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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 26日 ( 1 )


2015年 10月 26日

撰時抄愚記 上十六

広く釈すの下 八月二十七日

   第七段 正法の初めの五百年の弘経


一 問うて云く竜樹等

此の下は第二に、広く三時の()(きょう)の次第を明かす、又二あり。初めに(まさ)しく明かし、二に「疑って云く設い」の下は料簡(りょうけん)。初めに正しく明かす、亦二あり。初めに略して正像未弘の所以(ゆえん)を示す。意は末法弘通(ぐつう)の所以を(あらわ)すなり。

此れに二重の問答あり。初めの問いの意は、(すで)に上来に於て、略して末法は是れ本門深秘の大法の広宣流布の時なることを()かす。故に(いま)問うて云く、竜樹等に其の深秘の大法弘通の義ありやと云云。

答の文は見るべし。(すなわ)ち是れ内鑑(ないがん)冷然(れいねん)外適(げちゃく)時宜(じぎ)の意なり。

問う、既に(ただ)「竜樹等の論師」と云う、故に(ただ)正法未弘(みぐ)を明かす。何ぞ通じて正像等と云うや。

答う、文は実に所問の如し。今、意を取って正像未弘と云うなり。(いわ)く、像法の中には(また)流布の辺あり。故に(しばら)く之を論ぜず。然りと雖も、実に是れ(いま)だ文底深秘の大法を弘めず。故に下三十五に云く「仏の滅後に迦葉(かしょう)阿難(あなん)馬鳴(めみょう)・竜樹・無著(むじゃく)・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通(ぐつう)しましまさぬ最大の(じん)(みつ)の正法、経文の(おもて)現前(げんぜん)なり」等云云。今()の意を取る、故に(しか)()うなり。()し此の大旨を得ざれば、恐らくは是れ前後雑乱(ぞうらん)せんか。

次の問答は、(まさ)しく正像未弘の所以(ゆえん)を明かすなり。(おのずか)ら三義あり。若し諸文の中には(あるい)は四義を明かす、太田抄(ごと)し。或は二義を明かす、当体義抄の如し云云。

第一に「彼の時には機なし」とは、是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の機無きが故なり、(およ)そ文底深秘の大法は本因下種の正体なり。故に其の機を論ずれば本未有善の衆生にして、是れ謗法(いっ)(せん)(だい)(やから)なり。然るに正像二千年の間は、皆是れ在世結縁(けちえん)の衆生にして、謗法一闡提の輩に非ず。故に「機なし」と云うなり。故に小権等を以て之を成熟(じょうじゅく)し、下種の要法を以て之を(さず)けざるなり。

第二に「時なし」とは、是れ白法(びゃくほう)隠没(おんもつ)の時無きなり。(およ)そ文底深秘(じんぴ)の大法は、一切の仏法隠没の時に()いで広宣流布す。(しか)るに正像二千年は正しく大集経の(さき)の四()の五百に当る。是れ第五の白法隠没の時に非ず。何ぞ(すべから)く広宣流布せしむべけんや。

第三に「迹化なれば付嘱せられ給はず」とは、

問う、迹化なれば(なに)(ゆえ)に付嘱せられ給わざるや。

答う、多くの所以有り。今(しばら)()意を示さん。

一には、迹化は釈尊(みょう)()(そく)の弟子に非ざるが故なり。

本尊抄八・二十一に云く「所詮(しょせん)迹化(しゃっけ)他方(たほう)の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず(乃至)迹化の大衆は釈尊初発心(しょほっしん)の弟子等に非ざる故なり」略抄。「初発心」とは名字即なり。故に妙楽の云く「(いま)発心を明かす、名字の位に()り」云云。「内証の寿量品」とは文底深秘の大法、即ち是れ久遠名字の妙法なり。故に久遠名字の御弟子に之を付嘱すべし。(しか)るに迹化は久遠名字の御弟子に(あら)ず、故に付嘱したまわざるなり。

二には、迹化は本因の妙法所持の人に(あら)ざるが故なり。

本尊抄八・二十四に云く「文殊(もんじゅ)観音(かんのん)・薬王・()(げん)等は爾前(にぜん)迹門の菩薩なり。本法所持の人に非ざれば末法の弘法(ぐほう)()らざる者か」云云。「本法」とは(すなわ)ち本因の妙法なり云云。

三には、迹化は(こう)を積むこと浅きが故に。

新尼抄外十二・二十七に云く「(いま)此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中に()さめさせ給いて、世に出現せさせ給いても四十(しじゅう)()(ねん)()の後又法華経の中にも迹門はせ()ぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品・(ぞく)(るい)に事(きわま)りて候しが、文殊・弥勒(みろく)・観音・薬王等の諸大士・我も我もと望み給いしかども(かな)はず、此等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひび()けども・いまだ法華経を学する日()さし・学も始めなり、末代の大難忍び()たかるべし」文。

既に迹化は()くの如き事有り、故に付嘱せられざるなり。世間の如きも此の例あり云云。

(まさ)に知るべし、元意(がんい)の辺は即ち末法弘通(ぐつう)所以(ゆえん)(あらわ)すなり。(いわ)く、一には機あり、二には時あり、三には本化(ほんげ)なれば付嘱せられ給うなり云云。故に下の文二十に云く「後の五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめて、謗法一闡提(いっせんだい)(やから)白癩(びゃくらい)(びょう)良薬(ろうやく)とせん」と云云。此の一文の中に時・機・付嘱の三義分明(ふんみょう)なり。学者見るべし。

次に「求めて云く、願くは此の事」の下は、広く五()の五百に約し、三時弘経の次第を明かす。即ち是れ正像()()、末法流布(るふ)の相なり。(おのずか)ら五段あり。次下の如し云云。



                     つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-10-26 22:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)