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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 08日 ( 3 )


2015年 12月 08日

報恩抄文段 上四


   第一段  
報恩の道理を明かす

 

一 ()老狐(ろうこ)は塚をあとにせず

淮南子(えなんじ)に云く「(うさぎ)は死して(いわや)に帰り、(きつね)は死するに(おか)(まくら)にす」と文。楚辞(そじ)に云く「鳥飛んで古郷(こきょう)に帰り、狐死するに必ず丘を首にす」と云云。朱子(しゅし)の註に云く「鳥の飛んで古郷に帰るは、古巣(ふるす)を思えるなり。狐の死して必ず丘を(まくら)にするは、其の(みずか)ら生るる所を忘れざるなり」と。(じょう)(げん)の註に云く「狐は(けつ)(きゅう)(もっ)て生る、(また)丘に(そむ)いて死するに(しの)びざるは、恩を忘れざるなり」と。(つぶさ)に註及び啓蒙の中に諸文を引くが如し。

一 (はく)()(もう)(ほう)が恩をほうず

  開目抄上三十七に云く「毛宝が亀は、あをの恩をわすれず」等云云。
 「あを」は
衣裳(いしょう)の類なり。漁父に衣装を与えて亀を助くる故なり。
「毛宝白亀」に
(すなわ)ち両説あり。

一には(もう)(ぎゅう)中の註に晋書(しんしょ)列伝(れつでん)五十一を引く。其の説は毛宝が軍士(ぐんし)に約す。(ただ)ちに毛宝には非ざるなり。()(ぶん)類聚(るいじゅう)三十五も之に同じ。

二には瑯邪(ろうや)代酔(だいすい)三十八の意は直ちに毛宝に約す。啓蒙(けいもう)六・十二に蒙求、大綱抄、盛衰記(せいすいき)二十六、之に同じ。

  又亀を放って報を得るは、其の事(はなは)だ多し。唐の劉彦(りゅうげん)(かい)水難を(まぬか)るるの事、啓蒙の六・十二に瑯邪代酔二十一巻を引く。(しん)孔愉(こうゆ)印亀(いんき)三たび(かえり)みる事、蒙求の下八。楊州(ようしゅう)(ごん)(きょう)の事、法華伝の八・十二。山陰(やまかげ)中納言(ちゅうなごん)の事、和語記の上八。(ただ)源平(げんぺい)盛衰記(せいすいき)二十六には(にょ)無僧都(むそうず)と云う。其の余は大同云云。

  又(かに)の恩を報ずる事、(しゃ)(せき)八・三。魚の恩を報ずる事、開目抄上三十六。啓蒙六・三十の註。(からす)の恩を報ずる事、御書十六・四十二。啓蒙二十六・八十六云云。本草(ほんぞう)()(ちん)云く「烏、この鳥初め生まるとき母に()すること六十日、則ち反哺(はんぽ)すること六十日、()(こう)()うべし」と云云。(はく)()文集(もんじゅう)一・十五に云く「()()夜啼(よるな)。慈烏()の母を失い、唖唖(ああ)(あい)(おん)()く乃至鳥中(ちょうちゅう)(そう)(しん)」文。猿の恩を報ずる事、沙石(しゃせき)八・五云云。恥ずべし、恥ずべし。是の故に之を引く。

一 ()(じょう)といゐし者は(つるぎ)をのみて()(はく)が恩にあて

  史記八十六・四。註云云。

  問う、蒙求に云く「予譲は(すみ)()む」等云云。故に(まさ)に「炭を呑む」と云うべし。(なん)ぞ「剣を呑む」と云うや。

  答う、文意は炭を呑みて剣に()す。智伯の恩に()するなり。今は是れ文を(たくみ)にす、故に「剣を呑む」と云うなり。(ごん)抄に「刀を口に入れて死す」と云えるは、(しか)るべからざるか。

一 (こう)(えん)乃至(えい)()(こう)(きも)を入れたり

  註の三・十七に諸文を引く、()いて見よ。開目抄に「()(おう)」に作るは(あやま)りなり。

一 いかにいわうや乃至父母・師匠・国恩をわするべしや

  問う、十法界明因果抄十六・三十五に云く「()(おもん)みれば持戒(じかい)は父母・師僧・国王・主君の一切衆生三宝(さんぽう)の恩を報ぜんが(ため)なり」と云云。此の文は(つぶさ)に六恩を()ぐ。今何ぞ(ただ)(さき)の三を挙げて(のち)の三を挙げざるや。

答う、今は(まさ)しく沙門(しゃもん)の報恩に約す。故に主君の恩を()げざるなり。(けだ)し一切衆生の恩は父母の恩に合す。故に(べっ)して之を挙げざるなり。若し三宝の恩は文に於て便(びん)ならず、故に(しばら)く之を略す。(いわ)く、次下(つぎしも)に恩を()てて恩を報ずるを明かす。(しか)るに三宝には此の義無きが故なり云云。若し元意(がんい)の辺は、(ただ)世の主師(しゅし)(しん)の三徳の恩を挙ぐる所以(ゆえん)は、出世の三徳の重恩を忘るべからざることを(あらわ)すなり。


                    つづく

報恩抄文段上 目次



by johsei1129 | 2015-12-08 20:51 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 08日

GOSHO 立正安国論42  和漢の例を出だす五

釈尊(しゃくそん)説法(せっぽう)(うち)、一代五時の間に先後を立てて(ごん)(じつ)(べん)ず、

Shakyamuni Buddha expounded the five periods of doctrines, established the order in which they were preached, and divided them into the provisional and the true teachings.

Buddhism, Shakyamuni made a distinction between the provisional and true teachings by categorizing his lifetime doctrines of the five periods into two phases, the former and the latter.

(しか)るに曇鸞(どんらん)道綽(どうしゃく)善導(ぜんどう)(すで)(ごん)()いて実を忘れ、(せん)()つて後を捨つ、(いま)だ仏教の淵底(えんでい)(さぐ)らざる者なり、

But T’an-luan, Tao-ch’o, and Shan-tao embraced the provisional teachings and forgot about the true ones, went by what had been taught in the earlier period of the Buddha’s life and discarded what was taught later. They were not the kind of men who delve into the deep places of Buddhist doctrine.

Paying no heed, Tanluan, Daochuo and Shandao adhered to the provisional teachings of the former phase, ignoring the true teachings. They relied on the former and discarded the latter. I would have to say that these priests chose not to explore the ultimate depths of the Buddhist teachings.

就中(なかんずく)(ほう)(ねん)は其の(ながれ)()むと(いえど)も其の(みなもと)を知らず、

Hōnen in particular, though he followed the practices advocated by these earlier men, was ignorant as to their source.

Even worse, Hōnen, although he was utterly ignorant of the origin of these Buddhist teachings.

所以(ゆえん)(いか)ん、

How do we know this?

How can I make this claim

大乗経の六百三十七部二千八百八十三巻・並びに一切の諸仏菩薩及び(もろもろ)の世天等を以て捨閉(しゃへい)閣抛(かくほう)の字を置いて一切衆生の心を(かろ)んず、

Because he lumped together all the 637 Mahayana scriptures in 2,883 volumes and along with them all the Buddhas and bodhisattvas and the deities of this world, and urged people to “discard, close, ignore, and abandon” them, with these four injunctions corrupting the hearts of all people.

Because he has caused a tremendous number of people to lose faith by teaching the four words,“discard, close, ignore, and reject” in regard to the 2,883 fascicles of the 637 works of all the Mahayana scriptures as well as all Buddhas, bodhisattvas, and guardian deities.

是れ(ひとえ)私曲(しきょく)(ことば)()べて全く仏経の説を見ず、

Thus he poured out perverted words of his own invention and took absolutely no cognizance of the explanations put forth in the Buddhist scriptures.

This idea, however, is derived from Hōnen’s twisted interpretation of the true intention of the Buddha and not at all based on the Buddha’s teachings.

妄語(もうご)(いた)り、悪口(あっく)(とが)、言うても(ならび)()()めても(あま)り有り、

His is the worst kind of baseless talk, a clear case of defamation. There are no words to describe it, no way to censure it that is not too mild.

The offense he commits from stating such falsehood is the most serious. The negative causes he creates by slandering the Buddha is incomparable. It is not possible to condemn him enough.


                   つづく Next
御書本文】【目次 Index



by johsei1129 | 2015-12-08 20:17 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 08日

佐渡の阿仏房が亡くなったことを知った大聖人が法華経自我偈の文を引いて「 故阿仏房は一心欲見仏の者なり」と、故阿仏房の法華経信仰を称えられた書【故阿 仏房讃歎御書】

【故阿仏房讃歎御書】
■出筆時期:弘安二年(1279年)三月以降 五九歳歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:佐渡流罪の時の献身的な外護、また遥々佐渡から三度も身延の草庵に見参された強信徒の阿仏房が、弘安三年三月二十一日、九十一歳で大聖人に随順された尊い生涯を終えられた。このことを知った大聖人は法華経二十八品中最重要の偈如来寿量品第十六「自我偈」の文を引かれ、「故阿仏房は一心欲見仏の者なり」讃えられておられます。

大聖人が阿仏房の死を知ったのは、本書で「あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ候はざらむ」と記されておられることから、恐らく千日尼から夫の死去の直後に、一報を大聖人の元に送られたものと推察され、本書は千日尼に宛てられた返書の消息であると推察されます。

本書の御真筆は僅かに第四紙のみが新潟県三条市の本成寺に残されておりますが、大聖人はその文中で、如来寿量品第十六の『自我偈』の文「方便現涅槃而実不滅度及び一心欲見仏」を引いて故阿仏房の法華経への志を称えられるとともに、佐渡で大聖人に帰依して以来、生涯随順された阿仏房を「あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ候はざらむ」と弔われておられます。

佐渡で行われた「塚原問答」での大聖人の他宗派の僧侶との法論に感銘し、直ちに念仏を捨て大聖人に帰依した阿仏房は法華経の研鑽に励み、大聖人に度々法華経のご文について問われておられます。そのなかで、法華経 見宝塔品第十一で説かれている大地より出現する「宝塔」について問われたことへの大聖人の返書が『阿仏房御書』)として残されております。この中で大聖人は「末法入つて法華経を持つ男女のすがたより外(ほか)には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と、となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり<中略>然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」説かれるとともに「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ」と記され、御本尊を阿仏房・千日尼夫妻に下付されておられます。
※尚、阿仏房・千日尼については『小説 日蓮の生涯(下) 91千日尼と阿仏房』を参照して下さい。
■ご真筆:新潟県三条市 本成寺(第四紙)所蔵。
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[故阿仏房讃歎御書 本文]

方便現涅槃而実不滅度ととかれて、八月十五夜の満月の雲にかくれてをはするがごとく、にいまだ滅し給はず候なれば、人こそ雲にへだてられてみまいらせず候とも、月は仏眼・仏耳をもってきこしめし御ら□□(むあ)らむ。

其の上故阿仏房は一心欲見仏の者なり。あに臨終の時釈迦仏を見まいらせ□□□□(候はざら)む。其の上

※本抄の前後の文は残されておりません。尚、□□( )の表記は判読不明箇所を推定した文です。

【妙法蓮華経 如来寿量品第十六・自我偈】

 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
 為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山
 [和訳]
 自から我(釈尊)仏を得て以来、へたる諸の劫(長遠な時間)の数は、無量百千万億載阿僧祇なり。
 常に法を説きて無数億の衆生を教化し、仏道に入ら令めて以来、無量劫なり。
 衆生を度すが為の故に、方便にて涅槃を現わすも実には滅度せずして常に此(娑婆)に住して法を説くなり。
 我、常に此に住して諸の神通力を以て、(心が)顛倒している衆生をして、(仏)が近くにいると謂えど、(衆生は我を)見ることあたわず。
 衆(生)は我が滅度を見て、広く舎利(遺骨)に供養し、ことごとく皆、(仏に)恋慕を懐いて、渇仰の心を生ずる。
 衆生は既に(仏に)信伏して、質直にして意(こころ)柔軟になり、一心に仏を見んと欲して、自から身命を惜しまざれば、その時、我及び衆僧は、倶に、此の霊鷲山に出ずるなり。





by johsei1129 | 2015-12-08 19:53 | 阿仏房・千日尼 | Trackback | Comments(0)