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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 04日 ( 1 )


2014年 11月 04日

第十に末法流布の大法を示すとは 一 【三重秘伝抄第一】


 第十に末法流布の大法を示すとは

 問ふ、正像(しょうぞう)未弘(みぐ)を結する其の(がん)()如何(いかん)
 答ふ、此れ即ち末法流布を顕わさんが為めなり、今
(しばら)前の()()に対し、更に末法の四故を明かさん。
 第一に自身()()うるが故に、本尊抄に云わく「観音・薬王等又爾前迹門の菩薩にして本法所持の人に非ず、末法の弘法(ぐほう)()らざる者か」云云、本化(ほんげ)の菩薩は(すで)に本法所持の人なり、故に末法の弘法に()ゆるなり。御義口伝上終に云わく「此の四菩薩は本法所持の人なり、本法とは南無妙法蓮華経なり」云云、太田抄に云わく「地涌(じゆ)千界末法の衆生を利益したもうこと、(なお)魚の水に()れ、鳥の虚空(こくう)に自在なるが如し」云云。
 第二には所被の機縁に()るが故に。立正観抄三十八に云わく「天台弘通の所化の機は在世帯権(たいごん)の円機の如し、本化弘通の所化の機は法華本門の直機(じっき)なり」云云。熟脱に渡さず(ただち)に下種の機縁の故に直機と云ふなり。(むし)ろ文底の大法を授けざらんや。
 第三に仏より譲り与うるが故に。本尊抄に云わく「所詮(しょせん)迹化(しゃっけ)他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず、末法の初めは謗法の国にして悪機(あっき)なるが故に之を(とど)めて地涌千界の大菩薩を召し、寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て授与せしめたもう」云云。血脈抄に云わく「我が内証の寿量品とは文底本因(ほんにん)(みょう)の事なり」云云。
 問ふ、仏、迹化他方を(とど)むる証文如何。
 答ふ、即ち是れ涌出品の「
()善男子」の文是れなり、此の文(ただ)他方のみを止むるに似たりと(いえど)も義意は即ち(また)迹化を止むるなり。古抄の中に種々の義ありと雖も之を()ぐるに(いとま)あらず、故に(しばら)く之を略す。

 日享上人註解

○前四故とは、前大段終末の文、自身()故等の四である。

○魚水に練れ鳥自在等とは、魚鳥の身体は其の組織に於いて水に浮び空に()けるに適すべく出来てをる。地涌千界の菩薩も(また)末法の衆生に宿縁厚うして能所の機感相応すること人の陸に魚の水に鳥の空に於いて自在なると同一であるとの祖文である。

○在世帯権の円機とは、釈尊在世の菩薩は円教を聞くに適するも、多くは権乗(ごんじょう)を帯びてをるから円られてる。天台大師の時も(また)(しか)りで法華円教の直機(じっき)は無い。

○熟脱に渡さずとは、本未有善の下種の機には余の熟脱の方便教を(さず)(ただ)下種本因妙大法である。

○我が内証の寿量品とは、釈尊五百塵点劫(じんてんごう)(その)(かみ)久々(くく)遠々(おんのん)元初に、証得衆生本法であ内証である。

○之を(とど)は、迹化他方大菩薩末法妙法弘通せん等が()ない(きら)れた経文である。

○肝心とは、人体中の肝臓の如く、心臓の如くに(もっと)大切題目である。

○止善男子とは涌出品の「()他方国土菩薩摩訶(まか)(さつ)○常()男子護持(ごじ)ず」である。

○古抄の中に有り等とは、(にっ)(ちょう)である。経文に「他方国土諸来菩薩って迹化って迹化(とど)(しょ)(りゅう)であか、迹化存略御経あらうか、煩瑣(はんさ)大局関係本師(ここ)取り上である。


第十に末法流布の大法を示すとは二 に続く

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by johsei1129 | 2014-11-04 22:51 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)