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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 03日 ( 2 )


2015年 12月 03日

法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり、と説いた【上野殿 尼御前御返事(衣食御書)】

【上野殿尼御前御返事(衣食御書)】
■出筆時期:文永十一年(1274) 五十三歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光(上野殿)の母(尼御前)から銭一貫を送られたことへの返書となっております。
大聖人は文中で「法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり」と記され、法華経に供養することの功徳の大きさについて述べられて上野殿尼御前の常に変わらぬ法華経への志を讃えられておられす。また後段では、強信徒であった亡き夫南条兵衛七郎に思いを馳せ「夫の別れは日々、夜々、月々、年々重なればいよいよ恋しく増さり」と、尼御前を慰められておられます。

文末の「又弟子をも一人つかわして御はか(墓)の<欠損箇所>一巻の御経をもと存じ候へども、この身はしろしめされて候がごとく、上下ににくまれて候ものなり」の箇所は、南条兵衛七郎の墓参りに弟子を遣わされたことと、大聖人自ら墓前にて法華経を唱えたいと願っているが、日本国中から非難されている今、南条家に無用な迷惑をかけるので留めていると、されておられます。

尚、九年前の文永二年三月八日に南条兵衛七郎殿が亡くなられた時、大聖人はわざわざ安房国から駿河上野郷を訪れ、南条兵衛の墓に墓参されておられます。※参照:【上野殿後家尼御返事】
■ご真筆:西山本門寺、京都市妙蓮寺、本蓮寺の三ヶ所にて断簡所蔵。

[上野殿尼御前御返事(衣食御書) 本文]

鵞目一貫・給い畢んぬ、それじき(食)はいろ(色)をまし・ちからをつけ・いのちをの(延)ぶ、ころも(衣)はさむ(寒)さをふせぎ、あつ(暑)さをさえ・はぢ(恥)をかくす、人にものをせ(施)する人は、人のいろをまし・ちからをそえ・いのちをつぐなり。

人のために火をともせば人のあかるきのみならず、我身もあかし、されば人のいろをませば我いろまし、人のちからをませば我ちからまさり、人のいのちをのぶれば我いのちののぶなり。

法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。
やまい(病)ある人は、法華経をくやう(供養)すれば身のやまいうすれ、いろまさり、
ちからつきてみれば、とのもさわらず、ゆめ(夢)うつヽ(現)かわずしてこそをはすら
め、そひ(添)ぬべき人のとぶら(訪)わざるも、うらめしきこそをはすらめ、

女人の御身として、をやこ(親子)のわかれにみをすて、かたちをかうる人すくなし、
をとこ(夫)のわかれは、ひゞ、よるよる・つきづき(月々)・としどし(年々)かさなれば、いよいよこい(恋)しくまさり、をさなき人もおはすなれば、たれをたのもてか人ならざらんと、かたがたさこそをはすらんれば、わがみもまいりて心をもなぐさめたてまつり、又弟子をも一人つかわして御はか(墓)の<欠損箇所>一巻の御経をもと存じ候へども、この身はしろしめされて候がごとく、上下ににくまれて候ものなり。
(この後の文はのこされておりません)





by johsei1129 | 2015-12-03 22:17 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 03日

撰時抄愚記 下二四 謗法の相貌、種脱相対して之を明かすべきなり


 第三十四段 外難を遮す

一 問うて云く(まん)煩悩(ぼんのう)
 此の下は外難(げなん)(しゃ)するなり。

一 七慢。

 一には慢。他に劣れるに(おの)(まさ)ると(おも)う。

 二には過慢(かまん)。他に等しきに己れ勝ると謂う。

 三には慢過慢。他の勝れるに己れ勝ると(おも)う。

 四には我慢。我と我が所に(しゅう)す。

 五には増上慢。(いま)()ざるを得たりと謂う。

 六には卑慢(ひまん)。他の多分に勝れるに己れ少しく劣れりと謂う。

 七には邪慢。徳()に徳有りと謂う。

(いま)略して意を取って之を示す。「九慢」は「七慢」の中の慢過慢、卑慢より出ずるなり。「八慢」とは一には色憍(しききょう)、二には盛壮(じょうそう)、三には富憍、四には自在憍、五には姓憍、六には行善憍、七には寿命憍、八には聡明(そうめい)。(注:憍おごる、お

一 徳光(とくこう)論師は弥勒(みろく)菩薩を(らい)せず

  西域(せいいき)四十二。天軍羅漢(らかん)の神力に()兜率(とそつ)天に摂して、()()比丘(びく)像に非ざるを見、之を礼せざるなり。

(まさ)に知るべし、比丘(びく)の俗を礼するに略して三意有りと。

 一には涅槃(ねはん)経六・二十五に、知法の者を礼するは、是れ敬法の(こころざし)を顕すが故なり。

 二には浄名(じょうみょう)弟子品に、比丘、浄名を礼するは、是れ聞法の恩重きが故なり。名疏(みょうしょ)五・六。

  三には不軽(ふきょう)菩薩の四衆を礼するは、仏性是れ仏果に同じきが故なり。(つぶさ)に記の第十・三十二の如し。追、名義の四・五十。

一 大慢婆(だいまんば)羅門(らもん)は四聖を座とせり。

  西域十一十三。大自在天・()藪天(そてん)()()(えん)(てん)大覚世尊の「四聖」なり。賢愛論師に()められて、現に無間に入れり。(さき)の如し。

一 大天は凡夫にして阿羅漢(あらかん)となのる

  註の七・四十九に、補註(ふちゅう)十四、大婆沙(だいばしゃ)九十九巻を引く。俗に在るの時、三逆罪を作る。出家の後、五の悪見を生ず。死ぬる時焼けず。()(ふん)酒穢(しゃわい)して焼く等云云。

一 無垢(むく)論師が五天第一等

  (もと)小乗に於て出家し、五天竺(てんじく)(あそ)び三蔵を学す。(のち)、大乗を(そし)って(こころ)狂乱を(おこ)し、五(ぜつ)重なり出でて熱血流涌(りゅうゆ)す。その死処に当り、地()ちて(きょう)となる。羅漢見て云く「(いま)此の論師、大乗を毀悪(きあく)して無間の獄に()つ」云云。西域の四・十五、註の四・十七。

謗法の相貎(そうみょう)顕謗法抄十二・三十二に内外相対・大小相対・権実相対して之を明かす。(また)迹本相対・種脱相対して之を明かすべきなり。

一 (てっ)(ぷく)再誕(さいたん)

大論の十一・六に云う。鉄を以て腹に(はらまき)す。所学(はなは)だ多く、腹を破裂せんことを恐れてなり。また頭上に火を()す。是れ世上愚痴(ぐち)の大闇を破るとなり。

一 現に(すぐ)れたるを勝れたりと云う乃至大功徳なりけるか

  是れ即ち今経の妙用(みょうゆう)を顕すが故なり。二十八・十に云く「日蓮は一閻(いちえん)浮提(ぶだい)第一の聖人なり(乃至)此れ(ひとえ)に日蓮が貴尊なるに非ず、法華経の御力の殊勝(しゅしょう)なるに()るなり、身を()ぐれば(まん)ずと(おも)い身を(くだ)せば経を(あなず)る、松高ければ(ふじ)長く(みなもと)深ければ流れ遠し」等云云。天台云く「法妙なるが故に人(とうと)し」と云云。御書三十・十四に云云。



                     つづく
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by johsei1129 | 2015-12-03 22:12 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)