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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 11日 ( 2 )


2015年 12月 11日

報恩抄文段 上七


一 所謂
華厳(けごん)

  此の下は釈、(また)二と為す。初めに元祖(がんそ)を挙げ、次に(はん)(ぎょう)を明かす。

文に云う「()(じゅん)智儼(ちごん)」等とは、杜順、本名は(ほう)(じゅん)なり。此の人杜氏(とうじ)なり。故に杜順和尚(わじょう)と云うなり。(もっぱ)ら華厳を弘め、(もっ)て霊華寺の智儼に授け、智儼は賢首(げんじゅ)法蔵(ほうぞう)に授くるなり。唐の太宗(たいそう)の時の人なり。智儼は別に伝無し。杜順の伝に付出(ふしゅつ)するなり。「法蔵」は即ち是れ賢首の事なり。亦(こう)(ぞう)大師と名づく。則天(そくてん)(ちょう)に金師子の(たとえ)を説きし人なり。「(ちょう)(かん)」は即ち是れ清涼(しょうりょう)国師(こくし)なり。書註の第三、第四、啓蒙(けいもう)五・六十二、往いて見よ。

  「玄奘(げんじょう)()(おん)」は(とう)()第三十巻、書註の三巻。「()(しゅう)」は(ぼく)(よう)の智周なり。註の八・六、啓蒙十三・二十二。

文に「()(しょう)等」と云うは、「智」の字恐らくは(あやま)れり。(まさ)に「(どう)(しょう)」に作るべし。法相宗(ほっそうしゅう)の日本伝来は(およ)四箇(しか)()なり。第一は道昭、第二は智通(ちつう)()(たつ)、第三は()(ほう)智鸞(ちらん)()(おう)、第四は玄昉(げんぼう)なり。此の中に「智昭」と云う人無し。故に知んぬ、本朝伝来の第一の道昭を()げ、以て余人を(ひと)しゅうするなり

撰時抄下三十五に「道昭・智鳳等」等云云。上二十三に云く「法相宗(ほっそうしゅう)の慈恩・道昭」と云云。註の六・十八に云云。

(こう)(こう)」は即ち是れ天台所破(てんだいしょは)河西(かせい)(どう)(ろう)なり。興皇寺に住するが故に興皇と云うなり。「()(じょう)」は即ち興皇の弟子なり。取要抄初めに「嘉祥・道朗」等云云。註の五・十五、同八・六、同十・十二、啓蒙二十・三、()いて見よ。

  「善無畏(ぜんむい)金剛(こんごう)()」等は仏祖統紀の三十巻、註の三、同六等。其の(ほか)は常の如し。

  問う、初めに「七宗」と標し、今(なん)唯六(ただろく)(しゅう)()ぐるや。

  答う、()(かく)智証(ちしょう)は、(あるい)は是れ天台宗、或は是れ真言宗なるが故なり。

一 此等の宗宗(しゅうじゅう)の人人等

  此の(しも)(はん)(ぎょう)を明かすなり。

文に云う「本経・本論によりて」とは、開目抄下二十、取要抄三に「諸経(おのおの)第一」等の文を引くなり云云。

一 (しか)(かみ)に挙ぐる諸師は世間の人人・各各(おのおの)おもえり

  (あるい)(まさ)に「各各重んじ」と作るべきか云云。此の下は三に、世人の帰依(きえ)を明かすなり。法蓮抄に云く「愚人の正義(しょうぎ)(たが)うこと昔も今も(ことな)らず、(ただ)外相(げそう)のみを(とうと)び内智を貴ばず」等云云。(注:この文、御書に拝せず)之を思い合すべし。

一 我等凡夫は等

  此の下は次に今家の正判を明かす。文を分ちて三と()す。初めに疑を起し願を立つるを示し、二に「我(ただ)ちに」の下は涅槃(ねはん)遺誡(ゆいかい)(じゅん)ずるを示し、三に「随つて法華経」の下は正しく法華の明文に()って一代諸経の勝劣(しょうれつ)を判ずるなり。

文に「国主は(ただ)一人なり」と云うは、(ぞう)一含(いちごん)三十二・二に云く「一国の中にも(また)二主無し。一仏の境界に二の尊号無し」云云。疏記(しょき)第一に云云。礼記(らいき)七・十四に云く「天に二日無く、土に二王無し」等云云。

一 我(ただ)ちに一切経を開きみるに

 此の(しも)は二に涅槃の遺誡(ゆいかい)准ずるを示す文、(また)二と為す。初めに文を引いて義を釈し、次に「されば仏」の下は(さき)を結し(のち)を生ずるなり。初めの文に亦二あり。初めに人法相対、次に「(また)云く」の下は法法相対。(おのおの)引文・釈義あり。見るべし。

文に云う「涅槃経」とは会疏(えしょ)六・二。

 文に云う「(りょう)()経と申すは法華経」等とは、

 問う、何ぞ通じて()(ぜん)を不了義と名づけ、(ただ)今経を了義経と名づくるや。

 答う、(かい)未開(みかい)異なる故なり。故に授決集(じゅけつしゅう)下終に云く「若し細に至って(これ)を論ぜば、五時の中に三()の円は(なお)是れ未了義なり。(いま)()を開せざる故に」等云云。円教すら(なお)(しか)なり(いわん)や三教をや。記の三下六十六に「法華()(ぜん)は不了義」と云うは是れなり。


                     つづく
報恩抄文段上 目次 



by johsei1129 | 2015-12-11 22:18 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 11日

GOSHO 立正安国論45  和漢の例を出だす八


 又阮藉(げんせき)(いつ)(さい)なりしに蓬頭(ほうとう)(さん)(たい)す、

[ The Great Concentration and Insight passage goes on to say:] “Juan Chi was a man of extraordinary talent, but he let his hair grow like a mass of brambles and left his belt undone.

Also, a man by the name of Ruan Ji exceptional talent, but his hair was always long and tangled, and his sash was carelessly tied.

(のち)(こう)(けい)の子孫、皆(これ)(なら)いて奴苟(どこう)(あい)(はずか)しむる者を(まさ)自然(じねん)に達すと云い、撙節(そんせつ)兢持(きょうじ)する者を呼んで田舎(でんしゃ)と為す、

Later, the sons of the aristocracy all imitated him, until those who behaved in a churlish and insulting manner were thought to be acting quite naturally, and those who were restrained and proper in their behavior were ridiculed as mere peasants.

The offspring of the court nobles and high-ranking officials followed his example, even talking to each other using vulgar language, believing they would thus reach a state of naturalism. They looked down on individuals with self-discipline who observed decent manners, calling them country bumpkins.

是を司馬(しば)氏の滅する(そう)と為す已上。

This was a sign that the Ssu-ma family [the rulers of the Western Chin dynasty] would meet with their down fall.”

These were the signs seen before the fall of the Sima Western Jin) dynasty [265-316 CE].


                      つづく Next
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by johsei1129 | 2015-12-11 21:57 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)