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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 09日 ( 1 )


2015年 05月 09日

法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給うまじきぞかし、と説いた【妙法尼御前御返事(明衣書)】

【妙法尼御前御返事(明衣書)】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281年) 六十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は駿河国・岡宮に住んでいた妙法尼に送られたご消息文です。
大聖人は夫に先立たれ、法華経を信仰するがゆえ世間の非難を浴びても信心を貫いている妙法尼を、法華経で説かれている不軽菩薩、また釈尊の養母で、何度も出家を願い出てついに仏教史上最初の女性出家僧(比丘尼)となった、摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)の如しと称えられております。
摩訶波闍波提比丘尼は法華経勧持品第十三で、釈尊より未来に「一切衆生喜見如来」となるとの記別を受けているが、大聖人は「一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず。今の妙法尼御前の名にて候べし」と激励されております。  
■ご真筆:現存していない。

[妙法尼御前御返事(明衣書) 本文]

 明衣(ゆかたびら)一つ給(た)び畢んぬ。女人の御身、男にもをくれ親類をもはなれ、一二人ある、むすめもはかばかしからず便りなき上、法門の故に人にもあだまれさせ給ふ女人、さながら不軽菩薩の如し。仏の御姨母(おんおばばぎみ)、摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし。而るに阿羅漢とならせ給いて声聞の御名を得させ給ひ、永不成仏の道に入らせ給いしかば、女人の姿をかへ、きさきの位を捨てて仏の御すすめを敬ひ、四十余年が程、五百戒を持ちて昼は道路にたたずみ、夜は樹下に坐して後生をねがひしに、成仏の道を許されずして永不成仏のうきなを流させ給いし。くちをしかりし事ぞかし。女人なれば過去遠遠劫の間有るに付けても無きに付けても、あだなを立てし。はづかしく口惜かりしぞかし。
其の身をいとひて形をやつし尼と成りて候へば、かかるなげきは離れぬとこそ思ひしに、相違して二乗となり永不成仏と聞きしは、いかばかり、あさましくをわせしに、法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され、一切衆生喜見仏と成らせ給いしは、いくら程か、うれしく悦ばしくをはしけん。

 さるにては法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給うまじきぞかし。
 其に仏の言わく、大音声を以て普く四衆に告げたまわく、誰れか能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん等云云。我も我もと思うに諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前女人達、何事をも忍びて我が滅後に此の娑婆世界にして法華経を弘むべしと三箇度まで、いさめさせ給いしに、御用ひなくして他方の国土に於て広く此の経を宣べんと申させ給いしは、能く能く不得心の尼ぞかし。幾(いくば)くか仏悪(にく)しと、をぼしけん。されば仏はそばむきて八十万億那由佗の諸菩薩をこそ、つくづくと御覧ぜしか。されば女人は由なき道には名を折り、命を捨つれども成仏の道はよはかりけるやと、をぼへ候に、今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ、島のえびすにのられ打たれ責られしのび、法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には、雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん。

 彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず。今の妙法尼御前の名にて候べし。王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり。名はかはれども師子の座は一也。此の名も、かはるべからず。彼の仏の御言をさかがへす尼だにも、一切衆生喜見仏となづけらる。是は仏の言をたがへず此の娑婆世界まで名を失ひ命をすつる尼なり。彼は養母として捨て給はず、是は他人として捨てさせ給はば偏頗(へんぱ)の仏なり。争(いか)でかさる事は候べき。況や其中衆生悉是吾子の経文の如くならば、今の尼は女子なり、彼の尼は養母なり。養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき。

此の道理を深く御存知あるべし。しげければ、とどめ候い畢んぬ。

                                             日 蓮 花押

妙法尼御前

by johsei1129 | 2015-05-09 21:56 | 妙法比丘尼 | Trackback | Comments(0)