けば草木静かならず、大地動けば則ち大海(さわ)がしきが如し。蓮祖一人を動かし(たてまつ)らば、(あに)()るがざる草木有るべけんや。

 文に云う「告げ示せば」とは、正しく是れ初度の諫暁、安国論の御事なり。然れども国主は()れず。論文に云く「()(しょう)に背き人(ことごと)く悪に帰す。故に善神は国を捨て、魔(きた)り鬼(きた)り、災起り難起る」等略抄。

 文に云う「国主(これ)あだ()み数百人の民に乃至家家ごとに()う」等とは、(まさ)()くの如く点ずべきなり。

 問う、国主下知(げじ)を伝えて悪口(あっく)罵詈(めり)せしむるや。

 答う、一家(じん)あれば一国に仁(おこ)り、一人貪戻(どんれい)なれば一国(らん)()す。嗟乎(ああ)、一人の心は千万人の心なり云云。故に知んぬ、下知を伝えずと(いえど)も、()()は下知を伝うるに当たるなり。是れ則ち国主一人(あだ)むが故に万民も(また)怨む故なり。

 文に云う最勝(さいしょう)(おう)経」等とは、此の(しも)は次に二度の諫暁・国土の災難を明かす、亦三と()す。初めに(かん)(もん)を引き、次に「(これ)()の」の下は(まさ)しく釈し、三に「弘法(こうぼう)」の下は料簡(りょうけん)す云云。初めに二経の文を引く。(おのおの)国主の怨嫉(おんしつ)、国土の災難有り、文の如く見るべし。撰時抄下二十五三十一()いて見よ。

 文に云う「此等の経文」等とは、此の(しも)(まさ)しく釈す、亦三と為す。初めに経意を(さぐ)って釈し、次に「()の経文」の下は(ただ)ちに経の文を(しょう)し、三に「()ぬる文永九年」の下は兼讖(けんしん)符合(ふごう)を示す。初めの経意を(さぐ)って釈す、亦二と為す。初めに法華の行者(ぎょうじゃ)を明かし、次に「去ぬる文永八年」の下は、正しく(かん)(ぎょう)を明かす。

 問う、経意を探って釈すとは、その(こころ)如何(いかん)

 答う、(およ)()(ぜん)の諸経を判ずるに、当分(とうぶん)()(せつ)の二意あり。今(また)二義を(もっ)て其の意を示さん。

(いわ)く、若し当分に約せば、(ただ)最勝(さいしょう)及び仁王(にんのう)等の行者を()して善人及び世尊の声聞(しょうもん)の弟子と名づけて、此の善人を治罰(じばつ)し、此の声聞(しょうもん)(のう)(らん)せば、(にわ)に自界・他方の怨賊(おんぞく)を起さんとなり。彼は(ごん)大乗(だいじょう)の行者を治罰し悩乱するに、(なお)自他の怨賊(おんぞく)起る。(いか)(いわん)や実大乗の法華の行者を治罰悩乱(のうらん)せんをや。

正しく跨節に約せば、彼の文の善人及以(およ)び世尊の声聞の弟子とは、(ただ)ちに是れ末法の法華の行者、(れん)()聖人の御事なり。故に「日蓮此の国になくば」及び「日蓮は日本国のは()らなり」等と云うなり。是れ経意を探って釈するの相なり。(しも)の「()ぬる」の引用も之に(じゅん)じて知るべし。

 文に云う「去ぬる文永八年」とは、此の下、次に(まさ)しく(かん)(ぎょう)を明かす、(すなわ)ち是れ第二度の諫暁なり。

 問う、今何ぞ第三度の諫暁を()ざるや。

 答う、()し第三の諫暁、(ただ)延山(えんざん)隠居(いんきょ)(よし)()せば怨嫉(おんしつ)値難(ちなん)の由と成らず。故に此の中には便(びん)ならざるが故か。

 文に云う「日蓮は日本国のは()らなり」等とは、佐渡抄十四・九に云く「日蓮に()りて日本国の有無はあるべし、(たと)へば(いえ)に柱()ければ・たもたず人に(たましい)なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」等云云。故に知んぬ、日本国中に日蓮一人(ましま)さずんば、宅に柱無く、天に日月(にちがつ)く、国に大王無く、山河に(たま)く、人に魂無からんが如し。日蓮一人の大切なるは是れなり云云。

 文に云う()の経文」等とは、此の下は次に(ただ)ちに経の文を消するなり。

「智人」と云うは、経文の「善人及以(およ)声聞(しょうもん)の弟子」なり。其の意は即ち蓮祖の御事なり。撰時抄下三十一に云云。


                     つづく
報恩抄文段下 目次



by johsei1129 | 2016-01-05 22:15 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 05日

GOSHO 立正安国論72 斬罪の用否 二

(はか)り知んぬ、善悪を論ぜず是非を(えら)ぶこと無く、僧侶()らんに(おい)ては供養(くよう)()ぶ可し、

If we stop to consider, we must realize that, regardless of whether one is good or bad, right or wrong, if he is a priest, then he deserves to have alms and nourishment extended to him.

It should be inferred from the sutras that offerings must be made to priests without questioning whether they are good or bad, or whether it is right or wrong to do so.

何ぞ()の子を打辱(だにく)して(かたじけな)くも其の父を悲哀(ひあい)せしめん、

For how could one beat and insult the son and still not cause grief and sorrow to the father?

How could you be so shameful as to cause the Buddha to lament by attacking and humiliating his child?

彼の(ちく)(じょう)目連(もくれん)尊者(そんじゃ)を害せしや永く無間(むけん)の底に沈み、提婆(だいば)(だっ)()蓮華(れんげ)比丘尼(びくに)を殺せしや久しく阿鼻(あび)(ほのお)(むせ)ぶ、

The Brahmans of the Bamboo Staff school who killed the Venerable Maudgalyāyana have for a long time been sunk in the depths of the hell of incessant suffering. Because Devadatta murdered the nun Utpalavarnā, he has for a long time gasped in the flames of the Avīchi hell.

Some of the Brahmans from the Bamboo Staff School have for almost an eternity remained sunk at the bottom of the hell of incessant suffering for killing Maudgalyayana. Devadatta murdered Nun Utpalavarna and then suffered in the flames of the hell of incessant suffering for a period of time beyond measure.

先証(せんしょう)()れ明かなり、(こう)(こん)最も(おそれ)あり、

Examples from earlier ages make the matter perfectly clear, and later ages fear this offense most of all.

These examples of earlier ages clearly show what we, of the later ages, should all fear most.

謗法(ほうぼう)(いまし)むるには似たれども(すで)に禁言を破る、()の事信じ(がた)し、如何(いかん)(こころ)()んや。

You speak of punishing those who slander the Law, but to do so would violate the Buddha’s prohibitions. I can hardly believe that such a course would be right. How can you justify that?

While it may appear that you are refuting slander, you are in fact defying the Buddha’s admonitions. I find your statements difficult to believe. How should Iinterpret them

                    つづく Next
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by johsei1129 | 2016-01-05 21:54 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)