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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 06日 ( 3 )


2015年 07月 06日

開目抄愚記 上三十

  
  問う、他宗の
(やから)()が祖の()(じょう)(そし)るは如何(いかん)

  答う、これ無益(むやく)の論なり。(ただ)法の(じゃ)(しょう)、内徳の有無(うむ)のみ、これを論ずべし。涅槃(ねはん)経第二十一徳王品一に云く「若し法を聞き(おわ)りなば(まさ)に敬心を生じ、至心(ししん)聰受(そうじゅ)()(ぎょう)尊重(そんじゅう)すべし。正法の所に(おい)ては法師の種姓の好悪を()ること(なか)れ」と。止観第四に云く「上聖大人は其の法を取って其の人を取らず」等云云。(これ)()の文意は、(ただ)正法を信じて種姓を()ることなかれと云云。

  また止観第四・五十九に云く「雪山(せっせん)は鬼に(したが)って()()い、天帝は畜を拝して師と()す。(ふくろ)(くさ)きを以てその金を()てず」等云云。法蓮抄十五・三に云く「愚人(ぐにん)の正義を(たが)うことは昔も今も(ことな)らず。(しか)れば(すなわ)ち迷者の(ならい)外相(げそう)のみを(とうと)びて内智を貴ばず」(録内十五ー三ヲ)と云云。此等の文意は、(ただ)内徳を尊ぶべしと云云。

(いわん)やまた四河の海に入れば同一鹹味(かんみ)、四姓の出家すれば皆名づけて(しゃく)と為すは増一阿含の(おきて)なり。晋の安公より已来(このかた)沙門(しゃもん)の姓を釈氏と定ること、この文に()えるなり。

  問う、何ぞ今文に於て自身の下賤(げせん)()げたまうや。

  答う、啓蒙(けいもう)に云く「朝抄に論語の『国に道なきに、(すなわ)ち富み(かつ)尊きは恥なり』等を引いて、吾が祖の下賤の規模を(あらわ)し、また下巻に般泥洹(はつないおん)経を引くは、自身の貧賤に合する等の朽木書(くちくがき)と成すべし。又身軽(しんきょう)(ほう)(じゅう)潤色(じゅんしょく)に、捨て易き身の程を(かえり)みたまう意をも含むべきなり」と云云。

  今(いわ)く、()(ただ)文の如くんば、(まさ)しく末法下種の教主の出世の時・(ところ)・種姓を明かすなり。例せば在世脱益(だっちゃく)経主を明かす中に「教主釈尊は住劫(じゅうこう)・第九の減・人寿百歳の時・師子(しし)(きょう)(おう)には孫・(じょう)(ぼん)王には嫡子(ちゃくし)」等というが如し。若し元意(がんい)()れば、内証の(そん)()を顕さんが(ため)に、まず御身の下賤(げせん)()ぐるなり。()ず余文を引いて後、当文を(しょう)せん。

  佐渡抄十七・二十に云く「日蓮今生(こんじょう)には貧窮(びんぐ)下賤(げせん)の者と生まれ旃陀(せんだ)()が家より(いで)たり。身は人身に似て畜身なり。心は法華経を信ずる故に梵天(ぼんてん)帝釈(たいしゃく)をも(なお)(おそ)しと思はず」と云云。

中興(なかおき)十八十七に云く「日蓮は中国(なかつくに)・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国(おんごく)の者・民が子にて候が・日本国・七百余年に一人も・いま()だ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱え候」と云云。

文意に云く、日本国七百余年に一人も(いま)だ唱えざる妙法を唱うる故に、日本第一の法華経の行者(ぎょうじゃ)にして一閻浮提(いちえんぶだい)に肩を並ぶる者、之有るべからざるなり云云。撰時抄上二十三下二十三()いて見よ。

此等の文意(もんい)は内証の尊貴を顕さんが為に()ず御身の下賤を()ぐるなり。今また(かく)の如し。文意に云く、身はこれ下賤(げせん)の者なれども、内証はこれ尊極(そんごく)なり。通じてこれを論ずれば日本第一なり。(あに)尊極に(あら)ずや。別してこれを論ずれば、(しばら)く六意を明かさん。

一には(いわ)く、智慧尊貴なり。()流転(るてん)所以(ゆえん)を知りたもうが故なり。

二には謂く、慈悲尊貴なり。能く大悲を以て折伏(しゃくぶく)の心地を決定(けつじょう)したもうが故なり。

三には謂く、誓願()尊貴なり。能く不愛(ふあい)身命(しんみょう)の誓願を立てたもうが故なり。

四には謂く、行者尊貴なり。能く三類の強敵(ごうてき)(しの)びたもうが故なり。

五には謂く、本地(ほんち)尊貴なり云云。

六には謂く、三徳尊貴なり。

(しばら)く当抄の意によって略して六意を示す。何ぞ(ただ)六意のみならん。実に無量の徳を備えたまえり。誰か尊重讃歎(さんたん)せざらんや。


             つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-06 21:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 06日

観心本尊抄文段 上六  吾が大聖人は、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わす。終窮究竟(しゅうぐくきょう)の極説(ごくせつ)なり。


 次に別釈。亦四段と()す。初めに「如来(にょらい)滅後(めつご)」等を釈し、次に「始」の字を釈し、三には「(かん)(じん)」の二字を釈し、四には「本尊」の二字を釈す云云。

初めに「如来滅後(ごの)五百歳(ごひゃくさい)」とは、これ薬王品の意に准じて神力品(じんりきぼん)の「我が滅度の後に(おい)て」の文に()るなり。当抄の大意、()之を思うべし。「如来」とは三身即一の(おう)(じん)なり。「滅後」の言は正像末に(わた)ると(いえど)も、意は末法に()り。「後五百歳」は(また)五百年に通ずと(いえど)も、意は二百余年に在り。故に諸文の中に「仏滅後二千二百二十余年」と云うなり。

次に「始」というは、(しょう)には正像未弘(みぐ)に対し、(ぼう)には一閻浮提(いちえんぶだい)(えら)ぶ。上下の文に准じて()くこれを見るべし。
 故に本尊問答抄に云く「此の御本尊は世尊説き()かせ給いて後
、二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいま()ひろ()めたる人候はず乃至当時こそひろまらせ給うべき時に()たりて候ヘ」と云云。

救護(くご)本尊の端書(はしがき)に云く「大覚世尊御入滅の後、二千余年を経歴(きょうりゃく)し、(しか)りと(いえど)も月・漢・日三箇国の(あいだ)(いま)だ此の大本尊(ましま)さず。(あるい)は知って(これ)を弘めず、或は之を知らず。我が慈父(じふ)仏智を以て之を隠し留め、末法の為に之を残す。後五百歳の時、上行菩薩世に出現し始めて之を()(せん)す」と云云。

故に知んぬ、当抄の題号は「如来滅後()五百歳に上行菩薩始む観心の本尊抄」なることを。

問う、建長五年の宗旨建立(こんりゅう)已後(いご)、即ちこれを始めたもうや。

答う、(あるい)(いわ)く実に所問の如し。或は謂く是れ(しか)るべからず。何となれば佐州()(ぜん)身業(しんごう)読誦(どくじゅ)未だ(おわ)らず。この故に本化(ほんげ)再誕(さいたん)(なお)(いま)分明(ふんみょう)ならず。故に三大秘法の名字すら(なお)これを顕さず。(いわん)之を始むべけんや。故に宗祖の云わく「佐渡已前の法門は仏の()(ぜん)経の如し」等云云。

問う、若し(しか)らば佐州()()、即ち之を始めたもうや。

答う、(もろもろ)の御本尊多く仏滅後二千二百二十余年という。(しか)るに当抄の述作(じゅっさく)は文永十(みずの)(とり)、即ち仏滅後二千二百二十二年に当るなり。故に当抄の述作已後(いご)これを始めたもうか。佐州免許は文永十一年二月、(まさ)しく仏滅後二千二百二十三年に(あた)る。故に(あるい)は免許已後これを始めたもうか。救護(くご)本尊は佐州免許の年の十二月なり。然りと(いえど)も文永八年、或は文永元年の御本尊(これ)有り云云。更に(かんが)えよ。

問う、文永・建治の御本尊に御本懐(ごほんかい)究尽(くじん)するや。

答う、文永・建治の御本尊、多く分身(ふんじん)及び善徳仏を()ぐ。これに相伝あり。或は(なお)文上を帯するか云云。

問う、弘安の御本尊、御本懐を究尽(くじん)するや。

答う、実に所問の如し。(すなわ)ちこれ終窮(しゅうぐ)究竟(くきょう)極説(ごくせつ)なり。

(まさ)に知るべし、智者大師は(ずい)の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観(しかん)を始め、(いち)()にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。

()が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇(かいだん)の本尊を(あらわ)して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。

これに三事の不可思議あり。

一には天台(てんだい)大姉は五十七歳にして止観を説き、(れん)()大聖は五十八歳にして戒壇の本尊を(あらわ)す。また天台は六十歳御入滅、蓮祖は六十一歳御入滅なり。これ(すなわ)(ぞう)(まつ)の教主の(ついで)(あに)不思議に(あら)ずや。

二には天台は四月二十六日に止観(しかん)を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄を終る。天台は十一月御入滅なり。蓮祖は十月御入滅なり。蓮祖は後に生れたまうと(いえど)も、下種の教主なり。故に義、(さき)()り。この故に蓮祖は二十五日に当抄を終り、十月の入滅なり。天台は(さき)に生れたもうと雖も熟益(じゅくやく)の教主なり。故に()、後に在り。この故に二十六日に止観を始め、十一月の入滅なり。(しゅ)(じゅく)の序、(あに)不思議に(あら)ずや。

三には天台・蓮祖は同じく入滅四年()(ぜん)終窮(しゅうぐ)()(きょう)の極説を顕す。(むし)ろ不思議に非ずや。


                つづく


上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-06 21:17 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 06日

亡き母を弔う四条金吾の志を称えた書【四条金吾殿御書】

【四条金吾殿御書】
■出筆時期:文永八年(西暦1271)七月十二日 五十歳御作。
■出筆場所:鎌倉 館にて。
■出筆の経緯:本抄を記した7月12日が母の命日である四条金吾が、追善供養のため白米一斗・油一筒・御布施一貫等々を大聖人にご供養されたことへの返書となっております。
大聖人は盂蘭盆についての由来を示すとともに、当時の他宗の僧侶の振る舞いに対し「僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月・地の地神いかりいきどをり給いて、不孝の者とおもはせ給うらん。形は人にして畜生のごとし人頭鹿とも申すべきなり」と指弾し、四条金吾の亡き母を弔う志を高く讃歎されておられます。さらに文末では法華経見宝搭品の偈を引いて「此の経は持つこと難し若し暫も持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり、是の如きの人は諸仏の歎めたもう所」と示し、法華経を持ち続ける功徳を示すとともに「信心をふかくとり給うべし」と一途な信仰を貫く金吾を励まされておられます。
■ご真筆: 現存しておりません。

雪のごとく白く候白米一斗・古酒のごとく候油一筒・御布施一貫文、態使者を以て盆料送り給い候、殊に御文の趣有難くあはれに覚え候。

 抑盂蘭盆と申すは源目連尊者の母青提女と申す人慳貪の業によりて五百生・餓鬼道にをち給いて候を目連救ひしより事起りて候、然りと雖も仏にはなさず其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし、霊山八箇年の座席にして法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い此の時母も仏になり給う、又施餓鬼の事仰せ候。法華経第三に云く「如従飢国来忽遇大王膳」云云、此の文は中根の四大声聞・醍醐の珍膳をおとにも・きかざりしが今経に来つて始めて醍醐の味をあくまでになめて昔しうへたる心を忽にやめし事を説き給う文なり、若し爾らば餓鬼供養の時は此の文を誦して南無妙法蓮華経と唱えてとぶらひ給うべく候。

 総じて餓鬼にをいて三十六種類・相わかれて候、其の中にかく身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候、是は何なる修因ぞと申すに此の世にて夜討・強盗などをなして候によりて候、食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候・是も修因上の如し、又人の食をうばふに依り候、食水餓鬼と云うは父母孝養のために手向る水などを呑む餓鬼なり、有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがきなり是は今生にて財ををしみ食をかくす故なり、無財がきと申すは生れてより以来飲食の名をも・きかざるがきなり、食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人・我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり、当世の僧を見るに人に・かくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭と云う鬼となるべし、又人にしらせて供養をうくるとも欲心に住して人に施す事なき人もあり・是は未来には馬頭と云う鬼となり候、又在家の人人も我が父母・地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをば・とぶらはずして我は衣服飲食にあきみち牛馬眷属・充満して我が心に任せて・たのしむ人をば・いかに父母のうらやましく恨み給うらん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人は・まれなり、定めて天の日月・地の地神いかり・いきどをり給いて不孝の者とおもはせ給うらん形は人にして畜生のごとし人頭鹿とも申すべきなり。

 日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず、かかる日蓮が弟子檀那となり給う人人・殊に今月十二日の妙法聖霊は法華経の行者なり日蓮が檀那なりいかでか餓鬼道におち給うべきや、定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん。

是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれ・いみじき子を我はもちたりと釈迦仏と・かたらせ給うらん、法華経に云く「若し善男子善女人有つて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん、所生の処には常に此の経を聞かん、若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば蓮華より化生せん」と云云。

 此の経文に善女人と見へたり、妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん、又云く「此の経は持つこと難し若し暫も持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり、是の如きの人は諸仏の歎めたもう所」と云云。

 日蓮讃歎したてまつる事は・もののかずならず、諸仏所歎と見えたり。あらたのもしや・あらたのもしやと・信心をふかくとり給うべし・信心をふかくとり給うべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

七月十二日                        日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事


【妙法蓮華経 見宝塔品第十一】
 諸善男子 於我滅後 誰能受持 読誦此経
 今於仏前 自説誓言 此経難持 若暫持者
 我即歓喜 諸仏亦然 如是之人 諸仏所歎
 是則勇猛 是則精進 是名持戒 行頭陀者
 則為疾得 無上仏道 能於来世 読持此経
 是真仏子 住淳善地

 [和訳]
 諸々の善男子よ 我(釈尊)が滅後に、誰が能く此経を受持し読誦するか、
 仏の前で自ら誓の言葉を説け。此経は持し難い。若し暫くも持つ者あらば、
 我(釈尊)則ち(歓喜)する。諸仏もまた然るなり。かくの如き人は諸仏の歎(褒める)ずる所なり。
 これ則ち勇猛なり、これ則ち精進なり。此の人は戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づけ、
 則ち疾(速やかに)く、無上の仏道を得る。能く来世に於いて此経(法華経)を読み持つならば、
 是れ真の仏子にして、淳善(清純で善き)地に住するなり。





by johsei1129 | 2015-07-06 16:28 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)