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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 25日 ( 3 )


2015年 09月 25日

観心本尊抄文段 下二八  本化(ほんげ)・迹化(しゃっけ)・他方の前三御三を説きあかす


 文に「又迹化の大衆」等と云うは、此の下は次に伏疑を(しゃく)す、(また)二あり。初めに正釈、次に「天台」の下は引証なり。

初めの正釈とは、疑って云く、経文には(ただ)他方を(とど)む、何ぞ迹化他方を止むと云うや。

之を釈する文の意は、迹化の大衆は是れ我が久遠名字(みょうじ)の弟子に非ず。是れ我が久遠名宇の子に非ざれは、(まさ)に我が久遠名字の妙法を弘むべからざるが故に。又迹化の大衆は久遠名字の本法所持の人にも(あら)ず、故に(まさ)に久遠名字の本法を付すべからず。故に(とも)之を(とど)むるなり。「弟子等()」の「等」の字、深く之を案ずべし云云。

次に引証の文の中に輔記(ふき)の意に(いわ)く、法は是れ久遠実成名字(みょうじ)の妙法なり。故に久遠実成名字の妙法所持の人に付するぞとなり。(まさ)に知るべし、久遠(じつ)(じょう)名字の妙法とは即ち是れ本法なり云云。(いま)本化(ほんげ)付嘱の三文を引いて、(かえ)って迹化(しゃっけ)制止の義を顕すなり。

問う、今天台の前三後三の釈に准ずるに、応に迹化・他方に(おのおの)前三後三の義あるべきや。

答う、諸文の意に准ずるに、()し広く之を釈せば(まさ)()有るべきなり。

謂く、他方・本化(ほんげ)の前三後三とは、

一には他方は釈尊の(じき)(てい)に非ざるが故に。義疏(ぎしょ)の第十に云く「他方は釈迦の所化(しょけ)に非ず」等云云。

二には他方は(おのおの)任国あるが故に。天台(てんだい)云く「他方は各々(おのおの)自ら任国あり」等云云。

三には他方は結縁(けちえん)の事浅きが故に。天台云く「他方は此の土に結縁の事浅し」等云云。

一には本化は釈尊の直弟なるが故に。天台云く「是れ我が弟子、(まさ)に我が法を弘むべし」等云云。

二には本化は常に此の土に住するが故に。大田抄に云く「地涌(じゆ)千界(せんがい)娑婆(しゃば)世界に住すること多塵劫(たじんこう)なり」(取意)と云云。

三には本化は結縁の事深きが故に。天台云く「縁深厚(じんこう)なるを以て()く此の土に(へん)じて(やく)す」等云云。

次に迹化(しゃっけ)本化(ほんげ)の前三後三とは、

一には迹化は釈尊(みょう)()(そく)の弟子に非ざるが故に。今文に云く「迹化の大衆は釈尊初発心(しょほっしん)の弟子等に非ざる故なり」と云云。「初発心」とは名字即なり。輔記(ふき)の第八の如し。

二には迹化は本法所持の人に非ざるが故に。下の文に云く「文殊(もんじゅ)観音(かんのん)等は(また)爾前(にぜん)迹門の菩薩なり。本法所持の人に非ず」(取意)等云云。

三には迹化は功を積むことが浅きが故に。新尼抄に云く「観音・(やく)(おう)等は智慧(ちえ)(いみ)じく(さと)り有る人人とは(いえど)も、法華経を学ぶの日浅く、末代の大難(しの)(がた)かるべし」(取意)等云云。

一には本化は釈尊名字(みょうじ)(そく)の弟子なるが故に。下の文に云く「我が弟子(これ)(おも)地涌(じゆ)千界(せんがい)は教主釈尊の初発心(しょほっしん)の弟子なり」等云云。

二には本化は本法所持の人なるが故に。輔記(ふき)に云く「法()()(じょう)の法なるが故に久成の人に付す」と云云。御義の上終に云く「()の菩薩は本法所持の人なり。本法とは南無妙法蓮華経なり」云云。

三には本化は功を積むことが深き故に。下山抄に云く「五百塵点劫(じんてんごう)已来(いらい)向に本門寿量の肝心(かんじん)を修行し習い給う上行菩薩」(注:この「五百塵点」から「習い給う」までの御文は御書全集に拝せず平成新編に拝す)等云云。()()く此等の意を(さと)らば、通じて迹化・他方を(とど)むること()在り言を絶す。云云。


                    つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-25 23:47 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 25日

観心本尊抄文段 下二七


一 問うて(いわ)其の証文如何(いかん)

此の下は次に引証(いんしょう)二と為す。初めに(まさ)しく引証、次に「疑つて云く」の下は本化(ほんげ)出現の時節を明かす。初めの正しく引証の文、亦二と為す。初めに問、次に答、(また)三と為す。初めに本門序分の文を引き、次に本門正宗(しょうしゅう)の文を引き、三に本門流通の文を引く。

文に「涌出(ゆじゅつ)品に云く」等と云うは、

問う、正しく是れ本門序分の文なり。何ぞ文底の流通(るつう)に属せんや。

答う、血脈抄に云く「本果(ほんが)(みょう)の釈尊本因(ほんにん)(みょう)の上行菩薩を()し出す事は一向(いっこう)に滅後末法利益の為なり、(しか)る間・日蓮修行の時は、後の十四品(みな)滅後の流通分なり」と云云。(げん)(せん)の第に「流通の中に至って」「三変千涌(せんゆ)す」と云えるは、即ち此の意なり。

初めの本門序分の文、亦二と為す。初めに如来不許(ふきょ)の文を引き、次に「法師より」の下は(しゃく)二と為す。初めに前後の相違を標し、次に「天台智者」の下は会釈、(また)二と為す。初めに前三後三を標し、次に「所詮迹化・他方」の下は意を取って(しゃく)を略す、亦二と為す。初めに迹化・他方を止むる所以(ゆえん)を明かし、次に「又迹化の大衆」の下は伏疑(ぶくぎ)を釈す。

初めの文に云う「所詮迹化・他方の大菩薩」とは、

問う、三種の菩薩の立名(りゅうみょう)如何(いかん)

答う、(ここ)に二義あり。

一には(いわ)く、菩薩所住の(ところ)に約す。(しょ)の九に「下方・他方・旧住(くじゅう)」と云う是れなり。本化(ほんげ)の菩薩は下方空中に住するが故に下方と云う。他方の菩薩は此の娑婆(しゃば)(ほか)の国土に住するが故に他方と云う此の他方の菩薩に対して文殊(もんじゅ)等の迹化の菩薩を旧住(くじゅう)の菩薩と名づくるなり。

二に謂く、仏の本迹の教化(きょうけ)に約す。(しょ)の十に「迹化(しゃっけ)本化(ほんげ)・他方」と云う是れなり。此れ(すなわ)ち下方の菩薩は仏の本地の教化の菩薩なり。故に本化と名づく。経に「(われ)久遠より(こにかた)(これ)()の衆を教化せり」と云う是れなり。文殊(もんじゅ)等の菩薩は、仏の迹中の教化の菩薩なり。故に迹化と云うなり。(けだ)し他方の菩薩は本地の教化にも(あら)ず、迹中の教化にも非ず、(ただ)是れ他仏の弟子なり。故に他方と云うなり。

()し此の立名を(さと)らば即ち三種の菩薩の親疎(しんそ)を知らん。若し三種の菩薩の親疎を知らば即ち諸抄の何況(がきょう)(さと)らんのみ。

文に云う「我が内証(ないしょう)の寿量品」とは、

問う、寿量品の肝心(かんじん)、妙法五字に同じとせんや、(ことな)るとせんや。()し同じと云わば、(およ)そ内証の寿量品とは(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の寿量品なり。寿量の肝心、妙法五字とは久遠(くおん)元初(がんじょ)の本因妙なり。何ぞ是れ同じならんや。若し異るといわば、血脈抄に云く「我等が内証の寿量品とは(だっ)(ちゃく)寿量の文底の本因(ほんにん)(みょう)の事なり」と。(あに)同じきに非ずや。

答う、此れ(すなわ)ち脱益当分の寿量品に同じからず、種家の脱益の寿量品にも同じからず。「我等が内証の寿量品」とは、(ただ)ちに(しか)久遠元初の本因妙を()(あらわ)、故に(のう)(せん)の辺に(したが)って内証の寿量品と名づけ、所詮の辺に従って久遠元初の本因妙と名づくるなり。(しか)るに能詮・所詮に二無く別無し。故に「我が内証の寿量品」とは、(すなわ)是れ脱益の寿量品の文底本因妙の事なり。当段の文勢(もんぜい)・義意(まった)是れ此のなり。

                    

                          つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-25 23:44 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 25日

南条時光の亡き父の墓参りに日興上人を遣わしたことを記した書【春之祝御書】

【春之祝御書】
■出筆時期:文永十二年(1275年)一月 五十四歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書は南条時光が十六歳の時に賜った消息です。

大聖人は十年前に亡くなった時光の亡父南条兵衛七郎の墓に詣でた事を伝えられると共に、身延に入山する時「とをりて候ひしが、心にかかりて候」と記し、墓の近くを通ったが詣でる事ができず気にかかっていたと故兵衛七郎を偲ぶ心情を率直に伝えておられます。さらにその思いを叶えるため、正月の内に日興上人を遣わし「御はかにて自我偈一巻よません」と記すとともに、故兵衛七郎の形見とも言える時光と法華経の行者が共に墓に詣でる事を、亡き父はどれほど嬉しかろうと、時光を励まされておられます。

大聖人が兵衛七郎、その子息時光にこれほど配慮されるのは、後に日興上人を自身の領地に招いて大石寺の開基檀那となる当時十六歳の時光に、すでにその将来の姿を見出していたのではと思われます。
■ご真筆:富士大石寺所蔵(非一般公開)。

[春之祝御書 本文]

春のいわい(祝)わすでに事ふり候ぬ。

さては故なんでう(南条)どのはひさしき事には候はざりしかども、よろず事にふれてなつかしき心ありしかば、をろかならずをもひしに、よわひ盛んなりしにはかなかりし事、わかれ(別れ)かなしかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだり、御はか(墓)をば見候ひぬ。

それよりのちはするが(駿河)のびん(便)にはとをもひ(思い)しに、このたびくだしには人にしのびてこれヘきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力をよばず、とをり(通り)て候ひしが心にかかりて候。

その心をとげんがために、此の御房(日興上人)は正月の内につかわして、御はか(墓)にて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候。
御との(殿)の御かたみ(形見)もなし、なんどなげきて候へば、との(時光)をとどめをかれける事よろこび入て候。

故殿は木のもと、くさむらのかげ、かよう人もなし。仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれなるらん。をもひやり候へばなんだ(涙)もとどまらず。

との(殿)の法華経の行者うちぐして御はかにむかわせ給ふには、いかにうれしかるらん、いかにうれしかるらん。 (これ以降の本文は残されておりません)

by johsei1129 | 2015-09-25 20:49 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)