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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 15日 ( 2 )


2015年 09月 15日

末代悪世に入れば須臾の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ、と説いた【上野殿御返事(法華経難信事)】

【上野殿御返事(法華経難信事)】
■出筆時期:弘安四年(1281年)三月十八日 六十歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書は上野殿(南条時光)に、四ヶ月前に亡くなられた末の弟・故五郎のことに触れられて与えられた消息ですが、本書を著した五日前にも、時光の母上野尼御前に故五郎のことに触れられて慰めの消息を送られておられます。七ヶ月前に時光は五郎を伴って身延の草庵に見参しており、その時大聖人にお目通りされておられます。
大聖人はその時の五郎の印象が強かったのか、五郎の思い出に触れられた消息は本書を含め八通も残されておられます。

本書で大聖人は「火に入りてやけぬ者はありとも<略>末代悪世に入れば須臾の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ<略>法華経の御ゆへに、あやしのとが(尖)にあたらんとおもふ人は候はぬぞ。身にて心みさせ給い候いぬらん。たうとし・たうとし」と記し、熱原の法難以降、時光が幕府の圧力に怯(ひる)むことなく、農民信徒の外護にあたった功績を最大限に讃えられておられます。
尚、冒頭の神主は法華経に帰依したことで非難され時光が保護した浅間神社の神主と思われます。※参照[上野殿御返事]
■ご真筆:現存しておりません。古写本:日興上人筆(富士大石寺蔵:非一般公開)

[上野殿御返事(法華経難信事) 本文]

蹲鴟(いも)一俵給び了んぬ。
又かうぬし(神主)のもとに候、御乳塩(白馬と思われます)一疋、並びに口付一人候。

さては故五郎殿の事は・そのなげき(嘆き)ふりずとおもへども、(故五郎殿の)御けさん(見参)は・はるかなるやうにこそ・おぼえ候へ。なをも、なをも法華経をあだむ事は・た(断)えつとも見え候はねば、これよりのちも・いかなる事か候はんずらめども、いままでこらへさせ給へる事まことしからず候。

仏の説いての給はく、火に入りて・やけぬ者はありとも、大水に入りてぬれぬものはありとも、大山は空へとぶとも、大海は天へあがるとも、末代悪世に入れば須臾の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ。

徽宗(きそう)皇帝は漢土の主(ある)じ・蒙古国に・からめとられさせ給いぬ。隠岐の法王は日本国のあるじ・右京の権大夫殿に・せめられさせ給いて・島にてはてさせ給いぬ。法華経のゆへにてだにも・あるならば即身に仏にもならせ給いなん。

わづかの事には身をやぶり命をすつれども、法華経の御ゆへに・あやしのとが(尖)にあたらんとおもふ人は候はぬぞ。身にて心みさせ給い候いぬらん。たうとし・たうとし、恐恐謹言。

弘安四年三月十八日       日 蓮 花 押
上野殿御返事

by johsei1129 | 2015-09-15 22:08 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 15日

観心本尊抄文段 下一七


  第九段 文底下種三段の流通(るつう)を明かす


一 迹門十四品の正宗(しょうしゅう)の八品等

此の下は次に迹本二門通じて文底の流通(るつう)に属することを明かすなり。

問う、迹本に(おのおの)序・正あり。何ぞ流通に属せんや。

答う、文上の章段は実に所問の如し。今は文底下種の正宗(しょうしゅう)に望む故に文上の三段を通じて流通に属するなり。(およ)そ流通とは、在世正宗の(ほっ)(すい)を滅後末代に流通する故に流通と云う

(しか)るに今の文は「迹本並びに再往(さいおう)滅後末法の(ため)」と云う(あに)流通に属するに非ずや。

故に御義口伝下二十五に云く「(そう)じては流通とは未来当今の為なり、法華経部は一往(いちおう)は在世の為なり、再往は末法当今の為なり、()の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏(とも)に許して未来滅後の者の為なり、品品(ほんぽん)の法門は題目の(ゆう)なり(たい)の妙法・末法の為ならば、何ぞ(ゆう)の品品別ならんや」等云云。

問う、迹本同じく流通(るつう)に属せば、本迹(さまた)げなきや。

答う、同じく流通に属すれども勝劣(しょうれつ)分明(ふんみょう)なり。

故に宗祖云く「今時は(しょう)には本門、(ぼう)には迹門」云云。

又云く「正には寿量品、傍には方便品」(取意)等云云。三時(そう)(もう)の傍正、迹本相望の傍正、之を混乱すべからず。

此の下の文、分ちて(また)二と()す。初めに迹門、次に本門なり。

初文の意は、即ち血脈抄に云く「前十四品は(ことごと)く流通分の本迹。如来の内証(ないしょう)は序品より滅後正像末の(ため)なり」等云云。

問う、迹門十四品(すで)に序分に属す、何ぞ(また)流通と為さんや。

答う、(およ)そ迹門に於て(また)二意あり。

には迹門当分。是れ(すなわ)本無(ほんむ)(こん)()の法なり。「不識(ふしき)(てん)(げつ)(たん)(かん)()(げつ)」とは是れなり。

二には本家の迹門。是れ則ち本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)の迹門なり。「従本(じゅうほん)垂迹(すいじゃく)如月(にょげつ)現水(げんすい)」とは是れなり。(さき)には迹門当分の辺を以て序分に属す、故に小邪(しょうじゃ)未覆(みふく)」と云うなり。今は本家の迹門を以て流通に属す、故に末法を正と()すと云うなり。

問う、本家の迹門、本有常住ならば、何の勝劣(しょうれつ)あらんや。

答う、本有の本迹の勝劣は宛然(おんねん)なり。

故に十法界抄に云く「天月・水月本有(ほんぬ)の法と成りて本迹(とも)に三世常住と(あらわ)るるなり」等云云。例せば体内の(ごん)は、体内の(じつ)に及ばざるが如し。

初めに迹門の文、(わか)ちて(また)三と為す。初めに正釈、次に引証、三に結。

初めの正釈、二と為す。初め一往(いちおう)在世の正宗を示し、次に再往(さいおう)滅後の流通を明かす。

初めの文に(また)(ぼう)(しょう)あり。所謂(いわゆる)順次に之を見れば二乗(にじょう)を正と為し、菩薩・凡夫を傍と為す。(いわ)く、菩薩・凡夫(ぼんぷ)は成じ(やす)き故に傍なり。し二乗の人は成じ(がた)き故に正なり。又同じき大通(だいつう)下種の中に、菩薩の人は法華()(ぜん)(あるい)は種子を顕し、凡夫の人は法華已後(いご)に或は種子を顕す。故に是れ仏の本意に(あら)ず、故に名づけて傍と為す。(ただ)二乗の人のみ法華に来至(らいし)して種子を(けん)()す。是れ仏の本意なり。故に(しょう)と為すなり。

問う、取要抄に云く「第一は菩薩・第二は二乗(にじょう)・第三は凡夫なり」と云云。(あに)相違するに非ずや。

答う、今(とく)(だつ)に約する故に(ぼう)(しょう)云う。彼は経文の次第に約する故に第・第二等と云うなり。(いわ)く、経に云く「菩薩()の法を聞いて疑網(ぎもう)(すで)に除く。千二百羅漢(らかん)(ことごと)(また)(まさ)作仏(さぶつ)すべし」と云云。次に歓喜(かんぎ)段の文に云く「我等(また)()くの如く必ず当に作仏することを得べし」と云云。

次に再往(さいおう)滅後流通を明かす、文に(また)通別あり。所謂(いわゆる)逆次に之を見れば、通じては正像末を正と()し、別しては末法を以て正が中の正と為すなり。次の引証の文は(すなわ)此の意なり。

次に引証の文に「(しか)も此の経は」「法をして久住せしむ」と云うは、(まさ)に知るべし、「(この)(きょう)」の二字、「法」の字、(まさ)しく正宗八品を指すなり。文意は(すで)に如来の在世を()げて漸々(ぜんぜん)に次第して之を(きょう)す。故に(いわん)や正法をや、況や像法をや、況や末法をや等云云。又仏の本意は法をして正像末法の(ほか)に住せしめんとなり。故に「況や滅度の後をや」「法をして久しく住せしむ」の文は、通じては滅後を正と()し、別しては末法を正と為す意なり。(すで)に末法を以て正が中の正と為す、故に末法下種の流通(るつう)段に属するなり。

        

  

                     つづく

文段下 目次



by johsei1129 | 2015-09-15 21:53 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)