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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 10月 03日 ( 4 )


2015年 10月 03日

佐渡から鎌倉の高弟に真言を破折した秘書『真言見聞』を送った時の送り状【弁殿御消息】

【弁殿御消息】
■出筆時期:文永九年(1272年)七月二十六日 五十一歳御作
■出筆場所:佐渡国一の谷の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は佐渡から鎌倉の留守を守る三人の高弟、弁殿(日昭)・大進房・三位房に真言宗を破折した秘書『真言見聞』を送った時の送り状となっております。
大聖人は竜の口の法難で法華経の行者から末法の本仏へと発迹顕本し、流罪先の佐渡の地で人本尊開顕の書「開目抄」、法本尊開顕の書「観心本尊抄」を著します。そして邪宗の批判は念仏宗から亡国の宗たる真言への批判を強めていきます。
佐渡で大聖人に常随給仕された日興上人、伊予房(日頂上人)等は直接大聖人から法門を聞くことができたが、留守を預かる弟子たちはその僥倖に浴する事ができないため、大聖人は「問う真言亡国とは証文何なる経論に出ずるや・・・・」で始まる『真言見聞』を送ったものと思われます。

本消息では「不審有らば諍論無く書き付けて一日進らしむべ」と記され、不明な点は弟子の間で論争しないで日蓮のもとに書状を送りなさいと指導されておられます。さらに「これよりぐして・いたらん人にはよりて、法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか」と記され、私の説法を聞いて佐渡から鎌倉に行く弟子から、入門の先後に関係なく互いに師弟関係でよく聞いてくださいと諭されておられます。

結局佐渡で大聖人に常随給仕されることのなかった最古参の高弟弁殿(日昭上人)は大聖人を末法の本仏とは理解できず、また大進房、三位房は熱原の法難で敵方に寝返り、横死することになります。
この事実は、大聖人の法門を理解するためには、如何に大聖人に常随給仕することがを大事かを、如実に示していると思われます。
■ご真筆:甲府市 信立寺(全文一紙)所蔵。
佐渡から鎌倉の高弟に真言を破折した秘書『真言見聞』を送った時の送り状【弁殿御消息】_f0301354_22462617.jpg


[弁殿御消息 本文]

(真筆上段)
不審有らば諍論無く書き付けて一日進らしむべし。
此の書は随分の秘書なり、已前の学文の
時もいまだ存ぜられざる事・粗之を載す。
他人の御聴聞なからん已前に御
(真筆下段)
存知有るべし。
総じては・これよりぐして・いたらん人にはよりて
法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか、恐恐謹言。

七月二十六日                     
弁殿
大進阿闍梨御房
三位殿            日蓮花押

by johsei1129 | 2015-10-03 22:46 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 03日

観心本尊抄文段 下三七  文底下種の妙法を「事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経」と云い、文底下種の本尊を「本門の本尊」と名づくるなり。


一 地涌千界(せんがい)正像に出でざること等

此の下は四に正像に(いま)()でざる所以(ゆえん)を明かす、(また)二と為す。初めに標、次に「正法」の下は釈、二と為す。

初めに正法(しょうほう)、次に像法(ぞうほう)二と為す。初めに釈、次に「所詮」の下は(けつ)

初めの釈、三と為す。初めに(のう)()師、次に(しょ)()の法、三に未弘(みぐ)の法を示すなり。

文に云う「迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して」等とは、若し(ただ)迹門のみを用ゆれば、念三千何ぞ其の義を(つく)さん。故に本門を以て裏と為して念三千()義を尽すなり。宗祖云く「第七正観の章は本門の(こころ)なり」等云云。

問う、宗門の本面(ほんめん)(しゃく)()の意如何(いかん)

答う、諸門流の意は彼の迹面(しゃくめん)本裏(ほんり)を反転して之を用ゆるなり云云。(けだ)し当流の意は、本迹の名は反転して之を用う。其の本迹の体は彼此(ひし)永くなる(いわ)く、彼は前十四品を迹面と()し、後の十四品を本裏と為す。()れは迹本二門を通じて迹裏と為し、文底下種の妙法を本面と為すなり。故に(たい)(とう)両家の意、天地水火なり。

文に云う「一念三千()の義を尽せり、(ただ)()()を論じて」とは、(いま)面裏の迹本(しゃくほん)を以て、通じて迹門・理の一念三千と名づく。故に「但理具を論じて」と云うなり。是れ文底(もんてい)下種の本門・事の一念三千に望むるが故なり。

治病抄に云く「天台・伝教等の御時(おんとき)には理なり、今は()なり乃至(ないし)彼は迹門の三千、此れは本門の一念三千なり、天地はるかに(こと)なり」と云云。即ち()意なり。

文に云く「事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊」とは(すで)(めん)()の迹本二門を以て通じて(ただ)理具を論ず」と名づく。故に知んぬ、文底下種の妙法を「()(ぎょう)の南無妙法蓮華経」と云い、文底下種の本尊を「本門の本尊」と名づくるなり。

問う、有る人云く、末法の愚人(ぐにん)は理観に()えず、妙法を口唱(くしょう)するに三千を具足す。故に口唱を以て事行と名づくるなりと云云。此の義如何(いかん)

答う、事理の名目(みょうもく)(まさ)法体(ほったい)に約すべし。若し文上の迹本二門の妙法を口唱するは(なお)是れ理行なり。故に宗祖は天台の口唱を以て理行の題目と名づくるなり。(ただ)文底下種の妙法を口唱(くしょう)するを以て、即ち「事行の南無妙法蓮華経」と名づくるなり。

血脈抄に云く「迹門を()()念三千と()脱益(だっちゃく)の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の念三千と云う、下種の法華は(どく)(いち)の本門なり」と云云。

故に知んぬ、日本国中の諸門流の口唱は、同に(みな)是れ理行の題目なり。此れ即ち其の法体は脱益の法華経、本迹(とも)に迹門・理の一念三千なるが故なり。(ただ)当流の口唱のみ本門事行の題目なり。此れ即ち其の法体(ほったい)は文底下種の法華経、独の本門、事の念三千なるが故なり。

又有る人云く「『並びに本門の本尊』とは即ち是れ()(じょう)の釈尊なり」と云云。

今謂く、当抄の大旨(たいし)は正しく文底下種の法の本尊を明かす。何ぞ文上脱益(だっちゃく)の人本尊といわんや。

文に云う「未だ広く之を行ぜず」とは、

問う、若し(しか)らば天台も(ほぼ)之を行じたまうや。

答う、有る人云く「(けだ)し天台等は(ただ)自行のみにして、(いま)だ広く他の為に之を行なわざる故に『未だ広く之を行ぜず』と云うなり。(いわ)く、天台宗の本尊は実に是れ()(じょう)の釈尊なり。又天台の法華懺法(せんぽう)に『南無妙法蓮華経』と云云。故に知んぬ、自身は之を行ずることを。(しか)りと(いえど)も彼の時は在世帯権(たいごん)の円機の如し。故に未だ広く之を行ぜざるなり」と云云。

今謂く、彼の宗の本尊は(たと)い久成の釈尊なりと雖も、(なお)是れ在世脱益の教主にして文底下種の本門の本尊に非ず。彼の師も(また)妙法を口唱すと(いえど)も、(なお)是れ理行の題目にして事行の南無妙法蓮華経に非ず。何ぞ自身(これ)を行ずと云わんや。

問う、()(しか)らば何ぞ「未だ広く之を行ぜず」と云うや。

答う、是れ末法の広行に望む故に「未だ広く之を行ぜず」と云う。自身之を行ずと()には非ず。例せば「正像未弘(みぐ)」等の文の如し。(あるい)(おそ)らくは(まさ)に「(いま)(かつ)て之を行ぜず」に作るべし。例せば本尊の「未曽(みぞ)()」の文の如し。学者()(よろ)しく之を思うべし。

文に云う「所詮(しょせん)円機(えんき)有つて(えん)()無き故なり」とは、此れ(すなわ)ち与えて「有り」と云い、(うば)って「無し」と云うなり。

          つづく


文段下 目次



by johsei1129 | 2015-10-03 20:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 03日

観心本尊抄文段 下三六


 第十段 地涌出現の時節を明かす


一 疑つて曰く正像二千年の間等

此の下は次に()()出現の時節を明かす、二と()す。初めに正像に(いま)()でず、末法に必ず()ずるの所以(ゆえん)を明かす。

次に「問うて曰く仏の記文」の下は如来の(けん)(しん)を明かす。

初の文、(また)五と為す。初めに略して正像に未だ出でざるを示し、次に「驚いて云く」の下は三(しょう)(かい)、重請重誡、三に「法師品」の下は仏意は(まさ)しく末法に()るを示し、四に「地涌千界」の下は正像に未だ出でざるの所以(ゆえん)を明かし、五に「今末法」の下は(まさ)しく末法に必ず出ずるの所以を明かすなり。

文に云く「驚いて云く」等とは、忠抄(ちゅうしょう)の如し云云。

文に云く「法師品に云く、(いわ)んや滅度の後をや」とは、文意漸々(ぜんぜん)(きょう)(けん)、故に仏意は正しく末法に在るなり。大難等の義は今の所用(しょゆう)に非ざるなり。


                 つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-10-03 20:12 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 10月 03日

観心本尊抄文段 下三五


一 次下(つぎしも)(ぞく)(るい)品に云く等文。

此の下は次に総付嘱の文を引く、亦二と()す。初めに正しく引き、次に釈。

文に云く「地涌の菩薩を以て頭と為して()()」等とは、

問う、地涌の菩薩も(また)総付嘱を受くるや。若し(しか)らば、太田抄の中に総付嘱を明かすに、何ぞ(ただ)文殊(もんじゅ)観音(かんのん)等に約するや。

答う、通命(すで)に本化・迹化に(わた)る。総付嘱、(あに)本化に通ぜざらんや。故に「地涌(じゆ)の菩薩を以て(はじめ)()して」と云うなり。(けだ)し大田抄の意は、別付嘱ば(ただ)本化に限る。故に総付嘱を以て(しばら)く迹化等に約す。地涌総付嘱を受けずと()には(あら)ざるなり。若し啓運抄の義は(はなは)だ不可なり。

問う、総付嘱とは一経に(わた)ると為んや。若し(しか)らば下山抄に云く「迹化(しゃっけ)他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う」等云云。此の如何(いかん)

答う、(ただ)経に亘るのみに非ず、(なお)前後代の諸経に通ずるなり。

故に太田抄に云く「法華経の要より(ほか)の広略二門、並びに前後一代の一切経を此等の大士(だいし)に付嘱す」等云云。

若し下山抄の意は、文底下種の要法を本門と名づけ、文上の広略を通じて迹門と名づく。故に()いて太田抄の意に同じきなり。

問う、一代諸経を通じて本化・迹化に付す。()是れ同じきや。

答う、其の意同じからず。(いわ)く、代諸経の体外(たいげ)の辺を以て迹化等に付嘱するなり。(ここ)(また)二意あり。

に謂く、正像二千年の機の為なり。二に謂く、末法弘通(ぐつう)の序分の為なり。

又一代諸経の体内の辺を以て本化の菩薩に付嘱し、以て文底の流通(るつう)と為すなり。故に知んぬ、前品には正宗(しょうしゅう)を付嘱し、当品に至って流通を付嘱す、故に「神力(じんりき)(ぞく)(るい)に事(きわ)まる」と云うなり。

                    つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-10-03 19:47 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)