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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 06日 ( 4 )


2015年 08月 06日

観心本尊抄文段 上二四

次に道理を明かすとは、(およ)(がっ)()の風俗は()尊左卑(そんさひ)なり。その故は君・父・師は(みな)東面なるが故なり。故に甫註(ふちゅう)の四・四十に云く「天竺国は君・父・師(みな)東面なり。則ち左は北、右は南。北は是れ陰方、南は是れ陽方」等云云。是れ陰陽(おんよう)を以て尊卑を表するなり。君・父・師東面の故に(じょう)()(すで)に定めて右尊左卑なり。故に(また)余方に向って坐する時も、亦是れ右尊左卑なり。大論の第四十、文句(もんぐ)の第一、第二に云く「舎利(しゃり)(ほつ)は右面の弟子、目連は仏の左面の弟子」等云云。如来(みゆき)したもう時も、亦復(しか)るべし。(いわ)く、仏、東に向って(みゆき)したまう時は大衆も(また)東に向い、仏の左右に従って行くなり。余方も准例(じゅんれい)せよ。若し(しか)らば行坐の列次は右尊左卑なること分明(ふんみょう)なり。

今既に「(みゆき)の時」と云う(あに)右梵・左帝に(あら)ずや。(さき)の諸文の如き並びに此の意なり。故に知んぬ、伝写(あやま)って左梵・右帝に作るか。(あるい)は漢土の風俗に准じて後人(たやす)是れを改むるか。私志の五・九十一に云く「右面と言うは其の長勝を(あらわ)す。(しか)るに疏本(しょほん)同じからず。或は左面と云う。後人(たやす)改易(かいえき)せるなり。然る所以(ゆえん)は此の方、左を(とうと)ぶを以ての故なり。仏教は右を尚びて先と()す」等云云。若し名疏(みょうしょ)の中には身子(しんし)文殊(もんじゅ)を左面と為す。身延(みのぶ)山抄中に左梵・右帝に作る。是れ(じゅん)じて知るべし。

次に聴法の列次を明かすとは、(およ)そ聴法の列次は行坐の時に異なるなり。(いわ)く、仏、東に向って説法したまう時は大衆は西に向って聴聞(ちょうもん)し、仏、西に向って説法したまう時は大衆は東に向って聴聞するなり。諸経の中に「退坐(たいざ)一面」と云う是れなり。伝教(でんぎょう)大師、無量義経の註釈に云く「退坐一面と言うは(まさ)しく仏面に向って坐して法雨を待つ」等云云。(すで)に正しく仏面に向うと云う(あに)仏、西に向って法を説きたまえば、大衆東に向って是れを聴聞する義に(あら)ずや。正しく今経の宝塔(ほうとう)已後(いご)の儀式の如くんば、仏は西に向って説法し、大衆は東に向って聴聞するなり。

故に報恩抄上終に云く「教主釈尊・宝塔品にして一切の仏をあつ()めさせ給いて大地の上に()せしめ大日如来(ばか)り宝塔の(うち)の南の下座に()へ奉りて教主釈尊は北の上座に()かせ給う」等云云。(まさ)に知るべし、宝塔(すで)是れ西向きなり。故に北は是れ右尊にして上座なり。南は是れ左卑にして下座なり。

阿仏房抄三十一に云く「故阿仏房(あぶつぼう)の聖霊は乃至(りょう)鷲山(じゅせん)の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むき()()はすと日蓮は見まい()らせて候」等云云。

(あに)宝塔品已後(いご)、仏は西に向い、大衆は東に向うに(あら)ずや。仏は西に向うと(いえど)も、(なお)右尊左卑なり。大衆東に向うも亦是れ右尊左卑なり云云。当に知るべし、上行(じょうぎょう)無辺(むへん)(ぎょう)は火大・風大、(とも)虚空(こくう)(たぐい)なり。(じょう)(ぎょう)安立(あんりゅう)(ぎょう)は水大・地大、豈大地の類に非ずや。


        つづく
上巻目次



by johsei1129 | 2015-08-06 22:31 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 08月 06日

聖人出現して仏の如く法華経を談ぜん時、一国も騒ぎ在世に過ぎたる大難起こるべしと説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事】
■出筆時期:建治三年(西暦1277年)五月十五日 五十六歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は南条時光(上野殿)が、法華経信仰を止めさせようと言う動きがあることを報告したことへの返書となっております。本書は比較的長文のご消息文となっており、大聖人も当時の信徒の要でもあった時光の置かれている状況を重要視し本書でご指南されたものと思われます。

 大聖人は法華経法師品の「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」を引いて、「聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候」と自身が末法に出現した聖人(本仏)であることを示唆するとともに、提婆達多にそそのかされて釈尊に敵対した阿闍世王の事例、また当時退転したで弟子信徒のせう房・のと房・なごえの尼等の事例を引いて「よくふかく、心をくびやう(臆病)に、愚癡にして、而も智者となのりし、やつばらなりしかば、事のをこりし時たよりをえておほくの人をおとせしなり」と断じておられます。

 さらに文末では「かまへておほきならん人申しいだしたるらんは、あはれ法華経のよきかたきよ。優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめして、したたかに御返事あるべし」と記し「一日二日が内にこれへきこへ候べし、事おほければ申さず又又申すべし」と、直ぐに大聖人の元に見参するよう指導されておられます。
■ご真筆: 富士大石寺所蔵ほか四箇所にて所蔵。古写本:日興上人筆(富士大石寺所蔵)
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[上野殿御返事 本文]

五月十四日にいものかしら一駄、わざとおくりたびて候。当時のいもは人のいとまと申し珠のごとし、くすりのごとし、さてはおほせつかはされて候事うけ給わり候いぬ。

 尹吉甫と申せし人は、ただ一人子あり伯奇と申す、をやも賢なり。子もかしこし、いかなる人か、この中をば申したがふ(違う)べきと、おもひしかども、継母より、よりよりうたへしに用いざりしほどに、継母すねんが間・やうやうのたばかりを、なせし中に、蜂と申すむしを我がふところに入れて、いそぎいそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、われをけそうすると申しなして、うしなはんとせしなり。

 びんばさら王と申せし王は賢王なる上、仏の御だんなの中に閻浮第一なり。しかもこの王は摩竭提国の王なり、仏は又此の国にして法華経を・とかんとおぼししに・王と仏と一同なれば一定法華経とかれなんとみへて候しに、提婆達多と申せし人・いかんがして此の事をやぶらんと・おもひしに・すべて・たよりなかりしかば・とかうはかりしほどに・頻婆沙羅王の太子阿闍世王をとしごろとかくかたらひて・やうやく心をとり・をやと子とのなかを申したがへて・阿闍世王をすかし父の頻婆沙羅王をころさせ・阿闍世王と心を一にし提婆と阿闍世王と一味となりしかば・五天竺の外道・悪人・雲かすみのごとくあつまり・国をたび・たからをほどこし・心をやわらげすかししかば・一国の王すでに仏の大怨敵となる。
 欲界・第六天の魔王・無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば・形は人なれども力は第六天の力なり、大風の草木をなびかすよりも・大風の大海の波をたつるよりも・大地震の大地をうごかすよりも・大火の連宅をやくよりも・さはがしくをぢわななきし事なり。

 さればはるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす、阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふみころさせつ、或は道に兵士をすへ・或は井に糞を入れ・或は女人をかたらひて・そら事いひつけて仏弟子をころす、舎利弗・目連が事にあひ・かるだいが馬のくそにうづまれし、仏はせめられて一夏九十日・馬のむぎをまいりしこれなり、世間の人のおもはく・悪人には仏の御力もかなはざりけるにやと思ひて信じたりし人人も音(こえ)をのみて・もの申さず眼をとぢてものを・みる事なし、ただ舌をふり手をかきし計りなり、結句は提婆達多・釈迦如来の養母・蓮華比丘尼を打ちころし・仏の御身より血を出せし上・誰の人か・かたうどになるべき、かくやうやうになりての上・いかがしたりけん法華経をとかせ給いぬ。

 此の法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」と云云、文の心は我が現在して候だにも此の経の御かたきかくのごとし、いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をやと説かれて候なり。

 此れをもつておもひ候へば仏・法華経をとかせ給いて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども・いまだ法華経を仏のごとく・よみたる人は候はぬか、大難をもちてこそ・法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とは・みへて候しかども在世のごとくの大難なし、ただ南三・北七・南都・七大寺の小難なり、いまだ国主かたきとならず・万民つるぎをにぎらず・一国悪口をはかず、滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに・同じほどの難だにも来らず・何に況やすぐれたる大難・多難をや。

 虎うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいはうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわかず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候、今日蓮は賢人にもあらず・まして聖人は・おもひもよらず天下第一の僻人にて候が・但経文計りにはあひて候やうなれば大難来り候へば父母のいきかへらせ給いて候よりもにくきもののことにあふよりも・うれしく候なり。愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ・うれしき事にて候へ。
 智者たる上・二百五十戒かたくたもちて万民には諸天の帝釈をうやまふよりも・うやまはれて・釈迦仏・法華経に不思議なり提婆がごとしと・おもはれまいらせなば・人目はよきやうなれども後生はおそろし・おそろし。

さるにては殿は法華経の行者ににさせ給へりと・うけ給はれば・もつてのほかに・人のしたしきも・うときも日蓮房を信じては・よもまどいなん・上の御気色もあしかりなんと・かたうどなるやうにて御けうくむ候なれば・賢人までも人のたばかりは・おそろしき事なれば・一定法華経すて給いなん、なかなか色みへでありせば・よかりなん、大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつれば・それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり。

日蓮が弟子にせう房と申し・のと房といゐ・なごえの尼なんど申せし物どもは・よくふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばらなりしかば・事のをこりし時・たよりをえて・おほくの人を・おとせしなり、殿もせめをとされさせ給うならば・するがにせうせう信ずるやうなる者も・又信ぜんと・おもふらん人人も皆法華経をすつべし、さればこの甲斐の国にも少少信ぜんと申す人人候へども・おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候、なかなかしき人の信ずるやうにて・なめりて候へば人の信心をも・やぶりて候なり。
ただをかせ給へ・梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候。

御信用あつくをはするならば・人ためにあらず我が故父の御ため・人は我がをやの後世には・かはるべからず・子なれば我こそ故をやの後世をばとぶらふべけれ、郷一郷・知るならば半郷は父のため・半郷は妻子・眷属をやしなふべし、我が命は事出できたらば上に・まいらせ候べしと・ひとへにおもひきりて何事につけても・言をやわらげて法華経の信を・うすくなさんずる・やうを・たばかる人出来せば我が信心を・こころむるかと・おぼして各各これを御けうくんあるは・うれしき事なり、ただし御身のけうくんせさせ給へ、上の御信用なき事は・これにもしりて候を上をもつて・おどさせ給うこそをかしく候へ、参りてけうくん申さんとおもひ候つるに・うわてうたれまいらせて候、閻魔王に我が身と・いとをしとおぼす御めと・子とを・ひつぱられん時は・時光に手をやすらせ給い候はんずらんと・にくげに・うちいひて・おはすべし。

にいた殿の事まことにてや候らん、をきつの事きこへて候、殿もびんぎ候はば其の義にて候べし、かまへておほきならん人申しいだしたるらんは・あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かと・おぼしめして・したたかに御返事あるべし。
千丁・万丁しる人もわづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり、今度法華経のために命をすつる事ならば・なにはをしかるべき、薬王菩薩は身を千二百歳が間・やきつくして仏になり給い・檀王は千歳が間・身をゆかとなして今の釈迦仏といはれさせ給うぞかし、されば・ひが事をすべきにはあらず、今はすてなば・かへりて人わらはれになるべし、かたうどなるやうにて・つくりおとして、我もわらひ人にもわらはせんとするがきくわいなるに・よくよくけうくんせさせて人のおほくきかんところにて・人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとて・かつぱとたたせ給へ、一日二日が内にこれへきこへ候べし、事おほければ申さず又又申すべし、恐恐謹言。


建治三年五月十五日  日 蓮 花押
上野殿御返事



by johsei1129 | 2015-08-06 21:36 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
2015年 08月 06日

開目抄愚記 下十  彼の輩、御書を讃すと雖も、還って御書の心を死(ころ)す


一 しかれば教主釈尊等

 此の下は次に別して諸天に約す。

一 今此の世界の(ぼん)(たい)

啓蒙(けいもう)の中に二義あり、梵帝結縁(けちえん)を二類と()す義は不可なり。梵帝即結縁の義は(しか)るべし。(しか)るに「今まい()り」を以て主君と為すは是れ珍謬(ちんびゅう)なり。

今謂く、文意に云く、仏()(じょう)の仏ならば梵帝等は是れ四十余年の仏弟子、法華結縁の衆なり。(なお)今参り」の如し。故に主君の仏にも思い付くべからず。久住の菩薩にも(へだ)てらるべし云云。

一 久遠実成あら()はれぬれば等

 此の下は(しゃく)(じょう)、亦二あり。初めに正釈(しょうしゃく)、次に「諸仏・釈迦」の下は結成(けつじょう)云云。

一 諸仏・釈迦如来の分身(ふんじん)

一義に云く、諸抄の中に准ずるに諸仏菩薩は(みな)釈尊の分身なり。(いわん)や今の文勢は、諸仏、釈尊の分身なる上は、諸仏の所化(しょけ)は申すに及ばず、皆釈尊の分身なりと云云。此の義は今文の意に(あら)ざるなり。

一義に云く、諸仏、釈尊の分身たる上は、諸仏の所化は申すに及ばず、皆釈尊の御弟子(みでし)なり。(たと)えば諸侯、帝王の臣下と()れば、其の陪臣(ばいしん)勿論(もちろん)是れ臣下なるが如きなりと。此の義は理を尽くすに(あら)ず、況や分身の文(しょう)し難し云云。

今謂く、此の文の意を知らんと(ほっ)せば(すべから)十方(じっぽう)に分身する所以(ゆえん)(さと)るべし。何ぞ十方に分身するや。謂く、結縁(けちえん)の衆生の十方に充満する故なり。故に東方に分身して薬師(やくし)と示現し、西方に分身して弥陀(みだ)()(げん)す。我が初めて結縁の所化を利益したまうなり。此の時、当分に(あるい)は弥陀の弟子と名づけ、或は薬師の弟子と名づく。(しか)りと(いえど)も、其の根源を尋ぬれば(もと)是れ釈尊の御弟子なり。爾前・迹門には(ただ)当分を明かし、(いま)だ根源を明かさず。今、本門に至って其の根源を明かして御弟子(みでし)と云うなり。

(かみ)の文に云く「(また)始成の仏ならば所化(しょけ)十方(じっぽう)に充満すべからず、されば分身の徳は(そな)わりたりとも示現(じげん)して益無し」と云云。亦云く「仏・衆生を()せんと・をぼせども結縁(けちえん)うすければ八相を現ぜず」云云等。

此等の文意、()く是れを(りょう)すべし。故に知んぬ、諸仏、釈尊の分身たる上は、諸仏の所化は申すに及ばず、(みな)釈尊の御弟子なり。

(しか)れば(すなわ)ち、釈尊久遠(くおん)已来(このかた)和光(わこう)同塵(どうじん)して結縁したもう故に所化十方に充満す。此の故に十方に分身して結縁の衆生を()(やく)す。故に迹化・他方の大菩薩も、実に是れ久遠已来(このかた)、影の形に随うが如き御弟子なり。(あに)仏恩深重(じんじゅう)に非ずや。

然るに()(ぜん)・迹門には其の根源を隠し、(ただ)当分を明かすのみなり。故に最初下種の師を知らず。何に由ってか真実の断惑(だんなく)(きわ)めんや。但本門の寿量品に至って(まさ)に其の根源を(あらわ)す。故に始めて最初下種の師を知って、仏の深重なることを感じ、本地(ほんち)難思(なんし)の境智の妙法を信ず。故に(みな)名字(みょうじ)妙覚の(さとり)を開くなり。寿量一品、(あに)一切経の肝心(かんじん)(あら)ずや。何ぞ天の日月(にちがつ)等に異らんや。迹化・他方すら(なお)釈尊御弟子(みでし)なり、(いわん)や此の土の衆生をや云云。

古来の末師は此の旨を(さと)らず、寿量の規模を隠して釈尊の深恩を没し、当抄の前後に迷いて蓮師(れんし)の本意を失う。御書を(さん)すと雖も、(かえ)って御書の心を(ころ)す。(あわれ)むべし、悲しむべし云云。

信者(まさ)に知るべし、釈尊(すで)(しか)なり、蓮師も亦(しか)なり。我等正しく是れ蓮祖の弟子なり。()し信行退転せば(すなわ)ち三界に流転(るてん)して、又()が祖をして五百塵点劫に疲労を生ぜしめんか。()く思い、能く勤めよ。(まさ)に信行を励むべし。一生(むな)しく過して万劫(ばんこう)()ゆること(なか)云云。

一 (いか)(いわん)や此の土等

意に云く、他土の古菩薩すら尚(しか)なり。何に況や此の土の劫初(こっしょ)已来の日月等をやと。


つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-08-06 20:56 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 08月 06日

開目抄愚記 下九

一 仏は久遠(くおん)の仏等

  此の下は二に迹化・他方等も(なお)釈尊の御弟子(みでし)なることを明かす、又二あり。初めに(ひょう)、次に「一切経」の下は釈。

一 一切経の中に等

  此の下は釈、二あり。初めに称歎(しょうたん)、次に「華厳」の下は釈。初めの称歎の文は(ただ)寿量の一品を以て一切経の肝心(かんじん)と判ずるなり。其の文、分明(ふんみょう)なり。何ぞ(おう)(けい)すべけんや。

  問う、何ぞ此の下に於て別して是れを称歎するや。

  答う、師弟を(あらわ)す義、今文の正意(しょうい)なり。(いわ)く、迹化(しゃっけ)・他方の大菩薩等、爾前四十余年の間は仏の御弟子に(あら)ず。今経(こんぎょう)迹門に来至(らいし)して始めて未聞(みもん)の法を聞き、御弟子(みでし)と成るに()たりと(いえど)も、(なお)是れ霊山(りょうぜん)日浅く、夢の如くにして()めず。今本門に至って(まさ)しく御弟子の義を顕すなり。故に此の下に於て、別して是れを(たん)ずるなり。

  問う、何ぞ今()()()ぐるや。

  答う、或は是れ主師親の(さん)(とく)を表するか。日月(にちがつ)は師を表し、大王は主を表し、珠は是れ母を表し、神は父を表するか云云。

一 華厳(けごん)・真言等

  此の下は釈、亦二あり。初めに他を破し、次に「仏・久成」の下は正しく釈す。

一 一往(いちおう)・権宗等

  問う、何ぞ一往等と云うや。

  一義に云く、彼の所依(しょえ)の経は理を(つく)すの法に非ず、故に一往と云うなりと。

一義に云く、此等の人師、再住(さいおう)帰伏(きぶく)する故に一往(いちおう)と云うなりと。

一義に云く「(かつ)(みずか)()(きょう)」の「且」の字は、一往の字と同意なり云云。

  今(いわ)く、文意に云く、此等の人師、「自らの依経」に(しゅう)して再住の実説と()して、以て宗旨を立つ。(しか)るに仏説は(しか)らず。彼等の依経は、暫用(ざんゆう)還廃(げんぱい)(しばら)く用ゆるも(ふたた)び廃す)、一往の権経なり。故に一往の権宗と云うなり。

一 或は云く、華厳(けごん)経の教主は(ほう)(しん)

  記の四の末六十五に云く「世の講説の者の、法華経は応仏(おうぶつ)の所説なりと(いか)る。(まさ)に知るべし、法華は報仏の所説なり。(また)即ち法仏の説を(じょう)ず」と云云。

  当に知るべし、迹門の教主は応に即ち法身なり。「微妙(みみょう)浄法(じょうほっ)(しん)具相三十二」は是れなり。本門の教主は久遠(くおん)(じつ)(じょう)の報身なり。「我実成仏已来無量無辺」は是れなり。(あに)華厳(けごん)(きゃく)(しょう)()(じょう)の報身と同じからんや。

一 或は云く、法華経寿量品の仏等

  是れ二教論の上七、(ほう)(やく)論の下第八の(いち)(どう)無為(むい)(しん)の下に出でたり。安然(あんねん)の教時義の一・五十一に(つぶさ)に此の義を破するなり。啓蒙(けいもう)の中に之を引き、処々に之を示す云云。

一 夫れ雲は月をかく()し等

  外典に云く「日月は明らかならんと(ほっ)すれども、浮雲は(これ)(おお)う。王者は明らかならんと欲すれども、(ざん)(しん)は之を(おお)う」と云云。 

一 天台宗の人人もたぼらかされて金石・一同等

 是れ天台宗の中の一類を()げ、()本迹迷乱の一失を破するなり。

一 仏・()(じょう)

 此の下は(まさ)しく釈す、亦二あり。初めに(こば)んで道理を明かし、次に「今、久遠実成」の下は釈成なり。初めの文に亦二あり。初めに通じて迹化(しゃっけ)等に約し、次に「しかれば教主」の下は別して諸天に約す。初めの通じて迹化等に約すに亦二あり。初めに(ひょう)、次に「月は影」の下は釈。釈を亦三と()す。初めに(たとえ)、次に「仏・衆生」の下は正しく釈し、三に「例せば諸」の下は例を引くなり。

            

                  つづく

開目抄愚記下 目次


by johsei1129 | 2015-08-06 20:54 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)