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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 27日 ( 4 )


2015年 09月 27日

富木尼御前、富木常忍夫妻からのそれぞれの供養を著した書【富木尼御前御返事】

【富木尼御前御返事】
■出筆時期:文永十二年(1275年)一月 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は短い消息ですが、富木尼御前と富木常忍夫妻のそれぞれから銭一貫と、さらに帷(かたびら:裏地がない単衣の上着)を供養されたことを簡潔に記されておられます。夫妻それぞれから銭を供養される例は極めて異例で、通常では夫妻合わせて銭二貫と記すところです。本書を記した翌年の建治二年三月下旬には富木常忍の母が亡くなり、またその義母を熱心に看病していた富木尼も病気がちでありました。恐らく本書で記された銭の供養は、富木常忍の母と富木尼の、その当時の健康回復を祈念しての供養ではないかと推察されます。

尚、富木常忍は建治二年三月二十七日、亡き母の遺骨を首に下げ、大聖人に追善供養をしてもらうため身延の草庵に見参します。
また大聖人はその時、富木尼の義母への熱心な看護と、富木尼自身の体調も良くないことを聞き、励ますために消息を認めておられます。
その時の経緯は[富木尼御前御書][忘持経事]を参照して下さい。
■ご真筆:東京都・池上本門寺所蔵。
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[富木尼御前御返事 本文]

尼こせん鵞目(がもく)一貫
富木殿青鳧(せいふ)一貫
給候了
又帷(かたびら)一領

                 日 蓮 花押

by johsei1129 | 2015-09-27 21:35 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下三一


  問う、何ぞ「()(こう)良薬(ろうやく)」の文を以て名体宗用(みょうたいしゅうゆう)等と判じたもうや。

  答う、深く所以(ゆえ)有り。謂く「是好良薬」とは、色香(しきこう)美味(みみ)(みな)悉く具足す。故に是好良薬と云うなり。

(しか)るに天台之を釈して云く「色は是れ般若(はんにゃ)、香は是れ解脱(げだつ)、味は是れ(ほっ)(しん)、三徳不縦(ふじゅう)不横(ふおう)なるを秘密蔵と名づく。教に()って修行して()の蔵に入ることを()」等云云。

妙楽(みょうらく)云く「体等の三章(ただ)是れ三徳」等云云。故に知んぬ、「色」は是れ般若(はんにゃ)、即ち妙宗なり。「香」は是れ解脱(げだつ)、即ち妙用(みょうゆう)なり。「味」は是れ(ほっ)(しん)、即ち妙体なり。「秘密蔵」は即ち是れ妙名なり。「教に()って修行して」とは即ち是れ妙教なり。故に今の文に「()(こう)良薬(ろうやく)とは寿量品の肝要(かんよう)たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」と云う云云。

(また)(まさ)に知るべし、体等の三章は(ただ)是れ三徳(さん)(じん)なり。故に久遠(くおん)元初(がんじょ)自受(じじゅ)(ゆう)(ほう)(ちゅう)(ろん)(さん)無作(むさ)(さん)(じん)なり。人法体(じん)()、予が取要抄愚記の如し云云。耆婆(ぎば)(やく)(どう)之を思い合すべし。又四五二十重の相伝あり云云。

問う、啓運抄の第一に云く「名体宗用教は序品より(おこ)る。故に迹門の五重玄なり。(いま)本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず。故に知んぬ、本迹致なることを」と云云。愚案(ぐあん)()之に同じ。此の義は如何(いかん)

答う、序品は是れ名体宗用教の次第(しだい)なり。是れを約行の次第と名づくるなり。神力(じんりき)品は名用体宗教の次第なり。是れを約説の次第と名づくるなり。文はに随って之を説くと(いえど)も、義は実に迹本二門に通ず。故に迹門に約説の次第有り、本門に(また)約行の次第有り、何ぞ(ただ)辺のみに限るべけんや。

今難じて云く、若し(しか)らば迹門の中に永く約説の次第無く、本門にも(また)約行の次第無からん。妙楽云く「迹を以て本に例す」と。又云く「()し迹を借らずんば、何ぞ()本を()らん」云云。(いま)迹を以て本に例し、迹を借りて本を識る。(あに)本門に約行無なかるべけんや是一。

(いわん)(また)(じょ)並びに迹本を表す。故に記の三の上二十一に云く「(ごん)は則ち迹を表し、(おん)は本に表す」等云云。能表(すで)是れ約行の次第なり、所表の本門(あに)(しか)らざらんや是ニ。

況や亦迹門の開示(かいじ)悟入(ごにゅう)(まさ)しく是れ約行の次第なり。故に(げん)の一・二十五に云く「開示悟入(また)行の次第に約す」と云云。(しか)るに顕本の後は即ち本門の開示悟入と()る。故に記の八の本九に云く「開示悟入は是れ迹の要なりと雖も、若し顕本し(おわ)れば即ち本の要と成る」等云云。何ぞ顕本(けんぽん)の後、約行の次第無かるべけんや是三。

(いわん)(また)部八巻二十八品、通じて是れ五重玄なるをや。故に妙楽(みょうらく)云く「品品の内(ことごと)く体等を()し、句句の下に通じて妙の名を結す」等云云。故に五重玄は(まさ)しく二十八品に(わた)れり。故に(いま)余品(よほn)の五重玄を(えら)んで「寿量品の肝要(かんよう)たる名体(みょうたい)」等と云う。何ぞ本迹致と云わんや是四。

況や(また)妙楽の記の第に云く「本地の総別は諸説に超過(ちょうか)し、迹中の三(こう)一期(いちご)に高し」等云云。総は(いわ)(みょう)玄義、別は即ち体宗(ゆう)、三は即ち体宗用、は謂く、名玄義なり。此の文に迹本の勝劣(しょうれつ)分明(ふんみょう)なり。故に輔記(ふき)に云く「(すなわ)ち前十四品に()え、二は則ち代の教門に超ゆ」等云云。台家(なお)(しか)なり。況や当流に(おい)てをや是五。

況や(また)常抄に云く「問う、序品と神力品の五重玄如何(いかん)。答う、本迹二門の題名の勝劣(しょうれつ)なり。故に記のに云く『本地の総別は諸説に超過す』」等云云。(たと)い日常の述作に(あら)ずと(いえど)も文義分明なり是六。

況や復(まさ)に文に()り、義に依り、意に依って宗門の奥義(おうぎ)を明かすべし。何ぞ少分の法相(ほっそう)の次第等に(こだわ)って宗門の(おう)()を示さんや是七。


                     つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 20:33 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下三十


一 寿量品に云く等

此の下は次に(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の文を引く、(また)二と為す。初めに一往(いちおう)在世の正宗を証し、次に再往(さいおう)末法の流通を証す。

初めの文、二と為す。初めに正しく引き、次に「久遠」の下は釈。即ち(さき)の「一往之を見れば」等の文に同じきなり。

文に云く「経に云く、余の心を失える者」等とは、此の下は次に再往(さいおう)末法の流通(るつう)を証するなり。「心を失える」と言うは、是れ末法今時の衆生を()すなり。

問う、「心を失える」と云うと(いえど)(なお)是れ仏子なり。(あに)結縁(けちえん)なからんや。(いわん)や「心を失える」と云う(あに)種の善根なからんや。()(しか)らば、末法今時の衆生を何ぞ本未(ほんみ)()(ぜん)と名づけんや。

答う、仏子の義を(しゃく)する(しょ)に三意あり。所謂(いわゆる)正・縁・了なり。而して失心を以て(なお)仏子と名づくることは是れ縁因の子に(あら)(ただ)是れ正因の子なり。(しつ)不失(ふしつ)を釈するに即ち両解(りょうげ)あり。初めに正因に約し、次に縁因に約す。(しか)して失心と名づくることは、是れ縁因の失心に非ず。(ただ)是れ正因の失心なり。故に仏子と云うと雖も、失心と云うと雖も、(なお)是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の衆生なり。若し正因に()らば法界に非ざること無し。何ぞ(すべから)く更に()(ぜん)未善(みぜん)を論ずべけんや云云。

此の文(また)二と為す。初めに正しく引き、次に「問うて曰く」の下は釈。

初めの正しく引くに(また)二あり。初めに正しく引き、次に「分別功徳品」の下は「今留(こんる)」の二字を助成(じょじょう)するなり。

文に「是の好き良薬を今留めて此に在く」と云うは、「()()良薬(ろうやく)」とは流通(るつう)する所の正体を()げ「今(とど)めて(ここ)()く」とは正しく是れ流通(るつう)の義なり。

文に「問うて曰く此の経」等と云うは、此の下は釈、(また)二と為す。初めに問、次に答、二と為す。初めに「遣使(けんし)(げんごう)」を釈し、次に「今の遣」の下は「()(こう)良薬(ろうやく)」を釈するなり。

初めの文、二と為す。初めに通じて示し、次に別して釈す(おのずか)ら四あり。文の如く見るべし。

文に「今の遣使還告」等と云うは、()下、次に「是好良薬」を釈す、三と為す。初めに付嘱の人を示し、次に所嘱の法体(ほったい)を釈し、三に非器の人を(えら)ぶなり。

文に云く「是好良薬とは寿量品の肝要乃至是なり」とは、文の意に(いわ)く、今の是好良薬は脱益(だっちゃく)の寿量品の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなりと云云。当に知るべし肝要(かんよう)」とは、是れ文底の異名(いみょう)なるのみ。

問う、天台(てんだい)云く「経教を留めて()く。故に()好良薬(こうろうやく)今留在(こんるざい)()と云う」等云云。妙楽(みょうらく)云く「頓漸(とんぜん)(こうむ)ると雖も、(もと)実乗に在り」等云云。今何ぞ文底下種の妙法に約するや。

答う、経文の意は通じて正像末に(わた)る。故に天台は総じて代経に約するなり。(けだ)妙楽は時、像法に()り。故に今経に約するなり。若し(れん)()は時、末法に在り。故に文底下種の妙法に約するなり。法華経は法なれども時機に(したが)って同じからず云云。


                   つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 20:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 27日

観心本尊抄文段 下二九


一 又弥勒(みろく)菩薩疑請(ぎしょう)して云く等

此の下は次に本門正宗(しょうしゅう)の文を引く、(また)二あり。初めに動執(どうしゅう)生疑(しょうぎ)の文を引き、次に「寿量品」の下は(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の文を引くなり。

初めの文、二と()す。初めに正しく引き、次に流通(るつう)に属する所以(ゆえん)を明かすなり。

文に云く「我等は(また)仏の随宜(ずいぎ)の所説(しょ)(すい)(みこと)未だ(かつ)虚妄(こもう)ならず、仏の(しょ)()は皆(ことごと)通達(つうだつ)し給えりと信と雖も」と。(まさ)()くの如く点ずべし。証真日遠(にちおん)(とも)是れ(あやま)りなり。何ぞ仏に対して「我等仏の所知は(みな)悉く通達す」と云うべけんや云云。次に文の意に(いわ)く、寿量品の法門は滅後の(ため)(しょう)。故に流通段に属するなり云云。

         

                     つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-27 19:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)