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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 14日 ( 2 )


2015年 10月 14日

撰時抄愚記 上八

   七月十六日

   第三段 機教相違の難を()

一 「問うて云く、機」

此の下は機教相違の難を()するなり。

一 人(みち)をつくる

愚人に大法を授くる所以(ゆえん)は、彼をして信を生じ仏果に至らしめんが為なり。(しか)るに(かえ)って誹謗(ひぼう)()して悪道に()せんは、()()の者の(とが)にして説く者の罪に非らざるなり。記の五末五十八に云く「仏の元意(がんい)によれば、(ただ)福を生ぜんが為なり。是れ迷者の(あやまち)にして(みち)(とが)に非ざるなり」文。

次に「良薬(ろうやく)」とは、寿量品の肝要(かんよう)・名体宗用教の南無妙法蓮華経なり。「()人」とは日本国中の三毒(ごう)(じょう)の悪人等なり。「良医(ろうい)」とは(れん)()大聖人なり。又書註の二・九。

一 (たず)ねて云く法華経

此の下は経説相違の難を()するなり。

一 天台云く、時に(かな)うのみと

文の八・六十六の文なり。「章安(しょうあん)云く」とは単疏の四・三十三の文なり。

一 ()る時は等

()の「或る時」は(わか)ちて二段と()す。初めの二段は未謗(みぼう)已謗(いぼう)の機に配す。是れ(すなわ)ち未謗は摂受(しょうじゅ)、已謗は折伏の義にして「時に(かな)うのみ」の文の意なり。次の二段は「釈迦は小を以て而して(これ)将護(しょうご)し、不軽(ふきょう)は大を以て而して之を(ごう)(どく)す」の意なり。

一 初成道(しょじょうどう)の時等

此の下は上来の「寂滅(じゃくめつ)道場(どうじょう)」已下の意を結するなり。

一 (ほう)()功徳(くどく)(りん)

開目抄上四十五に云く「総じて華厳(けごん)会座(えざ)の大菩薩・天竜(てんりゅう)等は、釈尊以前に不思議解脱(げだつ)に住せる大菩薩なり。(乃至) 此等の大菩薩は、人目には仏の御弟子(みでし)かとは見ゆれども、仏の御師とも・いゐぬべし、(乃至) 華厳(けごん)経に此等の大菩薩をかず()へて善知識ととかれしは是れなり、善知識と申すは一向(いっこう)・師にもあらず、一向・弟子にもあらずある事なり」文。実に()(しゅ)の為には法華経を説くべき事なり。

一 鹿野(ろくや)(おん)

是れ阿含(あごん)経の説処(せっしょ)なり。名義(みょうぎ)の因縁は、大論十六・十七の如し。

一 ()(りん)等の五人

五人の最初得道の因縁(いんねん)は文の第一・四十一の如し云云。

一 八万の諸天(しょてん)文。 

初転(しょてん)法輪(ぽうりん)の得道の因縁は、大論十四初紙の如し。「五人」及び「八万」は(とも)に宿世の誓願あり。故に法華を説くべき事なり。()(また)顕仏未来記に云云。

一 観仏(かんぶつ)三昧(さんまい)(きょう)をとかせ給い

是れ成道第十二年の説なり。(しか)りと雖も、経文の相、(まさ)(ほう)(どう)(しょう)なり云云。先ず仏、成道(じょうどう)の第六年に優陀(うだ)()を使として仏を王宮に迎え、群臣万民迎え出ずること四十里、仏、王宮に入り法を説き()(しょう)す。父王、一族五百人をして出家せしめ、仏の()()荘厳(しょうごん)す。其の(のち)六年を()て成道十二年に当り、再び迦毘(かぴ)()国に(かえ)って、父王の為に観仏(かんぶつ)三昧(さんまい)経を説く云云。統紀三・二十七、三十。

一 摩耶(まや)(きょう)をとかせ給う

是れ成道第八年の説なり。仏祖(ぶつそ)通載(つうさい)三・四紙に云云。是れ(また)其の説相、(ほう)(どう)(しょう)なり。(つぶさ)には啓蒙(けいもう)の如し。故に「方等大会(だいえ)の儀式」と云うなり。(すで)提謂(だいい)を以て(なお)方等に摂す。年限に(かかわ)らんや。(注:提謂=提謂経のこと。五戒の功徳を説く)

御書十八・七に云く「昔仏、摩耶の恩を報じ給わんが為に・(とう)利天(りてん)へ四月十五日に昇らせ給いて、七月十五日の夜(かえ)らせ給う」(新定御書)取意。故に「九十日が間」等と云うなり。又貧女が(いっ)(とう)()(おわ)って云く「是れを思うに、たのしくして若干(そこばく)(たから)()()すとも信心弱くば仏に成らんこと叶い難し。(たと)い貧なりとも信心強く志深からんは仏に成らんこと(うたが)あるべからず」(新定御書)等云云

                 
                   つづく
撰時抄愚記上 目次



by johsei1129 | 2015-10-14 20:38 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 14日

過去に十万億の仏を供養せん人、人間に生れて此の法華を信ぜん、と説いた【南部六郎三郎殿御返事】

【南部六郎三郎殿御返事】
■出筆時期:文永十年(1272年)八月三日 五十二歳御作
■出筆場所:佐渡国一ノ谷の屋敷にて。
■出筆の経緯:本抄は波木井(南部)実長の子息・南部六郎三郎に送られた消息です。甲斐・波木井に住む南部親子は日興上人の教化で大聖人に帰依しますが、佐渡流罪で日興上人も宗祖と行動を共にしたため、六郎三郎は消息で法門の事を佐渡の大聖人もしくは日興上人に問い合わせ、それへの返書が本消息となっておられます。
大聖人は冒頭で「仏法を修行するは現世安穏・後生善処等と云云、而るに日蓮法師法華経の行者と称すと雖も留難多し当に知るべし仏意に叶わざるか」と六郎三郎の疑問を記し、それに対し「末法に入つて教の如く法華経を修行する者は留難多かる可きの由・経文赫赫たり」と記され、法華経の文を引いて、末法の法華経の行者が難に遭うのは必定であると断じておられます。

さらに「法華経の行者有らば悪口・罵詈・刀杖・擯出等せらる可し云云、此の経文を以て世間に配当するに一人も之れ無し、誰を以てか法華経の行者と為さん<中略>仏語妄説と成るを如何、予自讃に似たりと雖も之を勘え出して仏語を扶持す所謂日蓮法師是なり」と記され、日蓮一人が仏語を証明していると宣言されておられます。

また六郎三郎が何度も法門の事を大聖人に問い合わせていることについて「但し日蓮法師に度度之を聞きける人人猶此の大難に値つての後之を捨つるか、貴辺は之を聞きたもうこと一両度・一時二時か、然りと雖も未だ捨てたまわず御信心の由之を聞く偏えに今生の事に非じ<中略>法華経に云く「過去に十万億の仏を供養せん人、人間に生れて此の法華を信ぜん」と記し、過去世の宿縁で今日蓮に帰依している事を示されておられます。

さらに文末では「貴辺は武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり、家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱る可きか、能く能く思案有る可きか、法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」と記され、心を決めて法華経信仰を貫き三悪道を脱するよう諭されておられます。
また追伸で、鎌倉の留守を預かる弟子筑後房(日朗)・弁阿闍梨(日昭)・大進阿闍梨に大事な法門を教えているのでよく聞いてくださいと指導され、大聖人が信徒一人一人の信仰の行く末を如何に気にかけているかがひしひしと伝わってくる書となっております。
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(北山本門寺蔵)

[南部六郎三郎殿御返事 本文]

鳥跡(てがみ)飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲を巻いて明月に向うが如し、但し此の法門当世の人上下を論ぜず信心を取り難し其の故は仏法を修行するは現世安穏・後生善処等と云云、而るに日蓮法師法華経の行者と称すと雖も留難多し当に知るべし仏意に叶わざるか等云云。

但し此の邪難先業の由・御勘気を蒙るの後始めて驚く可きに非ず、其の故は法華経の文を見聞するに末法に入つて教の如く法華経を修行する者は留難多かる可きの由・経文赫赫たり眼有らん者は之を見るか、所謂法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云又云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し刀杖瓦礫を加うる有らん」等云云、又云く「悪世の中の比丘」等云云、

又云く「或は阿蘭若に納衣にして空閑に在る有らん乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん」等云云、又云く「常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲する故に国王・大臣・波羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説かん」等云云、又云く「悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」等云云、又云く「数数擯出せらる」等云云。

大涅槃経に云く「一闡提・羅漢の像を作し空閑の処に住し方等大乗経典を誹謗すること有るを諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢なり是れ大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「正法滅して後・像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少しく経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養し乃至袈裟を服すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺ふが如し」等云云。

又般泥はん経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有り、乃至」等云云、予此の明鏡を捧げ持つて日本国に引き向けて之を浮べたるに一分も陰れ無し或有阿蘭若・納衣在空閑とは何人ぞや為世所恭敬如六通羅漢とは又何人ぞや、諸凡夫見已・皆謂真阿羅漢・是大菩薩とは此れ又誰ぞや。

持律少読誦経とは又如何、是の経文の如く仏・仏眼を以て末法の始を照見したまい当世に当つて此等の人人無くんば世尊の謬乱なり、此の本迹二門と雙林の常住と誰人か之を信用せん、今日蓮仏語の真実を顕さんが為日本に配当して此の経を読誦するに或有阿蘭若住於空処等と云うは、建長寺・寿福寺・極楽寺・建仁寺・東福寺等の日本国の禅・律・念仏等の寺寺なり。是等の魔寺は比叡山等の法華・天台等の仏寺を破せん為に出来するなり、納衣持律等とは当世の五・七・九の袈裟を着たる持斎等なり、為世所恭敬是大菩薩とは道隆・良観・聖一等なり、世と云うは当世の国主等なり、有諸無智人諸凡夫人等とは日本国中の上下万人なり。

日蓮凡夫たる故に仏教を信ぜず但し此の事に於ては水火の如く手に当てて之を知れり、但し法華経の行者有らば悪口・罵詈・刀杖・擯出等せらる可し云云、此の経文を以て世間に配当するに一人も之れ無し、誰を以てか法華経の行者と為さん、敵人は有りと雖も法華経の持者は無し、譬えば東有つて西無く天有つて地無きが如し、仏語妄説と成るを如何、予自讃に似たりと雖も之を勘え出して仏語を扶持す所謂日蓮法師是なり。

其の上仏・不軽品に自身の過去の現証を引いて云く爾の時に一りの菩薩有り常不軽と名く等云云。又云く悪口罵詈等せらる、又云く或は杖木瓦石を以て之を打擲す等云云、釈尊我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ。

日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る、当来の妙果之を疑う可しや、如来の滅後に四依の大士正像に出世して此の経を弘通したもうの時にすら猶留難多し、所謂付法蔵第二十の提婆菩薩第二十五の師子尊者等或は命を断たれ頚を刎らる、第八の仏駄密多・第十三の竜樹菩薩等は赤き旛を捧げ持ちて七年十二年王の門前に立てり、竺の道生は蘇山に流され法祖は害を加えられ法道三蔵は面に火印を捺され、慧遠法師は呵責せられ天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す、此等は皆王の賢愚に当るに依つて用取有るのみ敢て仏意に叶わざるに非ず正像猶以て是くの如し何に況や末法に及ぶにおいてをや、既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり。

但し歎くらくは仁王経に云く「聖人去る時・七難必ず起る」等云云、七難とは所謂大旱魃・大兵乱等是なり、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、愛悪人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の諸人なり治罰善人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の数数見擯出の者なり、星宿とは此の二十余年の天変・地夭等是なり、経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり、其の上御勘気已前に其の由之を勘え出す所謂立正安国論是なり誰か之を疑わん之を以て歎と為す、但し仏滅後今に二千二百二十二年なり、正法一千年には竜樹・天親等・仏の御使と為て法を弘む然りと雖も但小・権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず像法に入つて五百年に天台大師・漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたもう、所謂教門の五時・観門の一念三千是なり、国を挙げて小釈迦と号す。

然りと雖も円定・円慧に於ては之を弘宣して円戒は未だ之を弘めず、仏滅後一千八百年に入りて日本の伝教大師世に出現して欽明より已来二百余年の間六宗の邪義之を破失す、其の上天台の未だ弘めたまわざる円頓戒之を弘宣したもう所謂叡山円頓の大戒是なり、但し仏滅後二千余年三朝の間・数万の寺々之有り、然りと雖も本門の教主の寺塔・地涌千界の菩薩の別に授与したもう所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず弘むべしと云う経文は有つて国土には無し時機の未だ至らざる故か、仏記して云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於いて断絶せしむること無けん」等云云。

天台記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」等云云、伝教大師記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、此れ等の経釈は末法の始を指し示すなり、外道記して云く「我が滅後一百年に当つて仏世に出でたもう」と云云、儒家に記して云く「一千年の後・仏法漢土に渡る」等云云、是くの如き凡人の記文すら尚以て符契の如し況や伝教・天台をや何に況や釈迦・多宝の金口の明記をや、当に知るべし残る所の本門の教主・妙法の五字一閻浮提に流布せんこと疑無き者か。

但し日蓮法師に度度之を聞きける人人猶此の大難に値つての後之を捨つるか、貴辺は之を聞きたもうこと一両度・一時二時か然りと雖も未だ捨てたまわず御信心の由之を聞く偏えに今生の事に非じ、妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得聞き已つて信を生ずること宿種なるべし」等云云、又云く「運像末に居し此の真文を矚る妙因を植えたるに非ざるよりは実に遇い難しと為す」等云云、法華経に云く「過去に十万億の仏を供養せん人・人間に生れて此の法華を信ぜん」又涅槃経に云く「熈連一恒供養の人此の悪世に生れて此の経を信ぜん」等云云取意。

阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり、然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経を聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまい結句は無根初住の仏記を得たり、提婆達多は閻浮第一の一闡提の人・一代聖教に捨て置かれしかども此の経に値い奉りて天王如来の記別を授与せらる彼を以て之を推するに末代の悪人等の成仏・不成仏は罪の軽重に依らず但此経の信不信に任す可きのみ。

而るに貴辺は武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり、家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱る可きか、能く能く思案有る可きか、法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり、天台の云く「他経は但善に記して悪に記せず今経は皆記す」等云云、妙楽の云く「唯円教の意は逆即是順なり自余の三教は逆順定まるが故に」等云云、爾前分分の得道有無の事之を記す可しと雖も名目を知る人に之を申すなり、然りと雖も大体之を教る弟子之れ有り此の輩等を召して粗之を聞くべし、其の時之を記し申す可し、恐恐謹言。

文永十年太歳癸酉八月三日 日 蓮 花 押
甲斐国南部六郎三郎殿御返事

鎌倉に筑後房・弁阿闍梨・大進阿闍梨と申す小僧等之有り之を召して御尊び有る可し御談義有る可し大事の法門等粗ぼ申す、彼等は日本に未だ流布せざる大法少少之を有す随つて御学問注るし申す可きなり。

by johsei1129 | 2015-10-14 19:37 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)