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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 27日 ( 2 )


2015年 12月 27日

報恩抄文段 上二三

一 ()れば釈迦(しゃか)如来(にょらい)

  此の下は次に総結、亦二と()す。初めに(まさ)しく結し、次に「(また)真言宗」の下は(どう)を引いて()()す。

  問う、文意は如何(いかん)

  答う、釈尊()いて云く「()(こん)(とう)」云云。天台釈して云く「已説(いせつ)は四時の教、今説(こんせつ)は無量義経、当説(とうせつ)涅槃(ねはん)経」云云。妙楽云く「(たと)い経有って諸経の王と云うとも、已今当説最為(さいい)第一(だいいち)と云わず。是れ兼但(けんたん)帯対(たいたい)して()の義知るべし」等云云。秀句(しゅうく)下に云く「已説の四時の教、今説の無量義経、当説の涅槃経は()(しん)()()なり(ずい)他意(たい)の故に。此の法華経は最も()難信(なんしん)難解(なんげ)なり(ずい)自意(じい)の故に」云云。

  問う、真言師の云く「法華経は釈迦所説(しょせつ)の中に第一なり。大日経は大日如来の所説の経なり。故に大日経は三説の校量(きょうりょう)(かかわ)るに非ず」云云。此の()、如何。

  答う、(なん)じて云く、()(しか)らば釈迦如来より(ほか)に、大日如来は閻浮提(えんぶだい)に於て八相(はっそう)成道(じょうどう)して大日経を説くや。()(しか)らば世に二仏無く、国に二主無きは如何。若し爾らずんば大日如来とは、(すなわ)ち釈尊(しょ)(げん)の仏身なり、(まった)く別仏に非ず。

(まさ)に知るべし、今日(こんにち)出世(しゅっせ)の釈尊は物機(もっき)(おう)(どう)し、(あるい)(じょう)(ろく)一里の劣応(れっとう)を現じ、或は十里百億の勝応(しょうおう)を現じ、或は相多身大の(ほう)(しん)を現じ、或は毘盧(びる)舎那(しゃな)(ほっ)(しん)を現ず。故に劣応(れっとう)勝応(しょうおう)、報身、(ほっ)(しん)(こと)なりと(いえど)も、皆是れ釈尊一仏(いちぶつ)の所現なり。仏身(すで)(しか)なり。説法(せっぽう)も亦()くの如し。釈尊一代五十余年の人中天上・大小(ごん)(じつ)顕密(けんみつ)迹本(しゃくほん)の無量無辺の教法は、皆是れ釈尊一仏の説法に非ざるは()なきなり。其の中に於て、法華経(もっと)()れ第一なり。故に経に云く「我が所説の経典、無量千万億にして、(すで)に説き、今説き、当に説かん。(しか)()の中に於て、()の法華経、最も()難信(なんしん)難解(なんげ)なり」等云云。何ぞ釈尊所説の(ほか)、別に大日如来有って大日経を()くと云わんや。御書三十・五十二(注:法華真言勝劣事・天台真言勝劣事)、金山七・四十三、同八・五十八等云云。雑記下十二。

(しか)れば(すなわ)ち釈尊・天台(てんだい)(みょう)(らく)伝教(でんぎょう)御心(みこころ)は一同に一切経の中に法華経第一」と云云。是れ(まさ)しく二宗の勝劣(しょうれつ)を結するなり。


                       つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-27 13:04 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 27日

GOSHO 立正安国論61 施を止めて命を絶つ 十一


 又云く「若し五戒を受持せん者有らば、(なづ)けて大乗の人と為す事を得ず、

Again the Buddha said: “Even though there may be those who observe the five precepts, they do not deserve to be called practitioners of the great vehicle.

Merely abiding by the five precepts will never qualify one as a practitioner of the Mahayana teachings.

五戒を受けざれども、正法を(まも)るを(もっ)(すなわ)ち大乗と名く、

But even if one does not observe the five precepts, if one defends the correct teaching, then one may be called a practitioner of the great vehicle.

Even if one does not observe the five precepts, one may be called a practitioner of the Mahayana teachings if he protects the correct Law.

正法を(まも)る者は(まさ)刀剣(とうけん)器仗(きじょう)(しゅう)()すべし、

Defenders of the correct teaching ought to arm themselves with knives and swords, weapons and staves.

Those who protect the true Law must bear swords and other weapons.

(とう)(じょう)を持すと(いえど)も我是等を説きて名けて持戒(じかい)と曰わん」と。

Even though they carry swords and staves, I would call them men who observe the precepts.”

Even though they possess swords and staves, they shall be called true upholders of the precepts.  

                        つづく Next
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by johsei1129 | 2015-12-27 12:48 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)