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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 04日 ( 2 )


2015年 07月 04日

開目抄愚記 上二八


第十九段 滅後の難信を結す

一 ()れば八箇年。

 この下は難信を結す、二あり。初めに在滅を()て正しく難信を結し、次に「かう法華」の下は末法辺国、謬誤(びゅうご)多端(たたん)なるを()(たん)す、また二あり。初めに正しく悲歎す、三あり。初めに略示、二に「世間」の下は(きょう)(けん)、三に「誰れの()()」の下は結。況顕の文に二あり。初めに世間を以て出世を況し、「犢子(とくし)」の下は利等を以て鈍等を況す。次に「仏、涅槃(ねはん)経」の下は証前起後なり。

一 世間の浅き事

  大論一・十紙。「犢子(とくし)」は大論一・十三に「(びん)(そう)なり。(しつ)なり」と。

一 無垢(むく)

  西域(さいいき)四・十四に「大乗の人法を謗じ、現に狂乱を(おこ)し、五舌重出し、無間に入るなり」と。

一 摩沓(まとう)

  これは外道(げどう)なり。西域八・十二に「(とく)()菩薩に責められて血を()いて死す」と。

一 誰れの()()か直かるべき

  一には国隔(こっきゃく)、二には(どん)(こん)、三には短命(たんめい)、四には三毒倍増、五には(ぎょう)()、六には仏経皆謬(かいみょう)云云。六重に道理を(たたみ)()げて「誰れの()()」等と結するなり云云。(注 澆季:世の道徳人情の腐敗したること。末の世。末世。澆は薄)

一 仏涅槃(ねはん)経。

  三十一巻。「(ほう)滅尽(めつじん)経」は二紙(ほど)の小経なり。

一 俗よりも僧等文

  二十八巻、本尊供養抄六に云云。啓運(けいうん)六・六十、啓蒙(けいもう)五・七十六に、法滅尽経を引いて男女を相対す云云。

 

 若し向来の意を得ば、一代諸経の浅深(せんじん)勝劣(しょうれつ)、晴天の日輪の如く明々赫赫(かくかく)たり。能くこの旨を(さと)れば(すなわ)(また)(まさ)に種脱の三徳の大恩を了すべし。学者、()く思熟し之を案すべし、之を(ゆるがせ)にする()かれ云云。



    
                            つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-04 16:52 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 07月 04日

観心本尊抄文段 上四

問う、教相の本尊・観心の本尊、その(たい)如何(いかん)

答う、今いう所の教相の本尊とは、文上(もんじょう)(だっ)(ちゃく)迹門(しゃくもん)理の一念三千、これを教相の本尊と名づくるなり。観心の本尊とは、文底(もんてい)下種の本門事の一念三千、これを観心の本尊と名づくるなり。今、文上(もんじょう)(だっ)(ちゃく)の迹門・理の一念三千の教相の本尊を(えら)んで、文底下種の本門事の一念三千の観心の本尊を(あらわ)す。故に「観心()本尊抄」という。

(まさ)にこの義を(つまび)らかにせんとするに、且く三段と()す。第一に当家(しょ)(りゅう)の教相・観心の相を明かし、第二に当家所立の下種の三種の教相を明かし、第三に当抄は正しく脱益・教相の本尊を(えら)び、下種・観心の本尊を顕すを明かす。

問う、当家(しょ)(りゅう)の教相・観心の相如何。

答う、(しばら)く五文を引き、略してその相を示さん。

一には開目抄に云く「一念三千の法門は(ただ)法華経の本門・寿量品の文の底に秘し沈め給(しずめた)()り」と云云。(まさ)に知るべし、「一念三千の法門」とは即ちこれ観心の法門なり。(すで)に文底を以て観心の法門と名づく。故に知んぬ、文上の法門は(みな)教相に属することを。

二には十法界抄に四重の興廃(こうはい)を明かす。(いわ)く、()(ぜん)・迹門・本門・観心なり。第四の観心とは、永く(つう)()に異り、(まさ)しく文底下種の法門を以て観心と名づくるなり。(すで)に文底下種の法門を以て観心と名づく。故に知んぬ、()(ぜん)・迹・本は通じて教相に属するなり。

三には血脈抄に四重の(せん)(じん)を明かす。「爾前は名体(みょうたい)無常(むじょう)、迹門は(たい)(じつ)(みょう)()、本門は名体(みょうたい)()(じつ)、文底は名体不思議・(かん)(じん)(じき)(たつ)の南無妙法蓮華経」(取意)等云云。(すで)に文底を以て「観心直達」と名づく。故に知んぬ、()(ぜん)・迹・本は通じて教相に属するなり。

四には血脈抄に云く「迹門をば理具の一念三千と名づく、脱益(だつっちゃく)の法華は本迹(とも)に迹なり、本門をば事行の一念三千と名づく、下種の法華は(どく)(いつ)の本門なり、是を不思議実理の(みょう)(かん)と申すなり」と。 既に文底下種の本門、()の一念三千を以て「不思議実理の妙観」と名づく。故に知んぬ、文上脱益(だっちゃく)の迹門・理の一念三千を通じて教相に属するなり。

五には又血脈抄に云く「一代(いちだい)応仏(おうぶつ)いき()()かえたる(かた)、理の上の法相なれば一部(とも)に理の一念三千、迹の上の本門寿量ぞと得意(とくい)せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文底とは久遠(くおん)(じつ)(じょう)の名字の妙法を()(ぎょう)わた()さず(じき)(たつ)(しょう)(かん)・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」と云云。(すで)に文底下種本門一念三千を以て「直達の正観」と名づく。故に知んぬ、文上脱益の迹門・理の一念三千は(なお)教相に属するなり。

今此等の諸文に()って当家の所立最も明らかなり。

問う、当家所立の下種三種の教相如何(いかん)

答う、(しばら)く一文を引き、略して綱要を示さん。()しこの(むね)(りょう)せば、即ち(れん)()本懐(ほんがい)に達し、諸抄の元意(がんい)(きょう)(ざい)目前ならん。(:皎在とは明白なこと。皎は白い、明らかな意)

常忍抄に云く「法華経と()(ぜん)と引き向えて勝劣浅深を判ずるに当分(とうぶん)()(せつ)の事に三つの様有り、日蓮が法門は第三の法門なり。世間に(ほぼ)夢の如く一・二をば申せども第三をば申さず候」と云云。(:当分とは、そのまま、その所の意。跨節は「当分」より一重立ち入りたる所。三重秘伝抄 参照)

()して云く、一には爾前当分・迹門跨節、これ権実相対の法門なり。

二には迹門当分・本門跨節、これ本迹相対の法門なり。

三には(だっ)(ちゃく)当分・下種跨節、これ(しゅ)(だつ)相対の法門なり。これを下種の三種の教相と名づくるなり。故に血脈抄に云く「下種三種の教相」と云云。

若し台家(たいけ)の三種の教相に望むれば、彼の第一第二を以て即ち当家の第一と()し、彼の第三の師弟(してい)遠近(おんごん)を以て即ち当家の第二と為し、更に第三の種脱相対を加えて、当家三種の教相と為すなり。この第三の種脱相対、また本迹と名づくるなり。所謂(いわゆる)文の上の脱益(だっちゃく)を迹と為し、文底下種を本と為す。これを脱迹(だつしゃく)と名づくるなり。

故に血脈抄に二十四番の勝劣(しょうれつ)を明かす中に「彼の本門は我が迹門」と云うは是れなり。(みょう)(らく)大師の云く「(すい)(だつ)在現(ざいげん)()(とう)本種(ほんしゅ)」等云云。この第三の法門は天台未弘(みぐ)の大法にして蓮祖出世の本懐なり。故に「日蓮が法門は第三の法門なり」というなり。種脱(しゅだつ)一百六箇の本迹、之を思い合すべし。(しか)るに諸門流の(やから)はこの義を知らず。(ただ)天台の第三を取って即ち蓮祖の第三と為す。この三種の教相を(わきま)えざるを以ての故に、一切の法門(みな)(ことごと)(めい)(らん)す。秘せざるべからず、伝えざるべからず云云。


               つづく

上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-04 16:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)