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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 06月 28日 ( 2 )


2015年 06月 28日

蒙古軍船の大破は真言宗・思円の蒙古調伏によるという世評を破した書【富城入道殿御返事】

【富城入道殿御返事(承久書)】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十月二十二日 六十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は富木常忍が大聖人に度々「蒙古の船が九州の海上で大破(弘安の役)し、世間では真言宗・思円上人の蒙古調伏の力であると評判になっているが、本当のところはどうなのかと質問したのに対し「それは日蓮を失おうとするたくらみである」と喝破され、それを明らかにするために病をおして本書を記したと大聖人の真意を吐露されておられます。さらに文末では「銭四貫をもちて一閻浮提第一の法華堂造りたりと霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給うべし」と、富城常忍のご供養で、これまでの身延の草庵を十間四面の大坊に大改修している事を伝え、その志を称えられております。尚、この大坊は翌月11月23日に完成し、大聖人は当時「身延山久遠寺」と命名されております。
■ご真筆:中山法華経寺 所蔵。

[富城入道殿御返事(承久書) 本文]
 
 今月十四日の御札同じき十七日到来、又去ぬる後の七月十五日の御消息同じき二十比(はつかごろ)到来せり、其の外度度の貴札を賜うと雖も老病為るの上又不食気に候間未だ返報を奉らず候条其の恐れ少からず候、何よりも去ぬる後の七月御状の内に云く鎮西には大風吹き候て浦浦・島島に破損の船充満の間乃至京都には思円上人・又云く理豈然(あにしか)らんや等云云。

 此の事別して此の一門の大事なり、総じて日本国の凶事なり仍つて病を忍んで一端是れを申し候はん、是偏に日蓮を失わんと為(し)て無かろう事を造り出さん事兼て知る、其の故は日本国の真言宗等の七宗・八宗の人人の大科今に始めざる事なり然りと雖も且く一を挙げて万を知らしめ奉らん。

 去ぬる承久年中に隠岐の法皇義時を失わしめんが為に調伏を山の座主・東寺・御室・七寺・園城に仰せ付けられ、仍つて同じき三年の五月十五日鎌倉殿の御代官・伊賀太郎判官光末を六波羅に於て失わしめ畢んぬ、然る間同じき十九日二十日鎌倉中に騒ぎて同じき二十一日・山道・海道・北陸道の三道より十九万騎の兵者(つわもの)を指し登す、同じき六月十三日其の夜の戌亥(いぬい)の時より青天俄(にわか)に陰(くも)りて震動雷電して武士共首の上に鳴り懸り鳴り懸りし上・車軸の如き雨は篠(しの)を立つるが如し、爰に十九万騎の兵者等・遠き道は登りたり兵乱に米は尽きぬ馬は疲れたり在家の人は皆隠れ失せぬ冑(かぶと)は雨に打たれて緜(わた)の如し、武士共宇治勢多に打ち寄せて見ければ常には三丁四丁の河なれども既に六丁・七丁・十丁に及ぶ、然る間・一丈・二丈の大石は枯葉の如く浮び五丈・六丈の大木流れ塞がること間無し、昔利綱・高綱等が渡せし時には似る可くも無し、武士之を見て皆臆してこそ見えたりしが、然りと雖も今日を過さば皆心を飜し堕ちぬ可し去る故に馬筏を作りて之を渡す処・或は百騎・或は千万騎・此くの如く皆我も我もと度ると雖も・或は一丁或は二丁三丁渡る様なりと雖も彼の岸に付く者は一人も無し、然る間・緋綴(ひおどし)・赤綴等の甲其の外弓箭・兵杖・白星(しらぼし)の冑等の河中に流れ浮ぶ事は猶長月神無月の紅葉の吉野・立田の河に浮ぶが如くなり、爰に叡山・東寺・七寺・園城寺等の高僧等之を聞くことを得て真言の秘法・大法の験とこそ悦び給いける、内裏の紫宸殿には山の座主・東寺・御室・五壇・十五壇の法を弥(いよいよ)盛んに行われければ法皇の御叡感極り無く玉の厳を地に付け大法師等の御足を御手にて摩給いしかば大臣・公卿等は庭の上へ走り落ち五体を地に付け高僧等を敬い奉る。

 又宇治勢田にむかへたる公卿・殿上人は冑を震い挙げて大音声を放つて云く義時・所従の毛人等慥に承われ、昔より今に至るまで王法に敵を作し奉る者は何者か安穏なるや、狗犬(くけん)が師子を吼えて其の腹破れざること無く修羅が日月を射るに其の箭還つて其の眼に中らざること無し遠き例は且く之を置く、近くは我が朝に代始まつて人王八十余代の間・大山の皇子・大石の小丸を始と為て二十余人王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし皆頚を獄門に懸けられ骸を山野に曝す、関東の武士等・或は源平・或は高家等先祖相伝の君を捨て奉り伊豆の国の民為る義時が下知に随う故にかかる災難は出来するなり、王法に背き奉り民の下知に随う者は師子王が野狐に乗せられて東西南北に馳走するが如し今生の恥之れを何如(いかん)、急ぎ急ぎ冑を脱ぎ弓弦をはづして参参と招きける程に、何に有りけん申酉(さるとり)の時にも成りしかば関東の武士等・河を馳せ渡り勝ちかかりて責めし間京方の武者共一人も無く山林に逃げ隠るるの間、四つの王をば四つの島へ放ちまいらせ又高僧・御師・御房達は或は住房を追われ或は恥辱(ちじょく)に値い給いて今に六十年の間いまだ・そのはぢをすすがずとこそ見え候に、今亦彼の僧侶の御弟子達・御祈祷(きとう)承はられて候げに候あひだ、いつもの事なれば秋風に纔(わずか)の水に敵船・賊船なんどの破損仕りて候を大将軍生取たりなんど申し祈り成就の由を申し候げに候なり。

 又蒙古の大王の頚の参りて候かと問い給うべし、其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず、御存知のためにあらあら申し候なり。乃至此の一門の人人にも相触れ給ふべし。

 又必ずしいぢ(椎地)の四郎が事は承り候い畢んぬ、予既に六十に及び候へば天台大師の御恩報じ奉らんと仕り候あひだ、みぐるしげに候房をひきつくろい候ときに・さくれう(作料)におろして候なり、銭四貫をもちて一閻浮提第一の法華堂造りたりと霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給うべし、恐恐。

十月二十二日         日 蓮 花押
進上富城入道殿御返事

by johsei1129 | 2015-06-28 23:40 | 富木常忍・尼御前 | Trackback | Comments(0)
2015年 06月 28日

開目抄愚記 上二四


一 本門にいたりて
()(じょう)正覚(しょうかく)をやぶれば四教の果をやぶる等文

 この下は今本の得を明かす。また二あり。初めに迹を破して本を(あらわ)し、次に「九界も無始(むし)」の下は所詮(しょせん)の三千を明かす。

「然るに善男子、我実に成仏して」の文は即ち始成正覚を破するなり。

「四教の果をやぶる」等とは、即ち玄文第七の本因・本果の下の如し。大師、一に近の故、二に(せん)(じん)不同の故、三に被払(ひふつ)の故の三義を以てこれを破するなり。本果の中には(つぶさ)()(ぜん)・迹門の仏果を()げてこれを破し、本因の広釈の中には(ただ)爾前の因のみ挙げ、迹門の因を挙げず。これ則ち略釈の中に、(すで)に大通の因を挙ぐる故なり。故に「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって」というなり。
 「十界の因果」等とは、これ十界各具の因果に非ず。九界を因と()し、仏界を果と為す。例せば九界を権と為し、仏界を実と為すが如し。()し蔵通二教の中に、依報(えほう)(ただ)六界を明かすのみと(いえど)も、正報には十界を明かすなり。別円は知るべし。上の文に「四教の因果」とはこれ(のう)(せん)の教に約し、今「十界の因果」というはこれ所詮(しょせん)の法に約す。能所(こと)なりと雖も、その意はこれ同じきなり。並びに釈尊の因を()げ、通じて九界を収むるなり。

(これ)即ち本因本果の法門」とは、また(げん)文第七の如し云云。

一 九界も無始(むし)の仏界に具し等文

 経に本果常住を説いて云く「我実(がじつ)成仏已来(じょうぶついらい)無量(むりょう)無辺(むへん)」と云云。故に「無始の仏界」というなり。経に本因常住を説いて云く「(しょ)(じょう)寿命(じゅみょう)今猶(こんゆう)未尽(みじん)」等云云。故に「無始の九界」というなり。(すで)にこれ本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)の十界()()なり。(あに)(まこと)の一念三千に非ずや。これを事の一念三千と名づくるなり。これ(すなわ)ち本因・本果に約して一念三千を明かす故なり。神力の(しょ)に云く「因果は是れ深事」と云云。()し迹門に於ては諸法実相に約して一念三千を明かす。故に理の一念三千というなり。(まさ)に知るべし、今日、迹本二門の事理の三千は(とも)にこれ理の一念三千なり。文底下種の(じき)(たつ)(しょう)(かん)久遠(くおん)名字(みょうじ)の事の一念三千を(まこと)の事の一念三千と名づくるなり。文の元意、見るべし。(つぶさ)に上の(しゅ)(だつ)相対の下に弁ずるが如し云云、云云。またまた当に知るべし、台家(たいけ)観門の難信難解は、今教門に属するなり。

一 かうて・かえりみれば

  この下は三に諸宗の迷乱なり。

一 華厳(けごん)経の台上等文

  註中に梵網(ぼんもう)経を引くが如し。

一 水中の月に実の月の想いをなし

  註中に()一下二十五の大論僧祇(そうぎ)(りつ)を引くが如し。

一 天月を()らず等文

  (げん)第七、本因妙の下の如し。これ体外(たいげ)の迹に(たと)うるなり。若し本果妙の下に「本より迹を()れ、月の水に現ずるが如し」とは、体内の迹に譬うるなり云云。若し文の元意は、文底(もんてい)下種の本仏を識らず、故に天月をも識らずというなり云云。

            つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-06-28 20:42 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)