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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 24日 ( 3 )


2015年 12月 24日

報恩抄文段 上二十

 
第六段 真言伝来及び慈覚・智証を責む


一 真言宗と申す等

 此の下は第三に末法日本の蓮師(れんし)()(つう)怨嫉(おんしつ)値難(ちなん)を明かす、亦二と為す。初めに前代流布(るふ)の真言伝来を明かし、次に「(そもそ)も法華経」の下は(まさ)しく蓮祖の弘通、値難を明かす。初めの文、亦二と為す。初めに伝教の伝来を明かして(もっ)正義(しょうぎ)を示し、次に三師の伝弘(でんぐ)を明かして以て邪謬(じゃびゅう)を顕すなり。

 問う、(しばら)文相(もんそう)(じゅん)ずるに「日本国」の下は仏法最初伝来、及び六宗の伝来、並びに天台(てんだい)・真言二宗の伝来の相を明かす。故に此の下は(なお)日本伝来の中の細科(さいか)るべし。今何ぞ大科(だいか)と為して末法弘通の中の前代流布(るふ)等と云うや。

 答う、(およ)そ「況滅(きょうめつ)度後(どご)」の文を釈するに、広く三時に約し、三国に()せて釈す。(すで)に三国に寄せて釈するが故に、文の(あい)(つら)なれるは(しばら)(しょ)(もん)の如し。

(しか)るに今は大旨に約して以て科段(かだん)(わか)ち、学者をして(しょう)(ねん)として文の起尽(きじん)を見るべからしむ。是の故に(しか)るのみ。(いわ)く「況滅度後」の文を釈するに、初めに正法の四依(しえ)に約して之を釈し、次に像法の三師に約して之を釈す。既に正像(しょうぞう)に約するの相、此の文の次上(つぎかみ)(いた)って即ち(これ)を釈し(おわ)んぬ。故に知んぬ、此れより(しも)の文は(まさ)に末法に属すべし。(いわん)(また)天台(てんだい)(みょう)(らく)伝教(でんぎょう)の中の文(おのおの)初めに前代流布(るふ)(めい)(らん)を明かす。像法(なお)(しか)なり、況や末法の中に於て何ぞ之を()くべけんや。故に知んぬ、此の下は前代流布(るふ)の真言を明かすなり。

 問う、()(しか)らば何ぞ伝教の伝来を()ぐるや。

 答う、文は三国に寄せて釈するが故に、(ただ)伝教のみに(あら)ず、尚無畏(むい)玄昉(げんぼう)等の伝来を挙ぐるなり。(しか)も其の意は(まさ)しく(しょう)に対して邪を(あらわ)す為なり。故に明らかに二宗の勝劣(しょうれつ)を判ずる、即ち此の意なり。

 問う、()し前代流布の迷乱を明かさば、(まさ)(また)禅・念仏等をも明かすべし。何ぞ(ただ)真言のみを()ぐるや。

 答う、真言は是れ蓮祖(れんそ)所破(しょは)正意(しょうい)なるが故なり。清澄抄三十三・十九に云く「真言宗は法華経を失う宗なり、(これ)は大事なり()ず序分に禅宗と念仏宗の僻見(びゃっけん)を責めて見んと思ふ」と云云。

 初めに伝教の伝来を明かす中に亦三と()す。初めに前代の伝来を明かし、次に「(これ)()を伝教」の下は(まさ)しく明かし、三に「止観(しかん)」の下は二宗の勝劣を明かすなり。初めに前代の伝来を明かすに(おのずか)ら三と為す。

  初めの文に云う「日本人王・第四十四代」とは、元正天皇の養老(ようろう)年中に、無畏(むい)、大日経を渡すに時機(じき)未熟(みじゅく)の故に、和の久米寺に蔵して、(かえ)(のち)の七十年に空海(くうかい)此の経を()たり等云云。釈書一・十一、養老類雑五・三十八。


                    つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-24 21:28 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 24日

GOSHO 立正安国論58 施を止めて命を絶つ 八

又云く「(さつ)に三有り、(いわ)く下中上なり、

Again it says: “There are three degrees of killings: the lower, middle, and upper degrees.

There are three degrees of killing --- low, middle, and high [that bring about the corresponding degrees of retribution].

下とは蟻子(ぎし)乃至(ないし)一切の畜生(ちくしょう)なり、()だ菩薩の示現生(じげんしょう)の者を(のぞ)く、下殺(げさつ)因縁(いんねん)を以て地獄(じごく)畜生(ちくしょう)餓鬼(がき)()して(つぶさ)(しも)の苦を受く、

The lower degree constitutes the killing of any humble being, from an ant to any of the various kinds of animals. But the killing of any being that a bodhisattva has chosen to be born as [to help other living beings] is excluded. As a result of a killing of the lower degree, one will fall into the realms of hell, hungry spirits, and animals, and will suffer all the pains appropriate to a killing of the lower degree.

Killing any animal, even an ant, constitutes the lowest degree of killing. With the exception of killing bodhisattvas who chose to be born as animals to offer their lives in order to save the people, one who commits this offense will fall into the worlds of hell, animality, or hunger, and will suffer the lowest degree of retribution.

何を以ての故に、是の諸の畜生に()善根(ぜんこん)有り、是の故に殺す者は(つぶさ)罪報(ざいほう)を受く、

Why should this be? Because even animals and other humble beings possess the roots of goodness, insignificant though those roots may be. That is why a person who kills such a being must suffer full retribution for his offense.

Whyis this? This is because each of these animals possesses some positive karma, though small in amount. Killing any of them will inevitably result in karmic retribution.

中殺とは凡夫(ぼんぷ)の人より阿那含(あなごん)に至るまで是を名けて中と為す、

“Killing any person from an ordinary mortal to ananāgāmin constitutes what is termed the middle degree.

The middle degree of killing consists of taking the lives of any person from the level of common mortal to those who have attained the stage of anagaminsecond highest rank in the world of learning.

是の業因(ごういん)を以て地獄(じごく)畜生(ちくしょう)餓鬼(がき)()して(つぶさ)に中の苦を受く・

As a consequence of such an act of killing, one will fall into the realms of hell, hungry spirits, and animals, and will suffer all the pains appropriate to a killing of the middle degree.

Killing them creates the cause to fall into the worlds of hell, animality, or hunger, and suffer the middle degree of retribution.

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                                つづく
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by johsei1129 | 2015-12-24 20:48 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 24日

天台の摩訶止観等の講義をする「大師講」の主催を富木常忍に依頼した書【富木殿御消息】

【富木殿御消息】
■出筆時期:文永六年(1269)六月七日 四十八歳御作
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は毎月定例を行われていた「大師講(天台大師の摩訶止観等の講義))の主催を弟子の明性房が都合が悪いので、富木殿に担当してもらえないかと依頼した書となっております。

尚、大師講とは天台大師の月命日である24日の前後に、定例で弟子・信徒が担当し開催されていたと思われます。本書を記されたは文永六年は「竜ノ口の法難」の二年前であり、謂わば本書佐渡流罪以前(佐前)の書で、大聖人はこの頃は法華経を一念三千で体系化した天台の「摩訶止観、法華文句、法華玄義」を基づいて法華経の極説を説いていたと思われます。

また月一回の重要な講説の行事を弟子・信徒分け隔てなく僧俗一体で大聖人が実施していたことに、今日の大聖人門下のあり方にも示唆することが多いものがあると拝されます。
※大師講については本書の五ヶ月後に記された「金吾殿御返事」を参照して下さい。
■ご真筆:京都市 立本寺所蔵。
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[ご真筆は上下二段に分けて認められておられます。]

【富木殿御消息 本文】
(上段)
大師講事。
今月明性房にて候が此月はさしあい候。
余人之中せん(為)と候人候はば申せ給と候。
貴辺如何
(下段)
蒙仰候はん。
又御指合にて候わば他処へ申べく候。
恐々謹言。

六月七日  日 蓮花押
土木殿





by johsei1129 | 2015-12-24 18:31 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)