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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 04日 ( 4 )


2015年 12月 04日

大事には小瑞なし大悪をこれば大善きたるすでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、と説いた【大悪大善御書】

【大悪大善御書】
■出筆時期:文永十二年(1277) 五十四歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄はご真筆の断簡が残されておりますが、全体の内容は判明しておりません。
文中で「各各なにをかなげ(嘆)かせ給うべき」と記されていることから、日蓮門下の弟子檀那一同に宛てられた書と思われます。
本書を記された文永十二年の四月十五日(4月25日後宇多天皇即位により建治と改元)、蒙古の使者が長門室津(現在の下関市)に到着、幕府は鎌倉に護送して折衝をします。
この状況から文永の役に引き続き再度の蒙古来襲が必至と、日本国中が騒然とした世情であったと思われ、大聖人は本書で「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」と断じ、弟子信徒一同を諭されものと拝されます。
尚、蒙古の使者との折衝の状況については『小説日蓮(中)61 弟子たちの布教』を参照してください。
■ご真筆:堺市 妙国寺(断簡)所蔵。

[大悪大善御書 本文]

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。
すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし。

各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし。

上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそいで給いしか。普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり。
事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし。





by johsei1129 | 2015-12-04 22:56 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 04日

撰時抄愚記 終 寿量文底の最大深秘の大法・十界具足の大御本尊、冥に顕に我等を守護し給う

   
十八日

   
   第三十六段 
御身(おんみ)符合(ふごう)を明かす


一 
(そもそも)此の法華経の文等。

 此の下は蓮祖の御身、二経の文に符合するを(あらわ)すなり云云。

一 (ただ)無上道を()しむ

 一には(ごん)(じつ)相対、方便品の「(ただ)無上道を説く」の文是れなり。

二には本迹(ほんじゃく)相対、寿量品の「得入(とくにゅう)無上道」の文是れなり。

三には(しゅ)(だつ)相対、文底下種の妙法は無上の中の無上なり。

御義の上三十に云く「今日蓮等の(たぐ)いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の(ごく)無上なり」等云云。

一 涅槃(ねはん)経に云く等

 会疏(えしょ)九二十。

一 (たと)えば王使(おうし)(乃至)如し等

  論語三・五十一、要言古事九・四十五、語園下三十三等。

一 (むし)ろ身命を(うしな)

  藺相如(りんしょうじょ)、強き(しん)使(つかい)す。註千字の上四、三国伝二八、源平盛衰記二十八・九に云云。此等は(しばら)()()の為に事を引いて之を示すか。

一 答えて云く()が初心の時の存念(ぞんねん)

  此の下は三と為す。初めに(えら)び、次に「経文に我不」の下は正釈、三に「此の事は今の」の下は結。第二の正釈に(また)三あり。初めに法華の怨敵(おんてき)を示し、次に「法華経の第五」の下は法華の行者を示し、三に「(しか)るを(また)」の下は身命(しんみょう)を愛せざることを示す。

一 霊山(りょうぜん)浄土(じょうど)

  是れ結文なり。寿量文底の最大深秘(じんぴ)の大法・十界具足(ぐそく)の大本尊、(みょう)(けん)に守護し給うなり云云。是れ元意(がんい)なり。



  撰時抄(おわ)んぬ。

 
()れ時、正徳六(ひのえ)(さる)年三月十八日


                  上野学頭 
大貮(だいに) 日寛  華押


撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-12-04 21:28 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 04日

撰時抄愚記 下二六 御本仏を侮る義を以て彼が胸中を知れ


  第三十五段 現証の文を引く


一 
(ぼん)(のう)にもすぐ()帝釈(たいしゃく)にも()えたり等

 「梵王にもすぐれ」とは是れ親の徳を顕すなり。「帝釈にもこえ」とは是れ主徳を顕すなり。(いま)師徳を()げざるは、次上(つぎかみ)の「満月」の(たとえ)(すなわ)ち師徳なるが故なり。

一 ()むる者は福を安明(あんみょう)に積み

 啓蒙(けいもう)に云く「此れ伝教の釈の名言なるが故に、我が()(しゅう)思召(おぼしめ)し、御本尊にも処々に(あそ)ばせり」等云云。此等の義を以て彼が胸中(きょうちゅう)を知れ云云、云云。

(いわ)く、本尊の(さん)に此の文を引く(こころ)は、自受用(じじゅゆう)(しん)即一念三千なるが故なり云云。秘すべし、秘すべし。

一 日蓮今生(こんじょう)に大果報なくば等

 (すで)に是れ(えん)()第一の法華経の行者なり。既に是れ閻浮第一の智人なり。既に是れ閻浮第一の聖人なり。既に末法下種の教主と顕れ給えり。(あに)大果報に非ずや。経に云く「是くの如き大果報、種々の性相(しょうそう)の義。我及び十方の仏(いま)()く是の事を知れり」文。

一 我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおし()まず修行して、此の(たび)仏法を心みよ文。


                    つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-12-04 21:09 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 04日

撰時抄愚記 下二五


     十五日


一 伝教大師云く等

 秀句(しゅうく)()十紙の文なり。

一 (ごう)(じょう)に信じて(しか)一分(いちぶん)()なからん人人等

 経に「有能(うのう)受持(じゅじ)」と云う、故に無解(むげ)有信(うしん)に約するなり。是れ即ち「信力の故に受け、念力の故に(たも)つ」の故なり。

一 彼の人人は(あるい)()(きょう)(ぎょう)

 第一の句は色心(とも)に移るの人なり。(かじ)(ょう)等の如きなり。第二の句は心を移して()を移さず。()(おん)等の如し。第三の句は色心倶に移らず。善導(ぜんどう)(ほう)(ねん)等の如し云云。

一 されば今法華経の行者は心()べし

 意に云く「有能受持」等の文は第八の(たとえ)の下に()りと(いえど)も、(じゅ)(うゆ)の一一の下に(これ)有り心得(こころう)べしとなり。

一 又(しゅ)(しょう)の中に(乃至)如く

 問う、何ぞ別して大海、月天(がってん)の二喩を()ぐるや。

 答う、大海の(たとえ)の如き、(しばら)く二意を明かさば、一には(たて)に深く横に広し。是れ蓮祖の慈悲の広大を(あらわ)す。二には大海は平等なれども死屍(しし)(とど)めず。是れ慈悲は平等なれども謗者(ぼうしゃ)()せざるを顕すなり。三十三・九云云。

次に月の(たとえ)の如きは、是れ蓮祖の三徳を顕すなり。(いわ)く、月は虚空(こくう)に住し()(もろもろ)(やみ)を除き、能く万物を育つ。虚空に住するは是れ主君の徳なり。闇を除くは是れ師の徳なり。万物を養うは是れ親の徳なり。(しか)りと雖も、別して之を論ぜば(ただ)是れ師の徳なり。故に経に「照明(しょうみょう)」と云うなり。

一 日蓮は満月のごとし

「満月」は是れ妙覚究竟(くきょう)(たとえ)なり。会疏(えしょ)十八・五、文の三・九十三。(また)信心の厚薄(こうはく)に約す。三十三・十二に云く「法華経を深く信ぜざるは半月の如し。深く信ずる者は満月の如し」等云云。

「伝教大師の云く」とは、秀句(しゅうく)下十三の文なり。


                 つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-12-04 20:55 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)