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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 12月 01日 ( 2 )


2015年 12月 01日

撰時抄愚記 下二二  「信」と「唱」より外には、仏に成る道を求むる事なかれ


  問う、宗祖何ぞ両字を加えて「第一の大事」と云うや。

  答う、(およ)そ「第一」とは最極(さいごく)の義なり。(ひろ)出世の大事を論ずるに即ち三意あり。

  一には、迹門の(けん)(じつ)を出世の大事と為す。妙楽云く「(ただ)仏の出世は(まさ)しく顕実の為」とは是れなり。

  二には、寿量の顕本を出世の大事と為す。天台云く「奇特の大事、慇懇(おんごん)丁重(ていちょう)」とは是れなり。

  三には、文底(もんてい)の秘法を出世の大事と為す。秘法抄終に云く「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて(わた)らせ給えばなり」文。

  ()の如き三義、浅きより深きに至って第三、最極なり。(しか)るに本化の地涌は、此の第三の最極の秘法の末法流布(るふ)の瑞相なり。故に「第一の大事」と云うなり。

  問う、「智人は()を知る」等の引証の意は如何(いかん)

  答う、此の文に面裏あり。(けだ)し文の裏の意は迹化不知の義なり。其の相、(さき)の如し。若し文の(おもて)唯仏(ゆいぶつ)(のう)()の義なり。今の引用は即ち此の辺なり。所謂(いわゆる)「智人は()を知る」とは、上行菩薩等の大地より出現し給いたりしをば、仏は元品(がんぽん)無明(むみょう)を断じたまうが故に智人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずる故に、此の菩薩出現せりと()ろし()すという事なり云云。二十八巻九ヲ()いて見よ。

一 一渧(いってい)あつまりて大海となる等

  初めには釈尊の(けん)()の相を明かせり。此の下は兼知符合(ふごう)を明かすなり。

一 日蓮が法華経を信じ始め等

  文意に云く、日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めしは一渧(いってい)(いち)微塵(みじん)の如し。法華経を信じて二人・三人・百千万億人、題目を唱え伝うる程ならば等云云。是れ(すなわ)漸々(ぜんぜん)に寿量の妙法、広宣流布すべし云云。

  「仏に成る道」等とは、法華経を信じて題目を唱うるより(ほか)には、仏に成る道を求むる事なかれとなり。文の中の「信」の字、「唱」の字、(これ)を思え。


                   つづく
撰時抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-12-01 20:29 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 01日

撰時抄愚記 下二一

   三月七日


一 此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず

  此の下は二に結成(けつじょう)。此れに(また)二あり。初めに兼知符合(ふごう)所以(ゆえん)、次に「経に云く所謂(いわゆる)」の下は釈尊の兼知符合。

一 (ただ)(ひとえ)に釈迦如来(にょらい)の御(たましい)我が身に入りかわらせ給いけるにや

  日朝が云く「唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)の極智を凡心に(これ)を成ず。是れを以て(もろもろ)の菩薩衆の信力堅固(けんご)なる者を除く」と云云。又云く「仏果の極智、三世了達の照見も、一念三千の果徳に達するが故になり。(いま)元祖の未来記、(しか)ながら三世一念三千の了達、善悪(ぜんなく)互具の意趣(いしゅ)なり。(あに)一念三千に非ずや」取意。

  日講が云く「玄二に云く『如来の(どう)(たつ)、十法の底を(きわ)め、十法の(ほとり)を尽くす』と云云。是れ即ち如来所証の一念三千の境界なり。吾が祖、目前の(しょう)(かん)()(ごう)す。(また)一念三千の妙用を振舞いたもうなり」云云。

  今謂く、今日(こんにち)の「釈迦如来の御(たましい)」とは、即ち是れ()(おん)元初(がんじょ)自受(じじゅ)(ゆう)(しん)なり。久遠(くおん)元初(がんじょ)の自受用身とは即ち是れ今の日蓮聖人なり。故に「釈迦如来の御(たましい)身に入り替る」と云うなり。()自受用身とは即ち是れ一念三千の仏なり。故に「一念三千と申す大事の法門は是なり」と云う。伝教大師云く「一念三千(そく)自受用身」云云。御義口伝上十八に云く「事の一念三千は日蓮が身に(あた)たりての大事なり」と云云。

  (にち)()の本尊抄見聞に云く「日蓮()に当りての大事とは、日蓮が当体(とうたい)ぞと云う事なり」云云。文意に云く、此の三つの大事は日蓮が申したるには非ず、釈迦如来の御(たましい)たる久遠元初の自受用身の仰せられたるにてあるなり。(あに)符合(ふごう)せざるべけんや。外の十三・二十ウ。

一 経に云く所謂(しょい)諸法(しょほう)実相等

  此の下は釈尊の兼知符合、(また)二あり。見るべし。

一 十(にょ)()()めの相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う

  此の文、()し難し、知り難し。故に諸師に多義あり。(いま)初学の為に意を取って之を示さん。

 一義に云く、(およ)そ如来の出世は衆生(ほん)()の仏知見を開示(かいじ)悟入(ごにゅう)せしめんが為なり。(しか)るに如来、衆生の仏知見を開くべき先相を照見して出世し給う。故に「相如是が第一の大事」と云うなりと。

一義に云く、十如是の中に於て、初めの如是相は別して実相(じっそう)の義を顕し、三千皆実相、相(おん)(ねん)(じん)()(しゃく)(ねん)たり。故に如是相は最も肝要(かんよう)なり。故に「第一の大事」と云うなりと。

一義に云く、即事而(そくじに)(しん)(とう)()即妙は法華の深旨、円宗の(こう)(はん)なり。故に「相如是が第一の大事」と云うなりと。

  一義に云く、吾が祖、台家理具の(ぶん)(ざい)を簡んで一念三千、事々()()を顕す。故に今、「相如是が大事」と云うなりと。已上四義は日講なり。

  一義に云く、仏出世し、善悪(ぜんなく)の因果を記し、未来作仏(さぶつ)の記を(さず)けたもう事も、(しか)しながら(もろもろ)法相(ほっそう)隠顕(おんけん)()く明らかに照見したまう上の事なるが故に「相如是が大事」と云うなりと。是れは日朝の義なり。

  今(いわ)く「相」とは是れ前相、瑞相(ずいそう)なり。故に通じて一切に(わた)ると雖も、別して今()う所の「相如是」とは、(まさ)しく本化(ほんげ)()(しゅつ)を指して「相如是」と名づけ、(また)出世の大事と名づくるなり。是れ則ち本化の涌出は寿量の妙法の末法流布(るふ)の瑞相なるが故なり。故に「智人は()を知る」等の文を引いて、以て此の義を証するなり。

  ()十六・十九に云く「されば法華経序品(じょほん)(ろく)(ずい)は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」云云。大瑞(あに)相如是に非ずや。

涌出品に云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩、四方(しほう)の地震裂(しんれつ)して、皆中(みななか)より涌出せり。是の諸の菩薩衆、本末の因縁(いんねん)あるべし。無量徳の世尊、(ただ)願わくは(しゅ)(うたがい)を決したまえ。()の時に仏、弥勒(みろく)に告げたまわく、(いま)()く仏に()くの如き大事を()えり」略抄。

弥勒は本化の涌出を問う。仏答えて「是くの如き大事」と云う。(あに)本化の涌出を「大事」と名づくるに非ずや。


                   つづく
撰時抄愚記下 目次

 




by johsei1129 | 2015-12-01 20:05 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)