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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 29日 ( 3 )


2015年 12月 29日

報恩抄文段 上二五


一 一代の勝劣(しょうれつ)を判じて云く等

  此の(しも)は次に(まさ)しく邪謬(じゃびゅう)を明かす、亦二と()す。初めに一代判(いちだいはん)(ぎょう)、次に法華誹謗(ひぼう)

  文に云う「第一真言大日経・第二華厳・第三法華涅槃(ねはん)等」とは、弘法(こうぼう)大師が十住心を立てて一代を判じたるなり。雑記の下六、釈書一・三十一。安然(あんねん)、五失を()げて之を()す云云。

  真言天台勝劣抄三十五・十七に云く「法華第一、無量(むりょう)()経第二、涅槃経第三、華厳(けごん)第四、般若(はんにゃ)第五、蘇悉地(そしっじ)第六、大日経第七」。経文分明(ふんみょう)なり。(ただ)し蘇悉地経の「(なお)不成就」とは、(あるい)(また)転読大般若経の文に少々穿鑒(せんさく)(これ)有り。金山の一下末二十四の意は(もっと)()なり。

一 法華経は乃至華厳経・大日の二経に望むれば()(ろん)の法なり等

  此の下は次に法華誹謗、亦三と為す。初めに法を(ぼう)じ、次に仏を謗じ、三に僧を謗ずるなり。撰時抄下八已下を()いて見よ。釈迦と大日と一体の事、三十五・十九(注:真言天台勝劣事)。

一 皇帝と俘囚(えびす)との如し

  啓蒙(けいもう)七・五十六に云く「或は()(しゅう)に作るは(あやまり)なり。(まさ)俘囚(ふしゅう)の字なるべし」と云云。註七・四十一に云く「俘囚の(とりこ)」文。啓蒙七・五十七に云く「()(また)(とりこ)なり。(いにしえ)はエゾの人、節節(おりおり)「とりこ」になる故に()(もっ)て俘囚をエゾとよむと見えたり」云云。又等海抄十七・十二に云く「弘法の三平等義の裏書に云く『天台の(みょう)(がく)の仏は真言の名字(みょうじ)をも聞かず』」等云云。

一 天竺(てんじく)外道(げどう)はさて置きぬ等

  此の下は三に今師(こんし)()(しゃく)、亦二と()す。初めに正しく弘法を破し、次に「伝教(でんぎょう)」の下は叡山(えいざん)の末師を()む。初めの正しく弘法を破するに亦二と為す。初めに第三戯論(けろん)の謗法を破し、次に「()(がっ)()」の下は謗仏・謗僧を破す。

  初文の意に云く、天竺の外道は(もと)より是れ仏家(ぶつけ)(ほか)なり、故に其の罪(なお)浅し。弘法は仏弟子(ぶつでし)なり、故に其の罪(ふか)し。

漢土(かんど)の南北は第二の涅槃に対して第一の法華を謗ず、故に其の罪(なお)浅し。弘法は第四の(ほう)(とう)真言経に対して第一の法華を謗ず、故に其の罪至って深し。

華厳宗(けごんしゅう)は第四の華厳に対して第一の法華を謗ず、故に其の罪仍浅し。弘法は第七の大日経に対して第一の法華を謗ず、故に其の罪(はなは)だ深し等云云。

 文に云う「彼の月氏」等とは、(すで)に釈尊を謗じて「無明(むみょう)辺域(へんいき)」「俘囚(えぞ)の如し」と云い、天台(てんだい)を謗じて「盗人(ぬすびと)と云う。(あに)大慢にも()ゆるに(あら)ずや。

  文に云う「伝教(でんぎょう)大師」等とは、次に叡山(えいざん)の末師を責む、亦二と()す。初めに本師を()げ、次に(まさ)しく末師を責むるなり。

一 伝教大師御存生(ぞんしょう)ならば等

  問う、弘法は伝教大師御存生の時より、盛んに真言を弘む。故に下巻十七に云く「弘法は平城(へいぜい)天皇大同二年より(こう)(にん)十三年までは盛んに真言を弘めし人なり」。如何(いかん)

答う、実に所問の如し。伝教御存生の時より真言を弘むるなり。(ただ)し法華は第三戯論(けろん)、釈迦は無明の辺域、天台大師は盗人なりという事は伝教御入滅の後なり。若し伝教御存生ならば()くの如き悪口は一言も()ださせ給わまじける事なり。

一 ()(かく)大師等

  此の(しも)は次に覚・証の伝弘(でんぐ)を明かす、亦二と為す。初めに正しく明かし、次に「されば慈覚・智証(ちしょう)」の下は今師(こんし)()(しゃく)。初めの正しく明かすに亦二と為す。初めに慈覚、次に智証。初めの慈覚、亦四と為す。初めに入唐(にっとう)習学(しゅうがく)、次に帰朝疏述(しょじゅつ)、三に夢想(むそう)勝劣(しょうれつ)、四に今師不審(ふしん)

  文に云う「慈覚大師」とは、釈書の第三・六已下、()いて見よ。

  文に云う「承和(じょうわ)五年」とは、人王五十四代(にん)(みょう)天皇の御宇(ぎょう)なり。

  文に云う「大日経は(ほう)等部(とうぶ)(しょう)」とは、御書三十五・二十四、諌迷七・三十一、中正十三初、金山八・十五云云。()の経に「四教並びに()く」の文有り、二乗弾呵(だんか)の文有り等云云。

  文に云う「同じき承和」の下は帰朝疏述(しょじゅつ)、「(しか)れども我が心」の下は夢想勝劣、「(しか)宣旨(せんじ)」の下は今師不審云云。


                     つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-29 21:43 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 29日

GOSHO 立正安国論63 施を止めて命を絶つ 十三

()の時に説法者厄害(やくがい)(まぬが)ることを得たり、

As a result, the monk who had been preaching was able to escape grievous injury.

As a result, Kakutoku escaped severe injury.

王・爾の時に於て身に刀剣(とうけん)鉾槊(けんさく)(きず)(こうむ)り、体に(まった)(ところ)芥子(けし)の如き(ばか)りも無し、

But the king received so many wounds from the knives and swords, halberds and lances, that there was not a spot on his body the size of a mustard seed that remained unharmed.

King Utoku, however, was severely wounded with swords, arrows, and spears. Not a single spot on his body, even as small as a poppy seed, was left unwounded.

()の時に(かく)(とく)()いで王を()めて言く、善きかな善きかな、王(いま)(しん)に是れ正法を(まも)る者なり、当来(とうらい)の世に此の身(まさ)に無量の法器(ほうき)と為るべし、

“At this time the monk Realization of Virtue praised the king, saying: ‘Splendid, splendid! You, O king, are now a true defender of the correct teaching. In ages to come, this body of yours will surely become a boundless vessel of the Law!’

At that moment, Kakutoku praised the king and said,Splendid, splendidYou, King, are a true protector of the correct Law. In your future existences, your life will surely become a vessel of the Law.” 

王是の時に於て法を聞くことを得(おわ)つて心大に歓喜(かんき)し、()いで(すなわ)命終(みょうじゅう)して閦仏(あしゅくぶつ)の国に生ず、(しか)()の仏の為に第一の弟子と()る、

“At that time, the king had already heard the teaching, and he felt great joy in his heart. There upon his life came to an end, and he was reborn in the land of the Buddha Akshobhya, where he became the Buddha’s principal disciple.

When the king heard these profound words, his heart was filled with great joy, and that moment he took his final breath. He was then born into the land of Akshobhya Buddha, where he became this Buddha’s first disciple.

其の王の(しょう)(じゅう)・人民・眷属(けんぞく)戦闘(せんとう)有りし者・歓喜(かんき)有りし者・一切菩提(ぼだい)の心を退せず命終(みょうじゅう)して(ことごと)(あしゅく)(ぶつ)の国に生ず、

Moreover, all the military leaders, citizens, and associates of the king who had fought beside him or had rejoiced in his effort were filled with an unflagging determination to achieve enlightenment, and when they died, all of them were reborn in the land of the Buddha Akshobhya.

King Utoku’s generals, vassals, subjects, and followers who had fought beside him, as well as those who rejoiced [at seeing the correct Law being protected] continued to have unwavering determination to seek enlightenment. After death,they were all born into this land of Akshobhya.

                    つづく Next
御書本文】【目次 Index

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by johsei1129 | 2015-12-29 21:12 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 29日

教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云い、はかなきを畜といふ。と説いた【崇峻天皇御書】

【崇峻天皇御書】
■出筆時期:建治三年(1277年)九月十一日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は四条金吾が主君の江間氏よりを謹慎を命じられていた時に、大聖人は短気な金後に対し、崇峻天皇が聖徳太子の諫言を守らず蘇我の馬子に殺害された故事を引いて、主君や同僚を恨むことなく謹慎がとけるまで自重して事にあたるよう様々な生活指導されておられます。
また竜ノ口の法難で金吾が大聖人と共に殉死しようとされたことについて「返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時、殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん。設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし」と、金吾の大聖人に随順する思いを称えられておられます。

さらに文末では「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり<中略>教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と記され、法華経の信徒として賢き振る舞いをするよう諭されておられます。
※尚、本消息の経緯については『小説日蓮の生涯(下) 66 金吾の奉行所対決』を参照して下さい。
■ご真筆:身延久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失しております。

【崇峻天皇御書 本文】

白小袖一領・銭一ゆひ・又富木殿の御文のみ・なによりも・かきなしなまひじきひるひじき・やうやうの物うけ取りしなじな御使にたび候いぬ、さては・なによりも上の御いたはりなげき入つて候、たとひ上は御信用なき様に候へども・との其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひ・まいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木・大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへ・いきをえて・さかうる事に候。

此れもかくのごとし、阿闍世王は仏の御かたきなれども其の内にありし耆婆大臣・仏に志ありて常に供養ありしかば其の功大王に帰すとこそ見へて候へ、仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候、法華経には「我深く汝等を敬う」涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」馬鳴菩薩の起信論には「真如の法常に薫習するを以ての故に妄心即滅して法身顕現す」弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり、されば御内の人人には天魔ついて前より此の事を知りて殿の此の法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために此の病はをこれるか、上は我がかたきとは・をぼさねども一たん・かれらが申す事を用い給いぬるによりて御しよらうの大事になりて・ながしらせ給うか、彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事を・ひきをこして・いかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ。

此れにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ、一定かたきに・ねらはれさせ給いなん・すぐろくの石は二つ並びぬればかけられず車の輪は二あれば道にかたぶかず、敵も二人ある者をば・いぶせがり候ぞ、いかにとがありとも弟ども且くも身をはなち給うな、殿は一定・腹あしき相かをに顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ・殿の人にあだまれて・をはさば設い仏には・なり給うとも彼等が悦びと云う、此れよりの歎きと申し口惜しかるべし、彼等が・いかにもせんと・はげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせて・をはすれば・外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸は・もふる計りにや有らん、常には彼等に見へぬ様にて古よりも家のこを敬ひ・きうだちまいらせ給いて・をはさんには上の召しありとも且く・つつしむべし、入道殿いかにもならせ給はば彼の人人は・まどひ者になるべきをば・かへりみず、物をぼへぬ心に・とののいよいよ来るを見ては一定ほのをを胸にたきいきをさかさまにつくらん、若しきうだちきり者の女房たち・いかに上の御そろうはと問い申されば、いかなる人にても候へ・膝をかがめて手を合せ某が力の及ぶべき御所労には候はず候を・いかに辞退申せども・ただと仰せ候へば御内の者にて候間・かくて候とてびむ(鬢)をも・かかずひたたれ(直垂)こはからず、さはやかなる小袖・色ある物なんども・きずして且く・ねうじて御覧あれ。

返す返す御心への上なれども末代のありさまを仏の説かせ給いて候には濁世には聖人も居しがたし大火の中の石の如し、且くは・こらふるやうなれども終には・やけくだけて灰となる、賢人も五常は口に説きて身には振舞いがたしと見へて候ぞ、かう(甲)の座をば去れと申すぞかし、そこばくの人の殿を造り落さんとしつるにをとされずして・はやかちぬる身が穏便ならずして造り落されなば世間に申すこぎこひでの船こぼれ又食の後に湯の無きが如し、上よりへやを給いて居して・をはせば其処にては何事無くとも日ぐれ暁なんど入り返りなんどに定めて・ねらうらん、又我が家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か・天井なんどをば、あながちに・心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等は・たばかり賢かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ。

義経はいかにも平家をば・せめおとしがたかりしかども・成良(しげよし)をかたらひて平家をほろぼし、大将殿は・おさだを親のかたきとをぼせしかども平家を落さざりしには頚を切り給はず、況や此の四人は遠くは法華経のゆへ近くは日蓮がゆへに命を懸けたるやしきを上へ召されたり、日蓮と法華経とを信ずる人人をば前前・彼の人人いかなる事ありとも・かへりみ給うべし、其の上殿の家へ此の人人・常にかようならば・かたきはよる行きあはじと・をぢるべし、させる親のかたきならねば顕われてとは・よも思はじ、かくれん者は是れ程の兵士はなきなり、常にむつばせ給へ、殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかし、いかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき・已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうしの母を思ひ老者の杖をたのむが如く・主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうらやましやとこそ御内の人人は思はるるらめ・とくとく此の四人かたらひて日蓮にきかせ給へ、さるならば強盛に天に申すべし、又殿の故・御父・御母の御事も左衛門の尉があまりに歎き候ぞと天にも申し入れて候なり、定めて釈迦仏の御前に子細候らん。

返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時、殿はともして馬の口に付きて・なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ、暗(くらやみ)に月の入るがごとく湯に水を入るるがごとく冰に火を・たくがごとく・日輪にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ、若しすこしも此の事をたがへさせ給うならば日蓮うらみさせ給うな

此の世間の疫病は・とののまうすがごとく年帰りなば上へあがりぬと・をぼえ候ぞ、十羅刹の御計いか今且く世にをはして物を御覧あれかし、又世間の・すぎえぬ・やうばし歎いて人に聞かせ給うな、若しさるならば賢人には・はづれたる事なり、若しさるならば妻子があとに・とどまりてはぢを云うとは思はねども、男のわかれのおしさに他人に向いて我が夫のはぢを・みなかたるなり、此れ偏に・かれが失にはあらず我がふるまひのあしかりつる故なり。

人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務(なかつかさ)三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。

第一秘蔵の物語あり書きてまいらせん、日本始りて国王二人・人に殺され給う、其の一人は崇峻天皇なり、此の王は欽明天皇の御太子・聖徳太子の伯父なり、人王第三十三代の皇にて・をはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる、汝は聖智の者と聞く朕を相してまいらせよと云云、太子三度まで辞退申させ給いしかども頻(しきり)の勅宣なれば止みがたくして敬いて相しまいらせ給う。君は人に殺され給うべき相ましますと、王の御気色かはらせ給いて・なにと云う証拠を以て此の事を信ずべき、太子申させ給はく御眼に赤き筋とをりて候人にあだまるる相なり、皇帝勅宣を重ねて下し・いかにしてか此の難を脱れん、太子の云く免脱(のがれ)がたし但し五常と申すつはものあり此れを身に離し給わずば害を脱れ給はん、此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して六波羅蜜の其の一なりと云云、且くは此れを持ち給いてをはせしが・ややもすれば腹あしき王にて是を破らせ給いき、或時人・猪の子をまいらせたりしかば・こうがいをぬきて猪の子の眼をづぶづぶと・ささせ給いていつか・にくしと思うやつをかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや・あさましや・君は一定人にあだまれ給いなん。

此の御言は身を害する剣なりとて太子多くの財を取り寄せて御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、有人蘇我の大臣・馬子と申せし人に語りしかば馬子我が事なりとて東漢直駒(あずまあやあたいごま)・直磐井(あたいいわい)と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ、されば王位の身なれども思う事をば・たやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す、周公旦と申せし人は沐(ゆあみ)する時は三度握り食する時は三度はき給いき、たしかに・きこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ。

一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云い、はかなきを畜といふ。

建治三年丁丑九月十一日 日蓮 花押
四条左衛門尉殿御返事





by johsei1129 | 2015-12-29 21:08 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)