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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 15日 ( 2 )


2014年 11月 15日

法の本尊を説き明かす二【文底秘沈抄第二】第一本門本尊篇


問う、本尊抄の文古義(こぎ)(らん)(きく)たり。所謂(いわゆる)

一には本迹抄の一に云く「国土世間と十如是と(ただ)開合の異なるが故に竹膜を隔つと云うなり」云云。

二には決疑抄の下に曰く「九界の一念三千と仏界の一念三千と(ただ)竹膜を隔つるなり」云云。
 三には又云く「(のう)()の十界、(しょ)()の国土既に一念に具する故に只竹膜を隔つるなり」云云。
 四には幽微録(ゆうびろく)の四に云く「迹化の内証自行の辺と宗門の()(しょう)と只竹膜を隔つるなり」。 
 五には又云く「十界久遠の曼荼羅(まんだら)と一念三千と只竹膜を隔つるなり」。
 六には又云く「法相に約すれば本有の三千、行者に約すれば一念三千、少分の異なるが故に竹膜を隔つと云うなり」云云。 
 七には日朝の抄に云く「迹門は理円、本門は事円、事理の心地只竹膜を隔つるなり」。
 八には又云く「本門の一念三千之を顕わし(おわ)んぬれば自己の一念三千と只竹膜を隔つるなり」云云。
 九には(にち)(きょう)の抄に云く「迹門には未だ国土世間を説かず、本門には之を説く、此の不同の相只竹膜を隔つるなり」云云。
 十には安心録に云く「一念三千、(ぼん)(しょう)同体なり、迷悟之を隔つること猶竹膜の如きなり」云云。
 十一には啓蒙(けいもう)十八に云く「寿量品の因果国の法相と一念三千の本尊と只竹膜を隔つるなり」云云。
 十二には日忠の本尊抄の抄に云く「十界久遠の上に国土世間(すで)に顕わる、一念三千の法門と只竹膜を隔つるなり」云云。
 十三には(にっ)(しん)の抄に云く「一念三千始めの相違は竹膜の如く、終りの相違は天地の如し、謂わく、迹門の妙法を一念三千と名づくると、本門の妙法を一念三千と名づくると(ただ)竹膜を隔つるなり、若し種熟の流通に約して本化迹化の三千の不同を論ぜば天地水火の如くなり」云云。
 十四には日我の抄に云く「一念三千(ほと)んど竹膜を隔つとは()(じょう)()(じょう)と、事の一念三千と理の一念三千となり、雖近而(すいごんに)()(けん)(たぐい)なり、近き処の事の一念三千を知らざるを竹膜を隔つと云うなり」云云。

 其の(ほか)之を略す云云。 

註解

本尊抄の文とは「一念三千殆ど竹膜を隔つ」の文である。本尊抄の文意は、法華経本門からみれば、迹門と大地微塵の経教の違いは竹の膜ほどだが、さらに文底独一本門から見れば、この本迹二門の相違は竹膜の薄さとなり、変わりがないとの意。

〇古義蘭菊とは、文底独一本門を知らないために、本門と迹門ばかりか一念三千にも迷うこと。十四の我見をもって、独一本門の尊さを知るべきである。

         法の本尊を解き明かす三 につづく

文底秘沈抄 目次

六巻抄 目次



by johsei1129 | 2014-11-15 16:14 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 15日

法の本尊を説き明かす一【文底秘沈抄第二 本門本尊篇一】


第一 本門の本尊篇

 ()れ本尊とは所縁の境なり、境()く智を発し、智(また)行を導く、故に境()し正しからざれば智行も(また)随って正しからず。妙楽大師の()えること有り「仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境に縁ずれば功徳(なお)多し、()し正境に非ざれば(たと)偽妄(ぎもう)無きも亦(しゅ)と成らず」等云々。故に(すべから)く本尊を(えら)んで以て信行を励むべし。(けだ)し諸宗諸門の本尊は処々の文に散在せり、並びに是れ熟脱の本尊にして末法下種の本尊に非ず。

今末法下種の本尊を明かす、()つ三段と為す。初めに法の本尊を明かし、次に人の本尊を明かし、三に人法体一の(じん)()を明かす。
 初めに法の本尊とは、即ち是れ事の一念三千・無作(むさ)本有(ほんぬ)の南無妙法蓮華経の御本尊是れなり、(つぶ)さには観心本尊抄の如し。
 問う、法の本尊を以て事の一念三千と名づくる所以(ゆえん)如何(いかん)
 答う、(まさ)に此の義を知らんとせば(すべから)く迹・本・文底の一念三千を了すべし。

謂わく、迹門を理の一念三千と名づく。是れは諸法実相に約して一念三千を明かす故なり。()の五の(ちゅう)に云く「(すで)に諸法と云う、故に実相即十なり、既に実相と云う、故に十即実相なり」云云。金錍(こんぺい)論に云く云云。北峯(ほっぽう)に云く「諸法は十界十如を出でず、故に三千を成ず」云云。

 又本門を事の一念三千と名づくるは是れ因果(いんが)(こく)に約して一念三千を明かす故なり。本尊抄に云く「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を()でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化以て同体なり、此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり」云云。此の文の中に因果国明らかなり、文句(もんぐ)第十に云く「因果は是れ深事」等云云。
 (いま)事の一念三千の本尊とは、前に明かす所の迹本二門の一念三千を以て通じて理の一念三千と名づけ、(ただ)文底独一の本門を以て事の一念三千と名づくるなり。是れ則ち本尊抄に「(ちく)(まく)(へだ)」と判じ、開目抄に「文底秘沈(もんていひちん)と釈する故なり云云。

 註解

〇熟脱・下種とは衆生が仏法に縁し、悟りを得るまで下種・調熟・解脱の三つに分けたもの。法華文句に説かれる。
 ①下種は仏が衆生に仏に成るべき種子を下すことで仏法に縁した最初をいう
 ➁熟は過去に下種された仏の種子が徐々に成長し、機根が整ってくること
 ③脱は仏種が成長し終って仏の境地を得ること。
 末法の衆生は
(ほん)未有(みう)(ぜん)衆生であ熟脱仏法利益く、文底下種仏法末法衆生利益があ

〇迹門を理の一念三千と名づくとは、この下の事の一念三千とあわせ三重秘伝抄第六にくわしい。

〇金錍論に云わくとは、妙楽大師の「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土」の文である。ちなみに金錍とは金剛錍といい、本来盲人を治すメスのような器具であるところから、迷妄の衆生の眼を開く意をもつ。

〇文底独一の本門とは、前に定めた本迹二門をまとめて迹門と下し、文底独一をもって本門とすることをいう。三重秘伝抄第七第八第九を見よ。

〇「(ちく)(まく)(へだ)つ」とは、竹膜とは竹の中を仕切る膜をいう。観心本尊抄の文。独一本門の高みから見れば、本迹二門の相違など、竹の膜のように隣りあっており、変わりがないという意味。竹膜については秘伝抄第八に日享上人の正鵠な釈がある。

〇「文底秘沈(もんていひちん)開目抄一念三千の法門は(ただ)法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って(しか)も未だ弘めたまわず、(ただ)我が天台智者のみ此れを(いだ)けり」の文。(にち)(かん)上人喝破文底独一本門であ秘伝抄第二


                      法の本尊を説き明かす二 につづく

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by johsei1129 | 2014-11-15 10:41 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)