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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 13日 ( 5 )


2015年 09月 13日

開目抄愚記 下終


   第五十段  結  勧

一 ()れ法華経の宝塔品

  当抄の始終(しじゅう)、文を分ちて三と為す。初めに(ひょう)、次に(しゃく)、第三に当文の下は結勧なり。()文相(もんそう)()れば上来一連の文なりと(いえど)も、(いま)元意を取って第三に結勧を科するなり。其の例(はなは)だ多し云云。

一 したし(しうし)き父母なり

  異本(いほん)に云く「しうし(主師)()母なり」等云云。

(いわ)く、異本最も(しか)るべきなり。

  一には当抄の大意に准ずる故に。(いわ)く、(すで)に巻の(はじめ)に於て主師親の(さん)(とく)(ひょう)し、巻の(ちゅう)に至って広く脱益(だっちゃく)の三徳を明かして下種の三徳を知らしむ。故に今、(かん)()に至って(まさ)に三徳を()げて之を結すべきが故に。

  二には諸抄の例文に准ずる故に。(いわ)く、当文の引証(いんしょう)(すで)に「彼が(ため)に悪を除くは(すなわ)ち是れ彼が親」の文を引く。(しか)るに諸抄の中に(みな)此の文を引いて三徳を明かす故に。

撰時抄上二十に云く「章安(しょうあん)大師云く『彼が為に悪を除くは(すなわ)ち是れ彼が親なり』等云云、されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師が師範(しはん)なり(また)主君なり」云云。

  真言諸宗違目抄十七・十一に云く「日蓮は日本国の人の為には(けん)()なり(せい)(しん)なり導師なり乃至日蓮既に日本国の王臣等の為には『彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親』に(あた)れり」等云云。

  下山抄二十六・三十七も之に同じ。故に異本(いほん)を正と為すべきなり。()し現本に准ぜば、(ただ)是れ父母を()げて即ち師・主を(せっ)するなり。賢父・聖親は(すなわ)ち主なり、即ち師なるが故なり。






開目抄愚記下 目次           



by johsei1129 | 2015-09-13 21:45 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 13日

開目抄愚記 下四一


 第四十九段  折伏を行ずる利益を明かす

一 問うて云く摂受(しょうじゅ)

  此の下は三に料簡(りょうけん)、亦二あり。初めに折伏(しゃくぶく)の時に摂受を行ずる(とが)を明かし、次に「問うて云く」の下は折伏の時に折伏を行ずる(とく)を明かすなり。初めの文に(また)二あり。初めに経を引き、次に「建仁」の下は台密(たいみつ)二宗を破するなり。

一 涅槃(ねはん)経に云く等

  会疏(えしょ)三・五十二。「善男子」の下は在家、「能く戒を持ち浄行を守護すと雖も」の下は出家なり。

一 (ほう)(ねん)・大日等

  「大日」とは(のう)(にん)の事なり。釈書の二・五。

一 ()し能く挙処(こしょ)駈遣(くけん)し、呵責(かしゃく)せんは

  (まさ)()くの如くに点ずべし。上の文に例して知るべし。

 「挙処」というは、啓蒙(けいもう)三・十四に四義を出せり。

  一には謗者の住処を()げて折伏する義なり。

  二には動なりの(くん)を用い、追って(ところ)を去らしむる義なり。

  三には挙容の処を(とも)に駈遣すべし。

  四には罪を()げて処分する義なり云云。

  此等の諸義、皆(いま)分明(ふんみょう)ならず。今(いわ)く「挙処(こしょ)」とは即ち一切の処なり。謂く、謗者の所至の(ところ)、一(しょ)をも()らさず駈遣(くけん)し、呵責すべしとなり。弘決(ぐけつ)第七末六十三に云く「空の挙心は法界に非ざること無しと談ず」等云云。止随(しずい)七・五十八に云く「挙心とは一切心なり」と云云。(また)和訓には「(ところ)(こぞ)って」と読むべし。例せば「世を(こぞ)って・人を挙って・国を挙って・身を挙って」等の如し。此等の例文を持って今の意を(りょう)すべきなり。

                       つづく
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by johsei1129 | 2015-09-13 21:35 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 13日

開目抄愚記 下四十  摂折(しょうしゃく)二門を五義に約す

一 今の時は(けん)にして法(かく)

  人心嶮岨(けんそ)なること(なお)(さん)(がく)の如し。故に「嶮」というなり。楽天の云く「(たい)(こう)(みち)()く車を(くだ)く。()し君が心に比すれば是れ(たん)()なり」と。垣は平らかなり。「阿波(あわ)鳴戸(なると)は波風も無し」。

一 ()摂受(しょうじゅ)折伏(しゃくぶく)

  此の下は次に釈、亦三あり。初めに(しょう)(しゃく)偏執(へんしゅう)を示し、次に「無智」の下は摂折適時(ちゃくじ)を明かし、三に「譬へば熱き」の下は譬。

初めの摂折偏執の中に(ほっ)()り、見るべし。

一 無智・悪人の国土に充満の時は摂受を(さき)とす安楽行品のごとし

  安楽行品の初めに云く「後の悪世に於て、()(かん)()く是の経を説かん」と云云。此の文、(まさ)しく「無智・悪人の国土に充満の時」を説くなり。是れ(すなわ)ち勧持品の中の「後の悪世の衆生は善根(うたた)少なくして、増上(ぞうじょう)(まん)多く」及び「裟婆(しゃば)国の(うち)は、人(へい)(あく)多く」等の文を()して「後の悪世」と説くが故なり。

  問う、彼の品の中に(すで)に三乗の行人を()ぐ。何ぞ無智・悪人充満の悪国というや。

  答う、悪国と云うと(いえど)も、善人無きに(あら)ず。(ただ)是れ少分なるのみ。例せば(ぼう)(こく)の中にも少分は正信の者あるが如し云云。

一 邪智・謗法(ほうぼう)の者の多き時は折伏(しゃくぶく)(さき)とす(じょう)不軽(ふきょう)品のごとし

  少分は正信の者あり、故に「謗法の者の多き時」と云うなり。不軽(ふきょう)品に云く「時に(もろもろ)の四衆、法に計著(けいじゃく)せり」と。又云く「時の四部の衆の著法(じゃくほう)の者」云云。是れ(すなわ)執権(しゅうごん)(ぼう)(じつ)邪智(じゃち)謗法の者を説くなり。

一 (たと)へば熱き時に寒水を用い等

  此の下は三に(たとえ)(また)二あり。初めに(しょう)(しゃく)適時(ちゃくじ)(とく)(あらわ)し、次に「草木」の下は(かえ)って摂折偏執(へんしゅう)(とが)を示すなり。

一 草木は日輪の眷属(けんぞく)文。

  「日輪」は是れ太陽、「草木」は是れ少陽なり。故に「眷属」というなり。(えき)の中に、木を以て少陽に配するなり。

一 末法に摂受(しょうじゅ)折伏(しゃくぶく)あるべし等

  問う、()(しか)らば、末法も(また)摂受を行ずべきや。

  答う、(しょう)(しゃく)二門に()いては古来の義(らん)(ぎく)なり。今(しばら)く五義に約す云云。

  一には教法に約す。(いわ)く、其の大旨(たいし)を論ずれば、法華は(まさ)しく是れ折伏の教法なり。是れ(すなわ)ち法華の(かい)(けん)()(ぜん)(ごん)()を破し、法華の実理を(あらわ)すが故なり。(げん)(もん)第九・二十八に云く「法華折伏、()権門(ごんもん)()」等云云。本迹(ほんじゃく)(かい)(けん)、准例して知るべし。

  二には機縁に約す。謂く、()本已(ほんい)()(ぜん)の衆生の為には、摂受(しょうじゅ)門を以て而して之を(しょう)()す。若し(ほん)()()(ぜん)の衆生の為には、折伏門を以て而して之を(ごう)(どく)す。此の故に(しょ)第十・十八に云く「(もと)(すで)善有らば、釈迦小を以て而して之を将護す。(もと)(いま)善有らざれば、不軽(ふきょう)(だい)を以て而して之を強毒す」等云云。

  三には時節に約す。宗祖の云く「末法に於ては大小・(ごん)(じつ)・顕密、(とも)に教のみ有って得道無し。一閻(いちえん)浮提(ぶだい)謗法と()(おわ)んぬ、逆縁の為には(ただ)南無妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し」と云云。下の文に云く「(たと)い山林にまじわって一念三千の観をこらすとも(乃至)時機をしらず(しょう)(しゃく)の二門を(わきま)へずば・いか()でか生死(しょうじ)を離るべき」と云云。()の外の諸文、枚挙(まいきょ)(いとま)あらず云云。

  四には国土に約す。即ち今文の意なり。(いわ)く、末法は折伏の時なりと(いえど)も、()し横に余国を尋ぬれば(あに)悪国なからんや。其の悪国に於ては摂受を(さき)()すべし。(しか)るに日本国の当世は破法の国なる事分明(ふんみょう)なり。故に折伏を(さき)と為すべきなり云云。

  五には教法流布(るふ)の前後に約す。(すで)竜樹(りゅうじゅ)(てん)(じん)天台(てんだい)伝教(でんぎょう)等、前々(さきざき)流布の教法を破し、当機(とうき)益物(やくもつ)の教法を(ひろ)む。今、蓮祖も亦(しか)なり。前代流布の爾前・迹門を破して末法適時(ちゃくじ)の大白法、本門寿量の肝心(かんじん)を弘むるなり。其の相、諸抄の如し。之を略す。

                 つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-09-13 21:06 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 13日

開目抄愚記 下三九

  第四十八段  適時(ちゃくじ)()(きょう)を明かす

一 疑つて云く念仏者と(ぜん)宗等

  当巻十五の「疑つて云く当世の念仏宗と禅宗」の下は、(まさ)しく法華の行者(ぎょうじゃ)(あらわ)す、文(また)二と為す。初めに経を引いて身に()て、次に今文の下は適時(ちゃくじ)の弘教を明かすなり。大科の意、之を思え、之を思え。

()の下に適時の弘教を明かす、亦三あり。初めに問、次に答、三に「問うて云く」の下は料簡(りょうけん)なり。答の文に亦三あり。初めに明文を引いて難を(ふせ)ぎ、次に「夫れ摂受」の下は正しく釈し、三に「末法に摂受」の下は意を(けっ)するなり。

一 止観(しかん)に云く等

  第十・三十五下、下の弘決(ぐけつ)十・六十一。

一 一には(しょう)・二には(しゃく)

  摂受(しょうじゅ)折伏(しゃくぶく)の名目は、勝曼(しょうまん)経に()でたり。彼の経四に云く「此の衆生を見て、(まさ)に折伏すべき者は(これ)を折伏し、応に摂受すべき者は(これ)を摂受す。何を以ての故に。折伏・摂受を以ての故に法をして久住(くじゅう)せしむ」等云云。文随八・五十九に云く「折伏とは(ただ)是れ折破(しゃくは)調伏(じょうぶく)なり。摂受とは彼の機を(せっ)して(これ)を受用するなり」等云云。

「大経に(とう)(じょう)(しゅう)()し」とは第三・五十三、「下の文、(せん)()」とは十一巻二十、「(また)」は二巻九十五。

一 文句(もんぐ)に云く等

  第八・六十六。「弓を持ち()(たい)し」とは、是れ()()に約す。今の所用(しょゆう)(ただ)是れ折伏の辺を取るのみ。

一 一子地(いっしじ)に住す等

  「一子地」は是れ初地(しょじ)なり。此れ則ち此の位に法界の衆生を一子の如く慈念(じねん)するが故なり。故に摂受(しょうじゅ)(あた)るなり。

一 涅槃(ねはん)経の(しょ)に云く、出家・在家、法を(まも)らん等

  第四巻三十三。此の文の中の「出家」の二字は、伝写に(あやま)って加えたるか。(いわ)く、此の所引の文を本文に引き合せて之を写すの時、本文を謬見(びゅうけん)して(そつ)()に是れを加えたるか。彼の本文に云く「(ぜん)男子(なんし)正法を護持すとは広答、二と()す。一には在家、二には出家。在家の法を(まも)らんには其の(がん)(しん)所為(しょい)を取る」等云云。(すで)に科目の「出家」の二字に続いて「在家」と云う。故に後人、時に(のぞ)んで「出家在家の護法」と謬見するか。必ずしも末法無戒の証に()せんと(ほっ)して、(みだり)(これ)を加えたるには(あら)ざるか。草山(そうざん)抄二十九・五、()いて見よ。所詮(しょせん)は「出家」の両字を除くべし。此の文は在家の護法(ごほう)を明かすが故なり。

  問う、今(すで)に「(ねが)って人及び教典の(とが)を説かざれ」等の文を引いて、(ただ)ちに蓮祖の弘通(ぐつう)を難ず。何ぞ在家の護法(ごほう)を引いて此の難に()すべきや。

  答う、今の意は在家・出家に(こだ)わるには非ず、(ただ)是れ(しょう)(しゃく)二門の修行には(ごう)(にゅう)・水火の異同あることを知らしめんが為に、経釈の明文を引いて邪難を(ふせ)ぐなり。

  問う、()(しか)らば、出家の人に於ては(とう)(じょう)を許さざるや。

  答う、今文は在家に約す。(しか)りと(いえど)も、出家の人に之を制するには非ず。故に開山の二十六箇に「刀杖等に於ては仏法守護の(ため)(これ)を許す。(ただ)し出仕の時節は(これ)(たい)す可からざるか」等云云。安国論愚記の如し。

一 ()()()(そん)して等

  威儀(いぎ)を修せざるは、即ち是れ事を()つるなり。正法を護持するは、即ち是れ理を(そん)するなり。

                   
                       つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-09-13 20:40 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 13日

女人の成仏は法華経により候べきか、と説いた【法衣書】

【法衣書】
■出筆時期:弘安三年(1280年) 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書真筆の宛名の箇所が残っておりませんが、富木常忍の妻・富木尼御前に宛てられた消息と思われます。
本抄は富木尼から御衣布(ころもふ)と単衣布(ひとえぎぬ)をご供養されたことへの返書となっており、大聖人は「仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし、故に釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給いき」と記し、釈尊も養母の摩訶大母比丘尼から供養された衣を身につけて成道したと説き、富木尼の御衣布の供養は、摩訶大母比丘尼に匹敵するものだと、その志を称えられておられます。

さらに文末では、法華経 勧持品第十三で、釈迦が釈迦族の王子の時の妻、摩訶大比丘尼(耶輸陀羅・やしゅたら)が、将来「具足千万光相如来」となる記別を受けたことを引いて、「女人の成仏は法華経により候べきか」と断じられておられます。
■ご真筆:中山法華経寺所蔵(4紙:重要文化財)。
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[真筆本文箇所(第1紙)下記緑字箇所]
[法衣書 本文]

御衣布並に単衣布給候い了んぬ。
抑(そもそも)食は命をつぎ衣は身をかくす、食を有情に施すものは長寿の報をまねぎ人の食を奪うものは短命の報をうく。衣を人にほどこさぬ者は世世・存生に裸形の報をかん(感)ず、六道の中に人道・已下は皆形裸にして生る、天は随生衣(ずいしょうえ)なり
、其の中の鹿等は無衣にして生るのみならず、人の衣を・ぬすみしゆへに身の皮を人に・はがれて盗(ぬすみ)し衣をつぐのうほう(報)をえたり、人の中にも鮮白(せんびゃく)比丘に(尼)は生ぜし時・衣を被て生れぬ。

仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし、故に釈尊は摩訶大母比丘尼(まかだいもびくに)の衣を得て正覚をなり給いき、諸の比丘には三衣をゆるされき、鈍根の比丘は衣食ととのわざれば阿羅漢果を証せずと・みへて候、殊に法華経には柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)と申して衣をこそ本として候へ、又法華経の行者をば衣をもつて覆(おおわ)せ給うと申すも・ねんごろなるぎなり。

日蓮は無戒の比丘・邪見の者なり、故に天これをにくませ給いて食衣ともしき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦(ず)し・とき・どき・これをとく、譬へば大蛇(おろち)の珠を含みいらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし、いらんをすてて・せんだん・まいらせ候・蛇形(ちぎょう)をかくして珠を授けたてまつる。

天台大師云く「他経は但(ただ)男に記して女に記せず」等云云、法華経にあらざれば女人成仏は許されざるか、具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼のことなり。此れ等もつてをしはかり候に女人の成仏は法華経により候べきか、要当説真実は教主釈尊の金言・皆是真実は多宝仏の証明・舌相至梵天は諸仏の誓状なり。

日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや・大海の潮は増減せざるべしや大地は飜覆(はんぷく)すべしや。此の御衣の功徳は法華経にとかれて候、但心をもつて・をもひやらせ給い候へ、言(ことば)にはのべがたし。


【妙法蓮華経勧持品第十三】

仏告耶輸陀羅 汝於来世 百千万億 諸仏法中
修菩薩行 為大法師 漸具仏道 
於善国中。当得作仏。号具足千万光相如来。
応供。正遍知。明行足。善逝。世間解。無上士。調
御丈夫。天人師。仏。世尊。仏寿無量阿僧祇劫。

[和訳]

仏は耶輸陀羅に告げたまう。汝、来世の百千万億の諸仏の法の中に於いて
菩薩の行を修し大法師と為り、漸して仏道を具し
善国の中に於いて、まさに仏と作ることを得ん。名号は具足千万光相如来 (応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊※以上如来の尊称)
仏の寿命は寿無量阿僧祇劫なり(※極めて長遠な劫)。

by johsei1129 | 2015-09-13 19:58 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)