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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 17日 ( 2 )


2015年 05月 17日

開目抄愚記 上十二

一 ()無間(むけん)を以て具すと(いえど)

  点の如し。五逆具足の義なり。

一 (たと)えば(ぞく)(しょう)の子(乃至)如し

  本経に云く「譬えば族姓の子の如し」と云云。常には善男子と云うが如し云云。

一 芙蓉(ふよう)(こう)(げ )

  本草綱目(ほんぞうこうもく)三十三・二十に云云。一切経音義に云く「芙蓉はまた扶に作る」と。(せつ)(もん)に云く「扶蕖(ふきょ)の花の未だ開かざるは函萏(かんたん)()し、花(すで)(ひら)くは芙蓉と()す」と文。註中往いて見よ。また新語園十八に云く「芙蓉(ふよう)の名二あり。一には水中に()ずる者を(そう)芙蓉と名づく、(はす)(はな)是れなり。長恨歌(ちょうごんか)(たい)(えき)の芙蓉と云うは是れなり。二には陸に生ずる者、是れを木芙蓉と云う。今此の花是れなり」と云云。「(こう)花」とは註に云く「諸経皆芙蓉蘆花(ろか)に作る。今の文に衡に作る、衡は今の用に非ず」と云云。

一 根敗(こんぱい)(ひと)(乃至)如し

 止六・五十六に云く「人の(えん)せられて五欲に()えざるが如し」と云云。()の六末六に云く「如人の下は重ねて(たとえ)()げ、以て法華の功を(あらわ)す。先に所治の(やまい)(おも)きを叙す。故に不能五欲と言うは男に能えざる者を以て通じて不能五欲と名づけ、用いて二乗の根敗、心死に譬う。(えん)とは(おお)うなり。門を掩閉(えんぺい)するなり」と云云。

一 (ほう)(どう)陀羅尼(だらに)

 第四に方等陀羅尼経第二巻十一紙の文なり。この経は北凉(ほくりょう)の沙門法衆の所訳、四巻五品の経なり。

一 ()し得べからざれ(ずん)ば()(かん)ぞ我に菩提(ぼだい)の記を得ん(るを)やと問うて心に歓喜を生ずるや

 啓蒙(けいもう)に云く「点ずるが如し」と云云。

一 大品(たいぼん)般若(はんにゃ)

  第五に大品般若経大論五十四 二紙に云云。「声聞(しょうもん)(しょう)()」とは忍法已上を声聞の正位と名づくるなり。「是の人()く」とは声聞の人を指すなり。「生死(しょうじ)の為に障隔(しょうきゃく)()す」とは、(およ)そ三蔵の菩薩は見思を断尽せざる故に、能く界内(かいだい)に受生して八相作仏するなり。(しか)るに二乗の人は(すで)見思(けんじ)を断尽す。何を以て界内に生を得ん。故に生死の為に障隔(しょうきゃく)()すというなり。(すで)に界内に生ぜず。何ぞ八相作仏を()さんや。故に(よう)不成仏というなり云云。これ朝抄の意なり。

又本経の「障隔を作す」の下の文に云く「是の人若し阿耨(あのく)菩提(ぼだい)(しん)(おこ)せば、我も亦随喜(ずいき)す」等云云。今この文の意を取って「随喜」等というなり。

一 首楞(しゅりょう)(ごん)

  第六に首楞厳経三巻の本下巻十一紙の文なり。

一 浄名(じょうみょう)経に云く

  第七に浄名経、維摩(ゆいま)(きつ)経第三弟子品、(しゅ)菩提(ぼだい)の下の文なり。

一 牛驢(ごろ)二乳(ににゅう)

  大論十八・六、顕揚大戒論一・二十四に、大小二戒に(たと)えたり云云。

  「()()金器」は清浄(しょうじょう)()()経に、(また)大小二戒を譬うるなり。「(けい)()・日光」も、註維摩三・十に云く「大道を行かんと欲するに小径(こみち)を示すこと(なか)れ。大海を以て()(しゃく)()るること無かれ。日光を以て彼の螢火に等しとすること無かれ」等云云。

                    つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-17 21:59 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 17日

開目抄愚記 上十一

第十一段 一仏二言難信の相

一 法華経の現文(げんもん)

この下は(しゃく)、二あり。初めに権迹相対、次に「二には教主」の下は本迹相対なり。初めの権迹相対の文を分ちて三と為す。初めに正しく明かし、次に「(ただ)在世は」の下十九は滅後の難信、三に「此の法門は迹門と()(ぜん)と相対して」の下は結なり。初めの正しく明かすにまた二あり。初めに列名(れつみょう)略示(りゃくじ)、次に「()の故は仏」の下は広く一仏二言難信の相を明かす。

一 此等の人人等

  次上は列名なり。この下は略して難信を示すなり。

一 其の故は(ぶつ)()(そん)

  この下は広く明かす。また三あり。()ず一仏実語の人なることを示し、次に「()の大人」の下は二言(にごん)相違を明かし、三に「(しか)るを後八年」の下は難信の相を示すなり。二言相違を明かす中に先ず迹門の意を挙げ、次に()(ぜん)の文を引く。

 

第十二段 爾前の(よう)不成仏の文を引く

一 (しか)れども爾前の諸経等

この下は爾前の永不成仏の七文を引く。第一に華厳(けごん)、第二の大集経、第三に維摩(ゆいま)経、第四に(ほう)(どう)陀羅尼(だらに)経、第五に大品(だいぼん)般若(はんにゃ)経、第六に首楞(しゅりょう)(ごん)経、第七に浄名(じょうみょう)経なり。

一 大方(だいほう)広仏(こうぶつ)

八十の華厳第五十一、如来出現品第三十七の二の文なり。華厳疏抄五十一・四十紙に経文を()せたり、註中所引の如し。これを以て釈の意を知るべきなり。

一 大集経

第二に大集経第十八巻、不可説菩薩品の第八・十七の文なり。「必ず死して()きず」とは本経に云く「必ず死して治せず」と云云。「(また)()くの如き」とは本経に「亦是くの如し」と云云。

一 二百五十戒。

朝抄(ちょうしょう)二・十七、三蔵法(さんぞうほっ)(すう)十二・二十六に云く「二百五十戒(おのおの)四威儀あり。故に一千を成じて三世に約す。故に即ち三千を成ずるなり」と。

一 ()(じょう)無漏(むろ)

根本()(ぜん)とは地々愛味を生ずる故なり。根本(じょう)(ぜん)とは六妙門十六特勝通明禅なり。無漏(むろ)(ぜん)とは(かん)(れん)(くん)(じゅ)なり云云。

一 阿含(あごん)経をきわめ

  阿含経を(きわ)むれば即ちこれ智慧なり。故に(かい)定慧(じょうえ)の三学なり。

一 第三(維摩)経等

第三に維摩経中十六の文なり。これ(すなわ)()()(そく)支謙(しけん)所訳の本なり。意(おだ)やかならず云云。若し什師(じゅうし)所訳の維摩経は第七・四紙に出でたり云云。

一 塵労(じんろう)(ともがら) 

貪瞋癡(とんじんち)を指して「塵労(じんろう)」と名づくるなり。塵はこれ六塵、労はこれ労倦(ろうけん)なり。塵に()って労を成ず。故に塵労と名づく。また塵はこれ(じん)(せん)、労はこれ労苦なり。染心(ごん)()す。故に塵労と名づく。即ちこれ依主(えしゅ)持業(じごう)の両釈なり。「(ともがら)」はまた「(ともがら)」に作る。楚辞(そじ)王逸(おういつ)が註に云く「二人を(ともがら)と為し、四人を儔と為す。通じて疇に作る」と云云。

                     つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-17 21:57 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)