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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 23日 ( 3 )


2015年 12月 23日

佐渡の地で石灰虫が大発生し作物が被害を受けた状況を富木常忍に伝えられた消息【土木殿御返事】

【土木殿御返事】
■出筆時期:文永10年(1273) 十一月三日  五十二歳御作
■出筆場所:佐渡国 一の谷入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は富木常忍が佐渡の大聖人のもとに白小袖を送られたことへの返書となっております。また「仕(つかい)候なり。褒美に非ず実に器量者なり」と記され、富木常忍が大聖人に常随給仕するために遣わされた子息(養子)の伊与房について優れた人物であると称えられておられます。
さらに石灰虫が大発生し、長雨とあいまって作物が被害を受け「方死難脱れ難きか」と示し、信徒の代表格であった富木常忍に佐渡の窮状を伝えられておられます。
伊与房は後に六老僧の一人となった日頂上人で、大聖人御遷化の後は日興上人に仕え重須で弘教に励みます。
※本消息の前半部分は従来真筆が不明となっておりましたが、弘安四年十月二十七日作の『越州嫡男並妻尼事』が該当すると分かり二つの御書を合わせて文永10年十一月三日作の 『土木殿御返事』と致します。なお前半部分は北条氏一門の北条時光の流罪事件を示しておられます。※2016.2.10修正。
■ご真筆:前半箇所:大阪市 坂田氏所蔵。後半箇所:京都市 本圀寺所蔵。
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【御真筆 前半箇所:大阪市 坂田氏所蔵】
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【御真筆 後半箇所:京都市 本圀寺所蔵】

【土木殿御返事 本文】

九月九日の雁鳥(てがみ)同じき十月廿七日飛来仕り候ひ了んぬ。
抑、越州の嫡男並びに妻尼の御事是非を知らざれども、此の御一門の御事なれば謀反よりの外は異島流罪は過分の事か。
将又、四条三郎左衛門尉殿の便風、今に参府せざるの条何事ぞや。定めて三郎左衛門尉殿より申す旨候か。
伊与殿の事存の外の性情にして智者なり。
当時学問隙無く(ここまで従来『越州嫡男並妻尼事』と命名されていた御書)仕(つかい)候なり、褒美に非ず、実に器量者なり。
来年正月大進阿闍梨房と越中に之を遣わし去るべく候。
白小袖一つ給い候い畢んぬ。
今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し、
其の上疫病処処に遍満し方方死難脱れ難きか。事事紙上に尽し難く候。恐恐謹言。

十一月三日   日蓮 花押
土木殿御返事






by johsei1129 | 2015-12-23 22:44 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 23日

報恩抄文段 上十九


一 ()(のち)人王等

此の下は正しく明かす、亦二と為す。初めに略して前代流布(るふ)六宗(りくしゅう)の伝来を明かし、次に「(かん)()」の下は広く伝教の弘通(ぐつう)を明かす。

文に云く「三十七代・(こう)(とく)天王の御宇(ぎょう)までに乃至(じょう)実宗(じつしゅう)わたる」と文。(まさ)に此くの如く点ずべし。是れ(すなわ)ち孝徳天皇の御宇に五宗整束(せいそく)する故なり。啓蒙(けいもう)の意も(しか)なり。(つぶさ)撰時抄上十三の如し云云。(けだ)華厳宗(けごんしゅう)は、彼の家の一説(いっせつ)に云く、(きん)(めい)十三年に仏法最初伝来の時、華厳宗(わた)ると云云。(しばら)く此の義に(じゅん)ずれば孝徳の時、五宗整束せるなり。

文に云う「人王第四十五代に(しょう)()天王の御宇に律宗(りっしゅう)わたる」とは、

問う、撰時抄上に云く「人王四十六代(こう)(けん)天皇の御宇に(がん)(じん)律宗を渡す」(取意)云云。如何(いかん)

答う、鑑真伝来に付いて今(これ)料簡(りょうけん)せば、(じつ)に鑑真の来朝は四十六代孝謙天皇の天平(てんぴょう)(しょう)(ほう)六年なり。(しか)るに当文は、鑑真最初(はっ)(せん)の時に約せるか。(いわ)く、鑑真最初の発船は、唐の玄宗(げんそう)の天宝二年、(すなわ)ち日本の人王四十五代(しょう)()天王の天平十五年に当るが故なり。更に(かんが)えよ。

一 (かん)()御宇(ぎょう)

此の(しも)は次に広く伝教(でんぎょう)弘通(ぐつう)を明かす、亦八と()す。

初めに伝教出現。釈書の一・十七を見るべし。

二に「(やま)階寺(しなでら)」の下は師資習学。

三に「(しか)れども仏法」の下は自見発明。文に云く「鑑真和尚(わじょう)」等とは、即ち是れ天台(てんだい)四代の末学、道宣(どうせん)三代の弟子(でし)なり。謂く、受学の次第(しだい)()れば、天台-章安(しょうあん)弘景(こうけい)-鑑真なり。()受戒(じゅかい)の次第に拠れば、道宣ー弘景-鑒真なり。

四に「()の書(明鏡)」の下は六宗(りくしゅう)の邪見。

五に「(たちま)ちに(がん)を」の下は(しゅ)()発願(ほつがん)

六に「身命」の下は呵責(かしゃく)謗法。

七に「七大寺」の下は(おんてき)蜂起(ほうき)

八に「(しか)るを()ぬる」の下は高雄(たかお)問答、亦六と為す。

初めに天子臨莚(りんえん)、次に「七寺」の下は諸宗(りゅう)()、三に「最澄(さいちょう)」の下は伝教(でんぎょう)(なん)(しゃく)、四に「一言(いちごん)」の下は諸師閉口(へいこう)、五に「天皇」の下は承伏(じょうぶく)謝表(しゃひょう)啓蒙(けいもう)十一・五十四に(じき)(ぞう)等を引き謝表の本拠(ほんきょ)()す。()いて見よ。

文に云う「最澄乃至判じて云く」とは、延暦(えんりゃく)二十年十一月中旬の事なり。文の意は、()(ごん)(きょう)の義を(もっ)て法華の文を講ずるを(しりぞ)くなり。

(おのおの)一軸を講ずる」とは、是れ各法華一巻を講ずるを標するなり。 次に正判の文、三双六句なり。

(ほっ)()」「義旗(ぎき)」は、是れ法華を講ずることを(あらわ)すなり。

深壑(しんがく)」「高峰」は是れ講法の会場を顕すなり。

(ひん)(しゅ)」「長幼」は並びに是れ講を問うなり。

「三乗の(みち)徘徊(はいかい)し」とは、是れ権教の三乗の義を(しゅう)して、法華の一仏乗(いちぶつじょう)を知らざるなり。

「三有の結を摧破(さいは)して」とは、是れ権教の断惑(だんなく)を執して法華の不断(ふだん)而断(にだん)を知らざるなり。

(なお)未だ歴劫(りゃっこう)(てつ)(あらた)めず、(びゃく)()を門外に混ず」とは、(なお)(いま)だ権教の歴劫修行の執を改めざる故に、故に法華の「乗此(じょうし)宝乗(ほうじょう)(じき)()道場(どうじょう)速疾(そくしつ)なることを知らず、故に三車の中の牛車(ごしゃ)(もっ)て、即ち大白(だいびゃく)牛車(ごしゃ)()す。是れ白牛を門外に(こん)ず。()(しか)らば(あに)善く初住(しょじゅう)(くらい)(のぼ)り「阿」字(そく)()」字を生身(しょうしん)(さと)らんや等云云。

文に云く「(ひろ)()()(つな)」等とは、二人直ちに伝教(でんぎょう)即ち是れ南岳(なんがく)天台(てんだい)なりと信じ喜ぶなり。又(かえ)って伝教()(ぜん)は法華の実義未だ(あらわ)れざることを慨悲(がいひ)するなり。此の意を以て(こん)(もん)を見るべきなり。

問う、撰時抄上三十四に「(ひろ)()国道(くにみち)」と云云。国道・()(つな)は同人とせんや、別人とせんや。

答う、別人なり。啓蒙(けいもう)十四・二十一、釈書一・二十五。 

文に云く「何ぞ(せい)()(たく)せんや」とは、是れ(かん)()の聖代を指すなり。

六に「()の十四人」の(しも)は、六宗(りくしゅう)の破滅を明かす、亦二と()す。初めに(まさ)しく(しゃく)し、次に「(しか)るを今」の下は世情を()するなり。


                     つづく
報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-23 12:53 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 23日

GOSHO 立正安国論57 施を止めて命を絶つ 七

又云く「我れ往昔(むかし)(おも)うに閻浮提(えんぶだい)に於て大国の王と()れり、

Elsewhere in the same sutra, the Buddha spoke in these words: “When I recall the past, I remember that I was the king of a great state in this continent of Jambudvīpa.

The same sutra teaches: As I recall my past lives, I remember that I once was the king of a large country in this Jambudvipa.

名を(せん)()と曰いき、大乗経典(きょうてん)愛念(あいねん)敬重(けいじゅう)し、()の心純善(じゅんぜん)麤悪(そあく)(しつりん)有ること無し、

My name was Sen’yo, and I loved and venerated the great vehicle scriptures. My heart was pure and good and had no trace of evil, jealousy, or stinginess.

My name then was Sen’yo. I possessed a strong attachment to the Mahayana scriptures and profoundly revered them. I had a pure and sincere heart, completely free of wickedness, jealously, or stinginess.

(ぜん)男子(なんし)、我()の時に於て心に大乗を重んず、()羅門(らもん)の方等を誹謗(ひぼう)するを聞き聞き(おわ)つて即時に其の(みょう)(こん)(だん)ず、

Good men, at that time I cherished the great vehicle teachings in my heart. When I heard the Brahmans slandering these correct and equal sutras, I put them to death on the spot.

My disciples, at that time I deeply treasured the Mahayana teachings. Thus, after I heard a Brahman slandering these universal and correct teachings, I took his life.

善男子、是の因縁(いんねん)を以て是より已来(いらい)地獄(じごく)()せず」と、

Good men, as a result of that action, I never there after fell into hell.”

My disciples, because of this causal relationship that I created, I have never fallen into hell since then.

又云く「如来(にょらい)昔国王と()りて菩薩(ぼさつ)の道を行ぜし時、爾所(そこばく)()羅門(らもん)の命を断絶(だんぜつ)す」と、

In another passage it says, “In the past, when the Thus Come One was the ruler of a nation and practiced the way of the bodhisattva, he put to death a number of Brahmans.”

Another passage from the same sutra says, “When the Tathagata was practicing bodhisattva austerities as a king, he killed some Brahmans.

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                    つづく Next
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by johsei1129 | 2015-12-23 07:51 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)