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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 17日 ( 2 )


2015年 07月 17日

観心本尊抄文段 上十四


一 本朝沙門日蓮撰

日文字の事、別に口伝(くでん)有り云云。釈尊の(うじ)、或は日種と号し、御名も(また)()(にち)大聖尊と号す。大聖尊とは即ち大望人なり。「唯我(ゆいが)独尊(どくそん)唯我(ゆいが)一人(いちにん)之を思い合すべし。本化(ほんげ)の菩薩をば日月(にちがつ)光明(こうみょう)の如きと説き、本門の妙法を日天子に(たと)う。出世の国を日本と号し、国の御主をば日神と名づけ、戒壇の霊場をば大日蓮華山と名づく。皆是れ自然(じねん)の道理なり。

蓮の字には()(でい)不染(ふぜん)の徳、種子不失の徳、因果同時の徳、其の(ほか)十八円満等の種々の深義(これ)有り。又本化の菩藩をば「(にょ)蓮華(れんげ)在水(ざいすい)」等云云。(しょ)()の法は妙法蓮華経なり。(ここ)(つく)すべきに(あら)ず、是の故に之を略す。

(まさ)に知るべし、日蓮大聖人とは、亦是れ慧日大聖尊なり。

故に宗祖云く「日蓮は(えん)()第一の智人なり」と。

又云く「日蓮当世には日本第一の大人(だいにん)なり」と

又云く「一閻浮提第一の聖人なり」と。

又云く「南無日蓮大聖人ととな()えんとすとも、南無(ばか)にてやあらん」等云云。

(また)日文字は主師親の三徳を(あらわ)すなり。章安(しょうあん)会疏(えしょ)第二に云く「日の字に三義あり。一には高く(えん)(みょう)なるは主徳に(たと)え、万物を生長するは親徳に譬え、照了(しょうりょう)して(やみ)を除くは師徳に(たと)う」等云云。諸抄に云く「日蓮は日本国の一切衆生の主師親なり」等云云。

(また)日文字は唯我独尊の義を顕すなり。韻会(いんね)に云く「通論に云く、天に二の日無し。故に文に於て○一を日と()す」等云云。経に云く「世に二仏無く、国に二主無し。一仏の境界に二の尊号無し」等云云。

顕仏未来記()に云く「(がっ)()漢土(かんど)等にも法華経の行者(ぎょうじゃ)ありや。答う、()天下(てんげ)の中に(まった)く二の日無く、四海の内(あに)両主有らんや」(取意)等云云。

久遠(くおん)元始(がんし)の天上天下、唯我独尊は日蓮(これ)なり」等云云

()(しか)らば日文字の顕す所、()が日蓮大聖人とは()(にち)大聖尊なり、主師親の三徳なり、久遠元初の唯我独尊なり。(あに)文底下種の教主、末法今時の本尊に非ずや。

(しか)るに日本国中の諸門流、此の義を知らず。(あるい)は僧宝と()し、或は大菩薩と号して本尊に迷うなり。当に知るべし、久遠に()っては自受用報身と号し、霊山(りょうぜん)に在っては上行菩薩と号し、末法に在っては日蓮聖人と号す。名字(みょうじ)不同(ふどう)なりと(いえど)一体の()利益(りやく)なり。

故に血脈抄に云く「本地(ほんち)自受用(じじゅゆう)(ほう)(しん)垂迹(すいじゃく)・上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」等云云。

開山上人の御弟子(みでし)三位(さんみ)日順云く「久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」等云云。

(しか)るに諸門流の学者、(ただ)上行の再誕なることを知って、(いま)だ久遠元初の自受用身なることを知らず。(かえ)って当流の正義を破し(おのずか)(みょう)(らく)呵責(かしゃく)に当るなり。(せん)の八・四十一に云く「学者、法を(そし)り人を(そし)るは、(まこと)に体同名異を知らざるに()る。天主の千名を()らずして憍尸(きょうし)()れ帝釈ならずと()う。故に()(きょう)の者、(むね)(ここ)に失う。恐らくは弘法(ぐぼう)利池の功も非法毀人(きにん)(とが)(おぎな)わざらん」等云云。

問う、(れん)()是れ上行菩薩の再誕なり。何ぞ久遠元初の自受用身と云わんや。

反詰(はんきつ)して云く、天台大師は(やく)(おう)の再誕、伝教(でんぎょう)大師は天台の後身なり。山門の口伝(くでん)に何ぞ並びに教主釈尊と云うや云云。

つづく


上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-17 22:28 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 17日

身延山中での窮状を救った南條時光の供養の志を称えた書【上野殿御返事(適時弘法事)】

【上野殿御返事(適時弘法事)】
■出筆時期:弘安二年(1279)十二月二十七日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は年の瀬に、白米一だ(駄)を供養した南條時光(上野殿)の志を称えたご消息文です。大聖人は「一切の事は時による事に候か<中略>仏も世にいでさせ給いし事は法華経のためにて候いしかども、四十余年はとかせ給はず」と記し、「五尺のゆきふりて本よりも、かよわぬ山道ふさがり冬の身延」の状況で、貴方の白米一だ供養は「わづかの、ともしびにあぶらを入そへられたるがごとし」であると称えられております。
さらに大聖人は当時の苦しい暮らしぶりについて、熱原の法難に際して農民信徒を外護した働きぶりで信頼の厚い時光ゆえに、「一度にをもひ切つて、うへしなんと、あんじ切つて候いつる」と、実に率直に自身の思いを語っておられます。

■ご真筆:富士大石寺所蔵。古写本:日興筆(富士大石寺所蔵)

[上野殿御返事(適時弘法事)本文]


白米一だをくり給び了んぬ。
一切の事は時による事に候か、春は花・秋は月と申す事も時なり、仏も世にいでさせ給いし事は法華経のためにて候いしかども、四十余年はとかせ給はず。

 其の故を経文にとかれて候には、説時未至故等と云云。
なつあつわたのこそで、冬かたびらをたびて候は、うれしき事なれども、ふゆのこそで、なつのかたびらには・すぎず、うへて候時のこがね、かつせる時のごれう(御料)は、うれしき事なれども、はん(飯)と水とにはすぎず。
仏に土をまいらせて候人、仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すことこれか。

日蓮は日本国に生れてわわくせず、ぬすみせず、かたがたのとがなし。
末代の法師には、とがうすき身なれども、文をこのむ王に武のすてられ、いろをこのむ人に正直物のにくまるるがごとく、念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値うて法華経をひろむれば、王臣・万民ににくまれて、結句は山中に候へば天いかんが計らわせ給うらむ。

五尺のゆきふりて本よりも・かよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすくて、かんふせぎがたし、食たへて命すでに・をはりなんとす。
かかるきざみに、いのちさまたげの御とぶらひ、かつはよろこび、かつはなけかし、一度にをもひ切つて、うへしなんと、あんじ切つて候いつるに、わづかの・ともしびに・あぶらを入そへられたるがごとし。
あわれあわれたうとく、めでたき御心かな。釈迦仏・法華経定めて御計らい給はんか、恐恐謹言。

弘安二年十二月廿七日        日 蓮  花 押
上野殿御返事


【妙法蓮華経 方便品第二】

 我設是方便 令得入仏慧 
 未曾説汝等 当得成仏道
 所以未曾説 説時未至故 
 今正是其時 決定説大乗

[和訳]
 我(釈尊)は是の方便を設けて、仏慧に入ることを得させしめん。
 未だかつて汝らは、まさに仏道を成ることを得るべしとは説かず。
 (我)いまだかつて説かさりし所以は、説く時、未だ到らざればなり。
 今、まさしくこれ其の時なり。 (我)決定して大乗(法華経)を説かん。

by johsei1129 | 2015-07-17 21:58 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)