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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 20日 ( 1 )


2014年 10月 20日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】六

【曾谷入道殿許御書 本文】 その六

 夫れ斉の始めより梁の末に至るまで二百余年の間、南北の碩徳光宅・智誕等の二百余人、涅槃経の「我等悉名邪見之人」の文を引いて法華経を以て邪見之経と定め、一国の僧尼並びに王臣等を迷惑せしむ。陳隋の比智者大師之を糾明せし時、始めて南北の僻見を破り了んぬ。唐の始めに太宗の御宇に基法師、勝鬘経の「若如来随彼所欲而方便説・即是大乗無有二乗」の文を引いて、一乗方便・三乗真実の義を立つ。此の邪義・震旦に流布するのみに非ず、日本の得一が称徳天皇の御時盛んに非義を談ず。爰に伝教大師悉く、彼の邪見を破し了んぬ。後鳥羽院の御代に、源空法然、観無量寿経の読誦大乗の一句を以て法華経を摂入し「還つて称名念仏に対すれば雑行方便なれば、捨閉閣抛せよ」等云云。

  然りと雖も五十余年の間、南都・北京・五畿・七道の諸寺・諸山の衆僧等、此の悪義を破ること能はざりき。予が難破分明為るの間、一国の諸人忽ち彼の選択集を捨て了んぬ。根露るれば枝枯れ、源乾けば流竭くとは蓋し此の謂なるか。加之ならず唐の半玄宗皇帝の御代に、善無畏・不空等、大日経の住心品の如実一道心の一句に於て法華経を摂入し、返つて権経と下す。日本の弘法大師は、六波羅蜜経の五蔵の中に第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して争つて醍醐を盗む等云云。此等の禍咎は日本一州の内四百余年、今に未だ之を糾明せし人あらず。予が所存の難勢遍く一国に満つ。必ず彼の邪義を破られんか。此等は且らく之を止む。

迦葉・阿難等・竜樹・天親等・天台・伝教等の諸大聖人、知つて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は、法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明明なり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇して之を信ぜよ。罪根深重の輩は、邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず、且く耳に停め本意に付かば之を喩さん。大集経の五十一に大覚世尊、月蔵菩薩に語つて云く「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、已上一千年。次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固已上二千年。次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云。

 今末法に入つて二百二十余年、我法中闘諍言訟・白法隠没の時に相当れり。法華経の第七薬王品に教主釈尊・多宝仏と共に宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」と。大集経の文を以て之を案ずるに、前四箇度の五百年は、仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ。第五の五百歳の一事豈唐捐ならん。随つて当世の体為る大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す。第五の五百に相当れるか。彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに、後五百歳中広宣流布・於閻浮提の鳳詔・豈扶桑国に非ずや。弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り、其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云。慈氏、菩薩仏の滅後九百年に相当つて無著菩薩の請に赴いて、中印度に来下して瑜伽論を演説す。是れ或は権機に随い、或は付属に順い、或は時に依つて権経を弘通す。然りと雖も法華経の涌出品の時、地涌の菩薩を見て近成を疑うの間、仏請に赴いて寿量品を演説し、分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧奨して云く「悪世末法の時能く是の経を持たん者」と。弥勒菩薩自身の付属に非ざれば之を弘めずと雖も、親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きの由兼ねて之を示すなり。肇公の翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し、右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く、仏日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす。此の経典東北に縁有り、汝慎んで伝弘せよ」云云。予、此の記の文を拝見して両眼滝の如く、一身悦びを遍くす。「此の経典東北に縁有り」云云。西天の月支国は未申の方、東方の日本国は丑寅の方なり。天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや。遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し。今復東より返る猶日の昇るが如し」云云。正像二千年には西より東に流る、暮月の西空より始まるが如し。末法五百年には東より西に入る。朝日の東天より出ずるに似たり。根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云く猶多怨嫉況滅度後と。此の言良に以有るが故に」云云。又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり。何を以て知る事を得ん。安楽行品に云く、末世法滅の時なり」云云。此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか。伝教大師の語は我が時に似て心は末法を楽いたもうなり。大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る。全く第五闘諍堅固の時に非ず。而るに余処の釈に末法太有近の言は有り、定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。

 予、倩事の情を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか。而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に、地涌の大士に前立ちて粗五字を示す。例せば西王母の先相には青鳥・客人の来るにはかん鵲の如し。
 此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし。然れば則ち予所持の聖教・多多之有り。然りと雖も両度の御勘気・衆度の大難の時は、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬誤、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過ぐるの後には、弟子等定んで謬乱出来の基なり。爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す。而るに風聞の如くんば、貴辺並びに大田金吾殿、越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ。涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り、外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云。天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。

  仁王経に云く「千里の内をして七難起らざらしむ」云云。法華経に云く「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」云云。国主正法を弘通すれば、必ず此の徳を備う臣民等此の法を守護せんに、豈家内の大難を払わざらんや。又法華経の第八に云く「所願虚しからず亦現世に於て其の福報を得ん」と。又云く「当に今世に於て現の果報を得べし」云云。又云く「此の人は現世に白癩の病いを得ん」と。又云く「頭破れて七分と作らん」と。又第二巻に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。第五の巻に云く「若し人悪み罵らば口則ち閉塞せん」云云。伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等云云。安明とは須弥山の名なり。無間とは阿鼻の別名なり。国主持者を誹謗せば位を失い臣民行者を毀呰すれば身を喪す。一国を挙りて用いざれば定めて自反他逼出来せしむべきなり。又上品の行者は大の七難、中品の行者は二十九難の内、下品の行者は無量の難の随一なり。又大の七難に於て七人有り。第一は日月の難なり。第一の内に又五の大難有り。所謂日月度を失し時節反逆し、或は赤日出で、或は黒日出で、二三四五の日出ず、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ぜん。又経に云く「二の月並び出でん」と。今此の国土に有らざるは二の日、二の月等の大難なり。余の難は大体之有り。今此の亀鏡を以て日本国を浮べ見るに、必ず法華経の大行者有るか。既に之を謗る者に大罰有り、之を信ずる者何ぞ大福無からん。

  今両人微力を励まし予が願に力を副え、仏の金言を試みよ。経文の如く之を行ぜんに徴無くんば釈尊正直の経文、多宝証明の誠言、十方分身の諸仏の舌相、有言無実と為らんか。提婆の大妄語に過ぎ、瞿伽利の大誑言に超えたらん。日月地に落ち大地反覆し天を仰いで声を発し、地に臥して胸を押う。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王の竜顔を火に入れしも、今此の時に当るか。若し此の書を見聞して宿習有らば、其の心を発得すべし。使者に此の書を持たしめ、早早北国に差し遣し、金吾殿の返報を取りて速速是非を聞かしめよ。此の願若し成ぜば、崑崙山の玉鮮かに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らん。恐惶謹言。

 下春十日      日 蓮  花 押

曾谷入道殿
大田金吾殿

by johsei1129 | 2014-10-20 22:48 | 曾谷入道 | Trackback | Comments(0)