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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 02月 01日 ( 4 )


2015年 02月 01日

僧侶の黒衣は謗法、必ず地獄に堕す 【当家三衣抄】八


 問う、他流皆
黒衣(こくえ)を著す、何ぞ之を許さざるや。

答う、北方の黒色は是れ()(じき)に非ず、録外二十一(一代五時継図)に(ほっ)()(きょう)を引いて云わく「黒衣の謗法(ほうぼう)なる、必ず地獄に堕す」云云。謗とは()(はい)の別名なり、法は()わく法度(はっと)なり、北方の黒衣(あに)謗法(ほうぼう)に非ずや。例せば六物図(ろくもつず)に云うが如し、自ら色衣を(ねが)(みだ)りに王制と称し、(とが)を飾ると云うと雖も深く謗法を成ず云云。況や(また)当世の黒衣は其の色(はなは)だ美にして(こん)瑠璃(るり)の如し、烏鵲(うじゃく)の羽に似たり、若し(あい)(ぞめ)に非ずんば(いずくん)ぞ彼の色を得ん、(ほう)(どう)陀羅尼(だらに)(きょう)の如き(なお)藍染の家に往来することを許さず、(いか)に況や(さん)()を染むるを(ゆる)す可けんや、是れ則ち藍()り而も多くの虫を生ず、()の虫と藍と(とも)(うす)に入れて之を()いて(のち)一切の物を染む、(ただ)不浄なるのみに非ず(また)多くの虫を殺す、何ぞ之を(ゆる)す可けんや。然るに諸宗の(やから)(ただ)其の色の美なることを愛して仏制(ぶっせい)(そむ)くを()らず。(けだ)し当流に於ては(つつし)んで謗法を恐る故に之を許さず。
 開山云わく云云。
()


註解

○北方の黒色 北方とは、正色(しょうじき)方角場合黒色り、使った袈裟華美で、本来袈裟使ない

○六物図 宋代霊之元照著「仏制比丘六物図」のこと。



         権力に媚びる沙門の醜面をしるす につづく

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by johsei1129 | 2015-02-01 20:44 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 01日

富士の三衣は華美を許さず 【当家三衣抄】七


 問う、他流の上人皆
(こう)()を著す、是れ平僧に簡異(かんい)せんが為の故なり。中正論第二十に云わく「吾が宗の上人の(しき)()(もく)(らん)(じき)を用う、而るに此の木蘭の皮に香気有り、彼の色に(じゅん)じて之を染む故に亦香衣と名づくるなり、皆此の衣を(ちゃく)す、是れ平僧に簡異する為なり」云云。最も其の()われ有り、何ぞ之を許さざるや。
 答う、是れ(まさ)に平僧に簡異せんとして(かえ)って他宗の住持に(みだ)す、(なん)ぞ之を許す可けんや。応に知るべし、畠山(はたけやま)が白旗には而も(あい)の皮有り、吾が家の平僧には則ち(そで)(うら)無し、(きん)()異なりと雖も(とも)(みだ)るる所無きなり。

問う、他流皆(じき)(とつ)を著す、当家何ぞ之を許さざるや。

答う、(およ)そ直綴とは唐代新呉(しんご)の百丈山()(かい)大智禅師、褊衫(へんざん)裙子(くんず)の上下を(つら)()て始めて直綴と名づく。故に知んぬ、只是れ法服を(ほう)(ごう)す、既に法服を許さず、(なん)ぞ直綴を(ゆる)す可けんや、(いわん)や復由来(ゆらい)謗法の家より出づ、(なん)ぞ之を用う可けんや。

問う、若し爾らば(よこ)()は慈覚より始まる、何ぞ亦之を用うるや。

答う、実には是れ伝教大師の相伝なり。健抄(ごんじょう)四-五十二に云わく「天台宗の裳付(もつけ)(ころも)は慈覚大師より始まるなり、根本は是れ伝教大師の御相伝なり」云云。何ぞ直綴の来由(らいゆ)に同じからんや。故に開山云わく云云。()



註解

○簡異 比べ分けること。

○畠山 鎌倉時代の武将、畠山重忠のこと。勇猛で知られる。彼の旗は先祖代々白色だったが、主君の源頼朝も白色だったため藍の皮をつけて区別したという。

○横裳 素絹の衣のこと。素は粗い意味。



             僧侶の黒衣は謗法、必ず地獄に堕すにつづく

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by johsei1129 | 2015-02-01 17:43 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 01日

素絹の服に節度あり 【当家三衣抄】六


三に料簡とは、 問う、唯当流に於て法服七条等を許さざる其の()われ如何(いかん)

答う、凡そ法服とは上を褊袗(へんざん)と曰い、下を裙子(くんず)と曰う。(そもそ)仏弟子は(もと)腰に()を巻き、左の肩に僧祇支(ぞうぎし)()以て三衣(はだぎ)にするなり。僧祇支とは覆膊(ふばく)()と名づけ、亦(えん)(えき)()と名づく。是れ左の肩を(おお)い、及び右の(わき)(おお)う故なり。阿難(あなん)端正なり、人見て皆悦ぶ、仏()肩衣(けんえ)()せしむ、此れ右肩を覆うなり。而るに(こう)()の宮人、僧の一(ひじ)(はだぬぎ)にするを見て以て()しと為さず、便(すなわ)ち之を縫合して以て褊袗(へんざん)と名づく。()云わく「(ひとえ)未だ袖端(しゅうたん)有らざるなり」云云。()の後唐の代に大智(だいち)禅師亦(けい)(ちゅう)を加え(すなわ)褊袗と名づく、是れ本に()って立つる名なり。裙子(くんず)と言うは(いにしえ)に涅槃僧と云う、(もと)(たい)(はん)無し、其の(まさ)に服せんとする時、(きぬ)を集めて(ひだ)と為し、束帯(そくたい)条を(もち)いるなり。今は則ち(ひだ)を畳み、帯を付けるなり。今褊衫(へんざん)裙子(ぐんず)を取って通じて法服と名づくるなり。()くの如き法服七条九条は(すなわ)ち是れ上代高位の法衣にして、末法下位の着する所に非ず、何ぞ之を許す可けんや。孝経に曰わく「先王の法服に非ずんば()えて服せず」云云。註に云わく「法服は法度(はっと)の服なり、先王は礼を制して章服を異にし、以て品秩(ひんちつ)を分かつ、卿に卿の服有り、大夫に大夫の服有り、若し非法の服を服せば(せん)なり」云云。又云わく「(せん)にして貴服を服する、之を僭上(せんじょう)と謂う、僭上を不忠と為す」云云。外典(なお)(しか)り、(いわん)や内典をや。()


註解

○三衣 「さんね」と読む。袈裟のこと。インドにおける仏弟子は腰に裳を巻きつけ、左の肩から右の脇には僧祇支(ぞうぎし)三衣(袈裟た。って僧祇支(ぞうぎし)役割があった

(はだぎ) 肌着

袖端(しゅうたん) (そで)と。それまでの法服は袖がなかった。

(けい)(ちゅう) (えり)(そで)と。意味くわて、名前従来どお褊衫(へんざん)という

(たい)(はん) (はん)たすき味。

法度(はっと) 法律の。

○章服 紋章などのある服。これにより身分の違いを区分けして秩序をたもった。
 ○僭  下の人が分限を超え、上になぞらいおごること。

僭上(せんじょう) 上位であ(おご)聖者であ



                   富士の三衣は華美を許さず につづく



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by johsei1129 | 2015-02-01 14:23 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2015年 02月 01日

日蓮大聖人の薄墨を説く 【当家三衣抄】五

次に引証とは、第一に(しょう)御影(みえい)、即ち重須(おもす)(おわ)すなり。

第二には(つくり)(ぞめ)の御影、即ち当山に在すなり、蓮師御伝記八に云わく「弘安二年、富士の戒壇の板本尊を造立し奉る時、(にっ)(ほう)心中に末代の不見不聞の人の為に聖人の御影を造らんと欲するの願有り、故に先ず一体三寸の御影を造り便(すなわ)(たもと)に入れ聖人の高覧に備え奉って免許を請う、聖人()の御影を取りて御手の上に置き、(えみ)を含ませられ即ち免許有り、之に()って等身の御影を造り奉りて聖人の御剃髪(ごていはつ)()し御衣を彩色し給うなり」云云。「一体三寸」とは即ち(つくり)(ぞめ)の御影なり「等身の御影」とは即ち是れ生御影の御事なり、此の両御影並びに是れ薄墨の()(けん)、五条の袈裟(けさ)なり。

第三に鏡の御影、今鷲巣(わしのす)に在り、亦是れ薄墨の法衣なり。

第四に御書類聚(るいじゅ)に云わく「大聖人薄墨染の袈裟真間(まま)に之在り」。

第五に録外十五(四菩薩造立抄)に云わく「薄墨の染衣一つ、同じ色の袈裟一(じょう)給い候」已上。

第六に阿仏房抄三十一に云わく「絹の染袈裟一つ(まい)らせ候」云云。定めて是れ薄墨なり。

第七に開山上人二十六箇条()に云わく「衣の墨黒くすべからざる事」云云。



                 素絹の服に節度ありにつづく



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by johsei1129 | 2015-02-01 12:02 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)