日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 23日 ( 4 )


2015年 08月 23日

設い法華経をもつて行うとも験なし、経は勝れたれども行者僻見の者なる故と説いた【治病大小権実違目】

【治病大小権実違目】
■出筆時期:弘安元年(1278年)六月二十六日 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、富木入道(常忍)から消息で、疫病が蔓延している状況の報告があり、それに対し大聖人が「夫れ人に二の病あり」と病についての論を展開されておられます。また追伸で「さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ・・・」と記されておられるように、四条金吾が富木殿・太田入道その他方々の供養を取りまとめ身延の草庵を訪問された事が伺えます。恐らくこれは毎月25日に定例で開かれていた「天台大師講(摩訶止観等の講義)」への供養ではないかと思われます。

さらに「此の法門のかたづらは佐衛門尉殿にかきて候、こわせ給いて御らむ有るべく候」と記され、この書で説いた法門のもう片方は四条金吾殿に書いたので、頼んで読んで下さいと記されておられます。
この事は、大聖人の消息を信徒が共有し、皆で読んで信仰を深めなさいという大聖人の強い思いが示されておられるものと拝されます。
尚、ここで記された四条金吾に宛てた消息は[中務左衛門尉殿御返事]になります。

■ご真筆:中山法華経寺所蔵(重要文化財)。古写本:日時筆(富士大石寺蔵)。
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※真筆の1行目に小さく「治病大小権實違目」と、富木常忍自ら付記されており、下総国の守護千葉氏の文官としての律儀さが垣間見えます。
[治病大小権実違目 本文]

富木入道殿御返事 日蓮

さへもん殿の便宜の御かたびら給い了んぬ。
今度の人人のかたがたの御さいども佐衛門尉殿の御日記のごとく給い了んぬと申させ給い候へ。
太田入道殿のかたがたのもの・ときどのの日記のごとく給い候了んぬ此の法門のかたづらは佐衛門尉殿にかきて候、こわせ給いて御らむ有るべく候。


御消息に云く凡そ疫病弥興盛等と云云、夫れ人に二の病あり一には身の病・所謂地大百一・水大百一・火大百一風大百一・已上四百四病なり、此の病は設い仏に有らざれども・之を治す所謂治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬・此れを治するにゆいて愈えずという事なし、二には心の病・所謂三毒乃至八万四千の病なり、此の病は二天・三仙・六師等も治し難し何に況や神農・黄帝等の方薬及ぶべしや、又心の病・重重に浅深・勝劣分れたり、六道の凡夫の三毒・八万四千の心病は小仏・小乗阿含経・倶舎・成実・律宗の論師・人師此れを治するにゆいて愈えぬべし。

但し此の小乗の者等・小乗を本として或は大乗を背き或は心には背かざれども大乗の国に肩を並べなんどする其の国其の人に諸病起る、小乗等をもつて此れを治すれば諸病は増すとも治せらるる事なし、諸大乗経の行者をもつて此れを治すれば則ち平愈す、又華厳経・深密経・般若経・大日経等の権大乗の人人・各各劣謂勝見を起して我が宗は或は法華経と斉等或は勝れたりなんど申す人多く出来し或は国主等此れを用いぬれば此れによつて三毒・八万四千の病起る、返つて自の依経をもつて治すれども・いよいよ倍増す、設い法華経をもつて行うとも験なし経は勝れたれども行者・僻見の者なる故なり。

法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円は相似せり爾前の仏と迹門の仏は劣応・勝応・報身・法身異れども始成の辺は同じきぞかし。

今本門と迹門とは教主已に久始のかわりめ百歳のをきなと一歳の幼子のごとし、弟子又水火なり土の先後いうばかりなし、而るを本迹を混合すれば水火を弁えざる者なり、而るを仏は分明に説き分け給いたれども仏の御入滅より今に二千余年が間三国並びに一閻浮提の内に分明に分けたる人なし、但漢土の天台・日本の伝教・此の二人計りこそ粗分け給いて候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず、詮ずる処は天台と伝教とは内には鑒み給うといへども一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故なり、今末法に入りぬ地涌出現して弘通有るべき事なり、今末法に入つて本門のひろまらせ給うべきには小乗・権大乗・迹門の人人・設い科なくとも彼れ彼れの法にては験有るべからず、譬へば春の薬は秋の薬とならず設いなれども春夏のごとくならず何に況や彼の小乗・権大乗・法華経の迹門の人人或は大小権実に迷える上・上代の国主彼れ彼れの経経に付きて寺を立て田畠を寄進せる故に彼の法を下せば申し延べがたき上・依怙すでに失るかの故に大瞋恚を起して或は実経を謗じ或は行者をあだむ国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故・或は自身の愚癡の故・或は実教の行者を賤しむゆへ等の故彼の訴人等の語を・をさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈・日月・四天等・其の国を罰する故に先代未聞の三災・七難起るべし、所謂去今年・去ぬる正嘉等の疫病等なり。

疑つて云く汝が申すがごとくならば此の国法華経の行者をあだむ故に善神此の国を治罰する等ならば諸人の疫病なるべし何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや。

答えて云く汝が不審最も其の謂有るか但し一方を知りて一方を知らざるか、善と悪とは無始よりの左右の法なり権教並びに諸宗の心は善悪は等覚に限る若し爾ば等覚までは互に失有るべし、法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり瓦石草木の並び滋がごとし善鬼は天下に少し聖賢まれなる故なり、此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも日蓮が方にこそ多くやみ死ぬべきにて候か、いかにとして候やらん彼等よりもすくなくやみ・すくなく死に候は不思議にをぼへ候、人のすくなき故か又御信心の強盛なるか。

問うて云く日本国に此の疫病先代に有りや。

答えて云く日本国は神武天皇よりは十代にあたらせ給いし崇神天皇の御代に疫病起りて日本国やみ死ぬる事半にすぐ、王始めて天照太神等の神を国国に崇しかば疫病やみぬ故に崇神天皇と申す、此れは仏法のいまだわたらざりし時の事なり、人王第三十代・並びに一二の三代の国主並びに臣下等疱瘡と疫病に御崩去等なりき、其の時は神にいのれども叶わざりき、去ぬる人王三十代・欽明天皇の御宇に百済国より経・論・僧等をわたすのみならず金銅の教主釈尊を渡し奉る、蘇我の宿禰等崇むべしと申す物部の大連等の諸臣並びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず若し崇むるならば必ず我が国の神・瞋りをなして国やぶれなんと申す。

王は両方弁まえがたくをはせしに三災・七難・先代に超えて起り万民皆疫死す、大連等便りを得て奏問せしかば僧尼等をはじに及ぼすのみならず金銅の釈迦仏をすみををこして焼き奉る寺又同じ、爾の時に大連やみ死ぬ王も隠れさせ給い仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ、大連が子・守屋の大臣云く此の仏をあがむる故に三代の国主すでに・やみかくれさせ給う我が父もやみ死ぬ、まさに知るべし仏をあがむる聖徳太子・馬子等はをやのかたき公の御かたきなりと申せしかば穴部の王子・宅部の王子等・並びに諸臣已下数千人一同によりきして仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ結句は守屋討たれ了んぬ、仏法渡りて三十五年が間・年年に三災・七難・疫病起りしが守屋・馬子に討たるるのみならず神もすでに仏にまけしかば災難忽に止み了んぬ、其の後の代代の三災・七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり、而れども或は一人・二人或は一国・二国或は一類・二類或は一処・二処の事なれば神のたたりも有り謗法の故もあり民のなげきよりも起る。

而るに此の三十余年の三災・七難等は一向に他事を雑えず日本・一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり。

見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり、神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし、但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし、止観の十境・十乗の観法は天台大師説き給いて後・行ずる人無し、妙楽・伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわきゆへにさてすぎぬ、止観に三障・四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず今日蓮が時具さに起れり、又天台・伝教等の時の三障・四魔よりもいまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候、恐恐謹言。

六月二十六日  日蓮 花押

by johsei1129 | 2015-08-23 19:49 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 08月 23日

五人所破抄二 On Refuting the Five Priests 2


 日興が云く、如法(にょほう)・一日の両経は法華の(しん)(もん)()りと(いえど)正像(しょうぞう)転時の往古(おうこ)・平等摂受(しょうじゅ)の修行なり、

Nikko stated:

The method of transcribing the Lotus Sutra inone day as well as the other method of doing it according to a certain style are valid practice, which are clearly described in the Lotus sutra. Both of these, however, are the practices of shōju, appropriate for the bygone ages of the Former and Middle Days of the Law. They are based on [ the theoreticalteaching of ] the Lotus Sutra.

今末法の代を(むか)えて折伏の相を論ずれば一部読誦(どくじゅ)(もっぱら)とせず、

Now in the age of the Latter Day of the Law,from the standpoint of practicing shakubuku, reciting the entire sutra is not the primary practice.

(ただ)五字の題目を唱え三類の強敵(ごうてき)を受くと(いえど)も諸師の邪義を責む可き者か、

One must chant only the Daimoku of the five characters and refute the heretical teachings expounded by the priests of other sects, no matter how severely the three powerful enemies may attack him.

此れ(すなわ)勧持(かんじ)不軽(ふきょう)の明文・上行弘通(ぐつう)の現証なり、

This instruction clearly is expounded in the Encouraging Devotion and the Bodhisattva Never Disparaging chapters of the Lotus Sutra. And this instruction was proven to be valid by Bodhisattva Jōgyō, who has actually propagated the Law.

何ぞ必ずしも折伏の時摂受(しょうじゅ)の行を修すべけんや、

Why would one practice shōju in the age when shakubuku must be performed

(ただ)四悉(ししつ)廃立(はいりゅう)・二門の取捨(しゅしゃ)(よろ)く時機を守るべし、

One must understand the time and capacity in order to appropriately select among the four ways of teaching and the two methods of syōju and shakubuku.

(あえ)(へん)(しゅう)すること(なか)れ云云。

One must not be attached solely to one or the other. 


                  【本文
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by johsei1129 | 2015-08-23 17:28 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 08月 23日

五人所破抄一 On Refuting the Five Priests 1

(そもそも)梵漢の両字と扶桑(ふそう)の一点とは時に()り機に随つて(たがい)に優劣無しと(いえど)も、(つらつら)上聖(じょうせい)被下(ひげ)(ぜん)(ぎょう)を思うに、(ほと)んど天竺(てんじく)(しん)(たん)の方便に超えたり、

Fundamentally, there is no advantage or disadvantage in using Sanskrit, Chinese,or Japanese, since there languages, were used according to the time and the people’s the capacity. However, when I deeply consider Nichiren Daisyonins insightful ways of leadingthe people to Buddhahood, I find that they surpass the other expedients that were taught in Sanskrit or Chinese.

何ぞ()(こく)の風俗を蔑如(べつじょ)して必ずしも漢家の(すい)()崇重(そうじゅう)せん、

Why should one always value Chinese characters while looking down upon the Japanese written language?

(ただ)し西天の仏法東漸(とうぜん)の時・(すで)(ぼん)(おん)(ほん)じて倭漢(わかん)に伝うるが如く、本朝の聖語も広宣(こうせん)の日は(また)仮字(かなじ)を訳して梵震(ぼんしん)に通ず可し、

Of course, when Buddhism gradually spread from India to the East, it was translated from Sanskrit into Chinese and Japanese, and then introduced to these countries. In the same way, at the time of kōsen- ruhu, the golden words of the Daishonin that were inscribed in the Japanese syllabary (kana characters) also must be translated into various languages and propagated throughout China and India.

遠沾(おんでん)(ほん)(やく)(じょう)(ろん)に及ばず、

In order to spread the Law far into the future, the Daishonin’s words must be translated into different languages.

()()の改変は(ひと)り悲哀を(いだ)く者なり。

This is a matter of course, I alone, however, feel grief to the arrogant and intentional distortion of the Daishoninn’s original words.



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by johsei1129 | 2015-08-23 16:20 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)
2015年 08月 23日

本因妙抄一 The Transmission of the Heritage of the Law in the Hokke Hommon Sect 1 

今日(こんにち)(じゅく)(だつ)の本迹二門を迹と()久遠(くおん)名字(みょうじ)の本門を本と為す、

Shyakyamuni Buddha expounded the theoretical and essential teachings of the Lotus Sutra to bestow the benefits of maturing and harvesting on the people [during his lifetime and after his death]. They are, however the theoretical teachings. On the other hand, Myoho [-Renge-Kyou] at the stage of first hearing the name of the Law in the infinite past of kuon ganjo, is the essential teaching.

信心(ごう)(じょう)にして(ただ)余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身(そく)仏身なり

When a common mortal single-mindedly chants Nam-Myoho-Rnge-Kyo with strong faith, he will become a Buddha.


              【本文】     つづく
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by johsei1129 | 2015-08-23 10:59 | WRITING OF NICHIREN | Trackback | Comments(0)