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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 08日 ( 3 )


2015年 09月 08日

日蓮大聖人 御書INDEX Ⅲ

※太字御書は本ブログにリンク
※緑字は略歴
※青字は御書十大部

[述作年月日] [御年] [御書名]

弘安1 1 57歳 [御義口伝]
弘安1 3.21 57歳 [諸人御返事]
弘安1 春 57歳 [衆生身心御書]
弘安1 4.1 57歳 [上野殿御返事]
弘安1 4.11 57歳 [檀越某御返事]
弘安1 4.12 57歳 [是日尼御書]
弘安1 4.14 57歳 [南条殿御返事]
弘安1 4.23 57歳 [太田左衛門尉御返事]
弘安1 4 57歳 [華果成就御書]
弘安1 5.1 57歳 [妙法尼御返事]
弘安1 5.22 57歳 [霖雨御書]
弘安1 5.24 57歳 [南条殿女房御返事]
弘安1 5月 57歳 [兵衛志殿御返事]
弘安1 6.3 57歳 [阿仏房御返事]
弘安1 6.25 57歳 [日女御前御返事]
弘安1 6.26 57歳 [治病大小権実違目]
弘安1 6.26 57歳 [中務左衛門尉殿御返事]
弘安1 6.26 57歳 [兵衛志殿御返事]
弘安1 6.27 57歳 [窪尼御前御返事]
弘安1 6 57歳 [米殻御書]
弘安1 7.3 57歳 [六難九易抄(妙法尼御前御返事)]
弘安1 7.7 57歳 [種々種物御消息]
弘安1 7.8 57歳 [時光殿御返事]
弘安1 7.28 57歳 [千日尼御前御返事]
弘安1 8.11 57歳 [弥源太入道殿御消息]
弘安1 9.6  57歳 [妙法比丘尼御返事]
弘安1 9.9 57歳 [兵衛志殿御書]
弘安1 9.19 57歳 [上野殿御返事(塩一駄御書)]
弘安1 9.24 57歳 [大田殿女房御返事]
弘安1  57歳 [三論宗御書]
弘安1 9 57歳 [本尊問答抄]
弘安1.10.1 57歳 [常忍抄]
弘安1 10 57歳 [四条金吾殿御返事(所領書)]
弘安1 閏10.12 57歳 [上野殿御返事]
弘安1 閏10.19 57歳 [千日尼御前御返事]
弘安1.閏10.22 57歳 [四条金吾殿御返事【石虎将軍御書】]
弘安1 11.1 57歳[九郎太郎殿御返事]
弘安1 11.29 57歳 [兵衛志殿御返事]
弘安1  57歳 [神国王御書]
弘安1  57歳 [法華初心成仏抄]
弘安1  57歳 [食物三徳御書]
弘安1  57歳 [閻浮提中御書]
弘安1  57歳 [根露枝枯御書]
弘安1  57歳 [大学殿事]
弘安1  57歳 [秀句十勝抄]
弘安1  57歳 [五大のもとへ御書]
弘安2 1.3 58歳 [上野殿御返事]
弘安2 1.8 58歳 [越後公御房御返事]
弘安2 1.21 58歳 [松野尼御前御返事]
弘安2 2.2 58歳 [日眼女釈迦仏供養事]
弘安2 2.28 58歳 [孝子御書]
弘安2 3.26 58歳 [松野殿後家尼御前御返事]
弘安2 3.以降 58歳 [故阿仏房讃歎御書]
弘安2.4.20 58歳 [上野殿御返事]
弘安2 4.23 58歳 [四条金吾殿御返事]
弘安2 5.2 58歳 [新池殿御消息]
弘安2 5.4 58歳 [窪尼御前御返事]
弘安2 5.13 58歳 [一大事御書]
弘安2 5.17 58歳 [四菩薩造立抄]
弘安2 5 58歳 [出家功徳御書]
弘安2 6.20 58歳 [松野殿女房御返事]
弘安2 7.13 58歳 [[盂蘭盆御書]
弘安2 7.27 58歳 [乗明上人御返事]
弘安2 8.6 58歳 [蒙古事]
弘安2 8.8 58歳 [上野殿御返事]
弘安2 8.11 58歳 [曾谷殿御返事]
弘安2 8.23 58歳 [日女御前御返事]
弘安2 8 58歳 [異体同心事]
弘安2 9.15 58歳 [四条金吾殿御返事【源遠長流御書】]
弘安2 9.16 58歳 [寂日房御書]
弘安2 9.20 58歳 [伯耆殿御書]
<弘安2 9.21 「熱原の法難」 駿河国・熱原の農民信徒(神四郎・弥五郎・弥六郎等)20名が鎌倉に移送される>
弘安2 9.26 58歳 [伯耆殿並諸人御中]
弘安2 10.1 58歳 [聖人御難事]
<弘安2 10.12 58歳 一閻浮提(全世界)総与の大御本尊建立>
弘安2 10.12 58歳 [伯耆殿等御返事]
弘安2 10.中旬 58歳 [滝泉寺申状]
<弘安2 10.15 熱原の三烈士鎌倉にて刑死される。他17名は後日放免される>
弘安2 10.17 58歳 [聖人等御返事]
弘安2 10.20 58歳 [両人御中御書]
弘安2 10.23 58歳 [四条金吾殿御返事]
弘安2 10 58歳 [三世諸仏総勘文教相廃立]
弘安2 11.6 58歳 [上野殿御返事]
弘安2 11.25 58歳 [富城入道殿御返事]
弘安2 11.25 58歳 [富城殿女房尼御前御書]
弘安2 11.25 58歳 [兵衛志殿女房御返事]
弘安2 11.30 58歳 [中興入道御消息]
弘安2 12.3 58歳 [右衛門太夫殿御返事]
弘安2 12.27 58歳 [窪尼御前御返事]
弘安2 12.27 58歳 [上野殿御返事]
弘安2    58歳 [本門戒体抄]
弘安2  58歳 [一代五時鶏図]
弘安3 1.3 59歳 [上野殿御返事(一月三日御書)]
弘安3 1.11 59歳 [百六箇抄]
弘安3 1.27 59歳 [秋元御書]
弘安3 1.27 59歳 [慈覚大師事]
弘安3 2 59歳 [新池御書]
弘安3 3.3 59歳 [日住禅門御返事]
弘安3 3.8 59歳 [上野殿御返事(孝不孝御書)]
弘安3 4.6 59歳 [おけ・ひさご御消息]
弘安3 4.10 59歳 [富城入道殿御返事]
弘安3 4.19 59歳 [かわいどの御返事]
弘安3 5.3 59歳 [窪尼御前御返事]
弘安3 5.18 59歳 [妙一尼御前御返事]
弘安3 5.26  59歳 [諸経と法華経と難易の事]
弘安3 5.28  59歳【御講聞書】※日向記
弘安3 5.29 59歳 [新田殿御書]
弘安3 6.27 59歳 [窪尼御前御返事]
弘安3 7.2 59歳 [大田殿女房御返事]
弘安3 7.2 59歳 [千日尼御返事]
弘安3 7.2 59歳 [上野殿御返事]
弘安3 7.7 59歳 [浄蔵浄眼御消息]
弘安3 7.14 59歳 [妙法尼御前御返事]
弘安3 7.14 59歳 [妙一女御返事]
弘安3 8.14 59歳 [内房女房御返事]
弘安3 8.26 59歳 [上野殿御返事(子宝書)]
弘安3 9.1 59歳 [松野殿女房御返事]
弘安3 9.6 59歳[上野殿御返事(弔慰御書)]
弘安3 9.19 59歳 [光日尼御返事]
弘安3 9.20 59歳 [大尼御前御返事]
弘安3 9   59歳 [南条殿御返事]
弘安3 10.5 59歳【妙一女御返事】
弘安3 10.8 59歳 [四条金吾殿御返事【殿 岡書】]
弘安3 10.21 59歳 [初穂御書]
弘安3 10.21 59歳 [刑部左衛門尉女房御返事]
弘安3 10.23 59歳 [大豆御書]
弘安3 10.24 59歳 [上野殿母尼御前御返事]
弘安3 11.3 59歳 [十八円満抄]
弘安3 11.29 59歳 [日厳尼御前御返事]
弘安3 12.初旬 59歳 [大夫志殿御返事]
弘安3 12.15 59歳 [南条殿御返事]
弘安3 12.16 59歳 [四条金吾許御文]
弘安3 12.18 59歳 [智妙房御返事]
弘安3 12.21 59歳 [ほりの内殿御返事(十字御書)]
弘安3 12.27 59歳 [上野殿御返事(須達長者御書)]
弘安3 12 59歳 [諌暁八幡抄
弘安3  59歳 [白米一俵御書]
弘安3  59歳 [王日殿御返事]
弘安3  59歳 [法衣書]
弘安3  59歳 [一代五時鶏図]
弘安3  59歳 [一定証伏御書]
弘安4 1.5 60歳 [十字御書]
弘安4 1.13 60歳 [上野尼御前御返事]
弘安4 3.18 60歳 [上野殿御返事]
弘安4 4.28 60歳 [椎地四郎殿御書]
弘安4 5.26 60歳 [八幡宮造営事]
弘安4 5  60歳 [大風御書]
弘安4 6.16 60歳 [小蒙古御書]
弘安4 7.27 60歳 [御所御返事]
弘安4 閏7.1 60歳 [曾谷二郎入道殿御報]
弘安4 8.8 60歳 [光日上人御返事]
弘安4 8.22 60歳 [治部房御返事]
弘安4 9.11 60歳 [南条殿御返事]
弘安4 9.20 60歳 [上野殿御返事]
弘安4 10.22 60歳 [富城入道殿御返事]
弘安4 11.15 60歳 [上野尼御前御返事]
弘安4 11.25 60歳 [地引御書]
弘安4 11.29 60歳 [富木殿御返事]
弘安4 11 60歳 [老病御書]
弘安4 12.8 60歳 [上野殿母尼御前御返事]
弘安4 12.11 60歳 [大夫志殿御返事]
弘安4 12.27 60歳 [窪尼御前御返事]
弘安4  60歳 [大白牛車御消息]
弘安4  60歳 [西山殿後家尼御前御返事]
弘安4  60歳 [妙法尼御前御返事(明衣書)]
弘安5 1.7 61歳 [八日講御書]
弘安5 1.11 61歳 [上野郷主等御返事]
弘安5 1.14 61歳 [内記左近入道殿御返事]
弘安5 1.20 61歳 [春初御消息]
弘安5 2.17 61歳 [桟敷女房御返事]
弘安5 2.25 61歳 [伯耆公御房消息]
弘安5 2.28 61歳 [法華証明抄]
弘安5 3 61歳 [莚三枚御書]
弘安5 4.8 61歳 [三大秘法禀承事]
<弘安5 9.8  身延山を出立する。>
<弘安5 9.18 池上宗仲邸に入る>
弘安5 9.19 61歳 [波木井殿御報]
弘安5.10.13 61歳 [身延山付嘱書]
<弘安5. 10.13辰の刻 61歳 池上宗仲邸にてご遷化なされる>
<弘安5.10.14 戌の刻 入棺 辰の刻 荼毘に付される。>
年代不詳    【南無御書】
年代不詳    【題目功徳御書】
弘安5.10.16 日興上人37歳【 宗祖御遷化記録】を記す
弘安7 1018 日興上人39歳[美作房御返事]
延慶2 日興上人64歳[富士一跡門徒存知事]
嘉暦3.7 日興上人 82歳 [五人所破抄]
元弘2.11.10 日興上人87歳[日興跡条々事]
元弘3.1.13 日興上人88歳[日興遺誡置文]





by johsei1129 | 2015-09-08 23:27 | 御書 INDEX・略歴 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 08日

一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なりと説いた【慈覚大師事】

【慈覚大師事】
■出筆時期:弘安三年(1280年)正月二十七日 五十九歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は大田入道(乗明)から鵞眼(ががん)三貫・絹の袈裟一帖をご供養されたことへの返書となっております。大田乗明は大聖人が御遷化なされた半年前の弘安五年四月八日に「三大秘法禀承事(ぼんしょうじ)」を賜り、大聖人の法門に深い理解をもった強信徒でした。
本抄で大聖人は「一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なり」と断じ、比叡山延暦寺・第三祖の慈覚大師は「法華経の頭を切りて真言経の頂とせり」と一刀両断に破折されておられます。
さらに文末では「一向真言の座主にて法華経の所領を奪えるなり、しかれば此等の人人は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵<中略>我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべ」と記し、真言宗の本質を理解するよう諭されておられます。大聖人は三十九歳で立正安国論を著されておられますが、その時期は念仏の破折が根幹にありましたが、四十七歳の時、蒙古から国書が届き立正安国論で予言した他国侵逼難が的中した以降は、「真言亡国」の思いを強くいだき、各信徒への消息でもこの思いを幾度となく認められておられます。
■ご真筆:中山法華経寺(13紙)所蔵(重要文化財)。
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[真筆(第7紙)本文箇所:なる優曇花~夢のごとく勘へ 迄]

[慈覚大師事 本文]

鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ、法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候。

なによりも受け難き人身値(あ)い難き仏法に値いて候に五尺の身に一尺の面あり其の面の中三寸の眼二つあり、一歳より六十に及んで多くの物を見る中に悦ばしき事は法華最第一の経文なり。

あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く「言う所の頂とは諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に頂を以て之れに名づく乃至人の身の頂最も為勝るるが如し、乃至法華に云く是法住法位と今正しく此の秘密の理を顕説す、故に金剛頂と云うなり」云云、又云く「金剛は宝の中の宝なるが如く此の経も亦爾なり諸の経法の中に最為第一にして三世の如来の髻(もとどり)の中の宝なる故に」等云云、此の釈の心は法華最第一の経文を奪い取りて金剛頂経に付くるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。

此れ即ち鶴の頚を切つて蝦(かえる)の頚(くび)に付けけるか、真言の蟆(かえる)も死にぬ法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候、此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ、三千年に一度花開くなる優曇花(うどんげ)は転輪聖王此れを見る。

究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらさんなり、一乗のかたき夢のごとく勘へ出して候、慈覚大師の御はかは・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭(くび)は出羽の国・立石寺(りっしゃくじ)に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか、明雲座主(ざす)は義仲に頚を切られたり、天台座主を見候へば伝教大師は・さてをきまいらせ候いぬ、第一義真・第二円澄・此の両人は法華経を正とし真言を傍とせり、第三の座主・慈覚大師は真言を正とし法華経を傍とせり、其の已後代代の座主は相論にて思い定むる事無し、第五十五並びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり、此の座主は安元三年五月日院勘を蒙りて伊豆の国へ配流、山僧・大津にて奪い取りて後治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給う、此の人生けると死ぬと二度大難に値えり、生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり、所謂大慢ばら門・須利等なり。

粗此れを勘えたるに明雲より一向に真言の座主となりて後・今三十余代一百余年が間・一向真言の座主にて法華経の所領を奪えるなり、しかれば此等の人人は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ、我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給うべし、恐恐。

正月二十七日 日 蓮 花押
太田入道殿御返事

by johsei1129 | 2015-09-08 22:53 | 大田乗明・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 08日

開目抄愚記 下三一

   
第四十段  別して俗衆・道門を明かす

一 第一の()(しょ)無智人

  此の下は別して三類に対す、(おのずか)ら三あり。第一俗衆(ぞくしゅ)云云。

一 東春(とうしゅん)に云く「公処(くしょ)に向う」

  問う、()れ第三の文なり。何ぞ第一に引くや。

  答う、今「公処」の二字を用う。()の故に之を引く。之を思え。

一 第二の法華経の怨敵(おんてき)文。

  此の下は道門、念仏者に配す、(また)三あり。初めに(かさ)ねて経釈(きょうしゃく)を引き、次に「道綽」の下は(まさ)しく念仏者に配し、三に「釈迦・多宝」の下は怨敵を結す。

一 悪世中の比丘(びく)

  重ねて経釈を引く中に、初めに(かさ)ねて経文を(ちょう)し、次に(こん)(きょう)流通(るつう)涅槃(ねはん)経の「諸の(あく)比丘(びく)」の文を引いて、今経の「邪智にして心諂曲(てんごく)」等の義を助くるなり。(また)()の邪智の悪比丘とは、即ち無信の僧なり。故に止観(しかん)の「()し信無きは高く聖境に()して」の文を引いて、其の義を顕すなり。涅槃経の中の「(じん)(みつ)の要義」とは即ち法華を()すなり。止観の()し智無きは」等の文は、(ただ)是れを借りて「未だ得ざるを()れ得たりと(おも)う」を顕すなり。(せん)(しょう)を破するを謂うには非ざるなり。

一 道綽(どうしゃく)禅師(ぜんじ)が云く

  此の下は次に(まさ)しく念仏者に配す、亦二あり。初めに能釈(のうしゃく)の邪正を判じて経文に配し、次に「涅槃経」の下は所依の善悪(ぜんなく)を判じて謗法(ほうぼう)を顕す云云。初文を二と()す。初めに能釈の二文を引き、次に「道綽と伝教」の下は(じゃ)(しょう)を判ず。能釈の二文とは、道綽・(ほう)(ねん)是れ一文、(みょう)(らく)・伝教・恵心是れ一文なり。

一 道綽(どうしゃく)と伝教等

  此の下は邪正を判ず、(また)二あり。初めに邪を責め、次に「第二の悪世」の下は結。初めの邪を責むる、亦二あり。初めに末弟、次に(ほう)(ねん)云云。

一 第二の悪世等

  此の第二の文頭に「(しか)れば(すなわ)」の二字を入れて見るべし云云。

一 涅槃(ねはん)経に云く(乃至)此よりの前は等

  第七・二十四の文なり。

  此の下は次に所依(しょえ)の善悪を判ず、(また)二あり。初めに正しく判じ、次に「猶華厳」の下は結。初めの正しく判ずるに(また)二あり。初めに経釈(きょうしゃく)を引き、次に「外道」の下に判ず。初文に亦二あり。初めに経を引き、次に「妙楽」の下は(しゃく)を引く、亦二あり。初めに「三教」を邪と名づけ、次に「止観」の下は四味(しみ)を邪と名づく。

一 妙楽云く、(おのずか)ら三教を指して。

  (げん)九・三、籤の九・四、取意の文なり。

  「止観に云く」は第二・三十七、「弘決(ぐけつ)」は二末二十一。既に「(ただ)円を善と為す」という。故に知んぬ、四味を悪と名づくることを。

一 外道(げどう)善悪(ぜんなく)

  此の下は内外(ないげ)相対、大小相対、権実相対並びに今昔(こんじゃく)二円相対して善悪を判ずるなり。記の一の本四十九。

一 ()(ぜん)の円は相待(そうたい)(みょう)なり、絶待(ぜったい)妙に対すれば(なお)悪なり等

  一義に云く、爾前の円は相待妙なり、法華の絶待妙に対すれば悪なり云云。唱法華題目抄の第四の義筋(ぎすじ)に当るなりと云云。

今謂く、此の義は不可なり。唱法華題目抄の第四の義は(まった)く爾前に相待妙を立つる義に非ず。相待妙をば法華に立て(おわ)って、爾前の円を以て()の相待妙に同ずるなり。

  一義に云く、爾前の円は法華の待絶(たいぜつ)二妙に対すれば悪なり等云云。

今謂く、此の義も相待妙・絶待妙の文言(おだ)やかならず、会釈(えしゃく)有りと(いえど)も、(なお)(うま)からざるなり。

  今案じて云く、此の段、文は略すれども意は(あまね)し。文意に云く、()(ぜん)の円は法華の相待妙に対するに悪なり。相対妙に同ずるとも絶待妙に対すれば悪なり。前三教に(せっ)すれば(なお)悪なり云云。故に「相待妙・絶待妙」というなり。(せん)二・六十六、又六十八。

一 爾前のごとく彼の経の(ごく)()を行ずる(なお)悪道なり、(いわん)(かん)(ぎょう)等をや

  問う、()(しか)らば観経は爾前に(あら)ずや。

  答う、(また)是れ文略なり。意に云く、爾前の華厳(けごん)般若(はんにゃ)の如く彼の経の(ごく)()を行ずる、(なお)悪道なり。(いわん)や華厳・般若に及ばざる(ほう)(どう)部中(ぶちゅう)の観経をや云云。故に法然(ほうねん)所依(しょえ)の観経は邪悪の小法なり。故に是れを行ずる人は邪悪の人なり。故に今経に「邪智にして(こころ)諂曲(てんごく)」と説き、涅槃経には「(あく)比丘(びく)」と説くなり。(たと)(ほう)(ぼう)無くとも(なお)(しか)なり、(いか)に況や法然房の大謗法あるをや云云。

一 (なお)華厳・般若等

  此の下は上を結して謗法を(あらわ)すなり。

一 釈迦・多宝等

  此の下は第三に怨敵(おんてき)を結するなり。

                  つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-09-08 06:54 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)