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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 11日 ( 2 )


2015年 07月 11日

開目抄愚記 上三四  「留難」とは大法の流布せんを障(さわ)り留(とど)むるが故なり。

一 南三(なんさん)(ほく)(しち)等文。

 この下は経文の(たが)わざるを引くなり。

一 得一(とくいち)云く、(つたな)いかな智公文。

  「得一」は法相宗なり。註に釈書を引くが如し。「智公」は即ちこれ智者大師なり。守護(しゅご)(しょう)上の上三十、撰時抄下三、値難抄十七初の如し。

一 覆面(ふめん)(ぜつ)の所説の(諸説)(を謗)(ずる)

  ()(じん)(みつ)(きょう)中に()空中(くうちゅう)の三時の教を明かし、法相(ほっそう)宗は此の文に依憑(えひょう)して一代聖教(しょうぎょう)を三時に(わか)つなり。阿含(あごん)等は有相(うそう)教、(ほう)(どう)般若(はんにゃ)無相(むそう)教、華厳(けごん)・法華・涅槃(ねはん)経は中道教なり。此れは是れ(まさ)しく仏説に()る。(しか)るに天台(てんだい)はこれを用いず五時八教を以て一代を判ず、故に「覆面(ふめん)(ぜつ)の所説の教時を(ぼう)ず」という。(しか)るに天台宗の意は、(およ)そ解深密経は大師の滅後五十一年に当って之れを翻訳す。大師何ぞこの説を謗ぜんや。(いわん)()の経は方等部の経なり、何ぞ此の文を引いて一代を判ずべけんや。況や()の経の有空中は方等の中の前三教なるのみ。何ぞ一代に(かか)わらん云云。下巻二十一に彼の経の第二十六紙の文を引く。玄私の十・三十五。

一 東春等文。

  第五・二十四の文なり。滅後留難(るなん)所以(ゆえん)(あらわ)すなり。「良薬口に(にが)し」とは、孔子(こうし)家語(けご)の中巻に云云。「(こう)」はこれ怯弱(こうにゃく)の義なり。即ち退転の念を生ずるが故なり。「留難」とは大法の流布(るふ)せんを(さわ)(とど)むるが故なり。

一 (けん)戒論(かいろん)に云く等文。

  下巻三十七の文なり。

一 (そう)()(そう)して云く文。

  「僧統」とは(なお)僧録の如し。事物(じぶつ)()(げん)に云く「()()の大祖、沙門法果を以て統と()し、僧徒を(えい)(しょう)す。文帝、師賢を以て僧統と為す。唐には統を()めて両録司を立つ。これを僧統と()う」略抄。

一 西夏(せいか)()(べん)婆羅門有り文。

  「西夏」は西天の都なり。弁は鬼の(さず)くるに()るが故に「鬼弁」という。(つぶさ)に註中に弁ずるが如し。

一 物()冥召して文。

  (まさ)に「物類(もつるい)」に作るべし。(えき)に云く「同声は(あい)応じ、同気は相求む。水は湿(うるおい)に流れ、火は(かわき)()き、雲は竜に従い、風は虎に従う」等云云。

一 昔は(せい)(ちょう)(こう)()に聞き等文。

  「(こう)()」は仏陀三蔵の弟子の恵光法師なり。後、恵光を以て即ち(そう)()()す、故に光統という。(しか)るに光統法師は(しばしば)毒薬を以て禅祖の達磨(だるま)に害を為す。故に光統の怨嫉(おんしつ)を引いて今、「(ろく)(とう)」に例す。六統は即ちこれ六宗の僧統なり。

一 秀句に云く等文。

  此の文所引の意は末法に約す。「末ノ()」の二字は所引の宗轄(そうかつ)なり。

一 ()小児(しょうに)(やい)()等文。

   此の下は文旨を(しゃく)す、亦二あり。初めに経旨を釈し、次に「像法」の下は清代に望んで弁ず。並びに末法の難化を(あらわ)すなり。

  初めの経旨を釈する中に、「小児に灸治」「重病の者に良薬(ろうやく)」とは、これ東春の意に(もと)づくか。此の二句は是れ「如来現在、猶多怨嫉」の文旨を顕すなり。「在世」の下は「況滅(きょうめつ)度後(どご)」の文旨なり。(ほっ)()を合して見るべし。(ただ)れ文を略するのみ。

一 山に山をかさね等文。

一義に云く「山」は人心の嶮岨(けんそ)(たと)え「波」は世上の風波に譬う。

楽天(らくてん)云く「(たい)(こう)の路は()く車を(くだ)くも、()し君が心に比すれば是れ(たん)()なり。巫峡(ふきょう)の水は()く船を(くつが)えすも、若し君が心に比すれば是れ安流なり」等云云。

「世の中を渡り(くら)べて今ぞ知る 阿波の鳴戸(なると)は波風も無し」と云云。この義は今文の意に非ざるなり。

今文の意は、末法に至っては山に山を重ぬるが如く、難に難を加え、波に波を(たた)むが如く、非に非を加うるが(ごと)。故に「況滅(きょうめつ)度後(どご)」と云うなり云云。

一 像法の中に等文。

   此の下は清代に対して弁ず云云。「蜂起(ほうき)」は註の中の如し。

一 況滅度後のしるしに闘諍の(ついで)となるべきゆへに非理を(さき)として文。

   「況滅(きょうめつ)度後(どご)」とは末法の始め、闘諍の時なり。秀句の文を見るべし。「非理を前」と()すは即ち「闘諍(とうじょう)の序」なり。文意に云く、況滅度後の(しるし)には闘諍の(ついで)と成すべき故に非理を前と為すなり。濁世(じょくせ)(しるし)には()(あわ)せられずして、流罪(るざい)乃至(ないし)身命(しんみょう)にも及ばんとするなりと云云。啓蒙(けいもう)指南(しなん)(かえ)って不可(ふか)なり。

               つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-11 22:32 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 11日

観心本尊抄文段 上十  信力・行力を励む則(とき)は仏力・法力に由り、即ち観行成就す。


問う、(ただ)信心()(しょう)に即ち観行成就(じょうじゅ)するや。

答う、但本尊を信じて妙法を唱うる(とき)は、所信所唱の本尊の仏力・法力()(すみや)かに観行成就するなり。

故に当体義抄に云く「但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩(ぼんのう)(ごう)()三道(さんどう)(ほっ)(しん)般若(はんにゃ)解脱(げだつ)の三徳と転じて三観・三諦(さんたい)・即一心に(あら)われ()の人の(しょ)(じゅう)(ところ)(じょう)寂光土(じゃっこうど)なり、(のう)()(しょ)()身土(しんど)(しき)(しん)倶体(くたい)()(ゆう)無作(むさ)(さん)(じん)の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ(すなわ)ち法華の当体・自在(じざい)神力(じんりき)(あら)わす所の()(のう)なり(あえ)(これ)を疑う可からず、之を疑う可からず」等云云。

(ただ)法華経を信じ」とは即ち是れ信力なり。「南無妙法蓮華経と唱う」とは即ち是れ行力(ぎょうりき)なり。「法華の当体」とは即ち是れ法力なり。「自在神力」とは(すなわ)是れ仏力なり。故に知んぬ、信力・行力を励む(とき)は仏力・法力に由り即ち観行成就することを。

又云く「当体蓮華を証得して(じょう)寂光(じゃっこう)の当体の(みょう)()を顕す事は本門寿量の教主の金言(きんげん)を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」と云云。「本門寿量文底の教主」とは即ち人の本尊、仏力なり。「金言(きんげん)」とは即ち是れ(よう)の法華経・意の法華経・下種の法華経、即ち法の本尊、法力なり。信力・行力は見るべし。

伝教(でんぎょう)大師の深秘(じんぴ)口伝(くでん)に云く「臨終(りんじゅう)の時、南無妙法蓮華経と唱うれば、妙法三力の功に()って(すみや)かに菩提を成ず。妙法三力とは、一には法力、二には仏力、三には信力なり」云云。「南無妙法蓮華経と唱うる」は(あに)行力に(あら)ずや。釈相(しゃくそい)(こと)なりと(いえど)も、その意は是れ同じきなり。

血脈抄に云く「住不思議(けん)(かん)とは、今日熟脱の本迹二門を迹と()し、久遠名字の本門を本と為す。信心強盛にして(ただ)余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり」(取意)と云云。故に知んぬ、(ただ)文底下種の本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱うる(とき)は仏力・法力に由り即ち観行成就することを。()し不信の者は力の及ぶ所に非ざるなり。

持妙法華問答抄(いっ)()()(おわ)って(がっ)()の文に云く「『(ただ)我一人のみ()救護(くご)()す』の仏の御力を疑い、以信(いしん)得入(とくにゅう)の法華経の教への縄をあや()ぶみて決定(けつじょう)無有疑(むうぎ)』の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。『疑を生じて信ぜざらん者は(すなわ)(まさ)に悪道に()つべし』と説かれたり」(取意)と云云。

問う、蒙抄に云く「()(しん)の諸尊を事相(じそう)造作(ぞうさ)し、(これ)に対して之を礼する故に、観心本尊と云うなり」と。この義如何(いかん)

答う、この義は浮浅(ふせん)なり。(また)(はなは)だ過ぎたるに似たり。

問う、忠抄に云く「観心の二字即ち事行の一念三千なり。経に云く『聞仏(もんぶつ)寿命(じゅみょう)長遠(ちょうおん)乃至(ないし)能生(のうしょう)一念(いちねん)(しん)()』と云云。本因本果の長寿を聞くは、即ち()(しん)の一念三千なり。此れを以て所観の境と為し、一念信解を能観の智と為し、能所(とも)()なり。故に観心の二字即ち事の一念三千なり」と。この義如何(いかん)

答う、彼の師の所観の境は即ち脱益(だっちゃく)の一念三千なり。故に文底に望めば(なお)理の一念三千に属するなり。


              づづく


上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-11 20:30 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)