人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ

2014年 10月 19日 ( 3 )


2014年 10月 19日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】五

【曾谷入道殿許御書 本文】 その五

 爰を以て、滅後の弘経に於ても仏の所属に随つて弘法の限り有り。然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。竜樹・無著等は権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設い之を申べしかども纔かに以て之を指示し、或は迹門の一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず。南岳・天台等は観音・薬王等の化身と為て、小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等悉く之を宣べ、其の上に已今当の三説を立てて一代超過の由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳・新訳の三蔵も宛かも此の師には及ばず、顕密二道の元祖も敵対に非ず、然りと雖も広略を以て本と為して未だ肝要に能わず。自身之を存すと雖も敢て他伝に及ばず。此れ偏に付属を重んぜしが故なり。

 伝教大師は仏の滅後一千八百年像法の末に相当つて日本国に生れて小乗大乗一乗の諸戒一一に之を分別し、梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華普賢の円頓の大王の戒を以て諸大乗経の臣民の戒を責め下す。此の大戒は霊山八年を除いて一閻浮提の内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間八宗共に偏執を倒し、一国を挙げて弟子と為る。観勒の流の三論・成実、道昭の渡せる法相・倶舎、良弁の伝うる所の華厳宗、鑒真和尚の渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓の大戒を持たざらん。此の義に違背するは逆路の人なり、此の戒を信仰するは伝教大師の門徒なり。日本一州・円機純一・朝野遠近・同帰一乗とは是の謂か。此の外は漢土の三論宗の吉蔵大師、並びに一百余人・法相宗の慈恩大師・華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空・慧果・日本の弘法・慈覚等の三蔵の諸師は四依の大士に非ざる暗師なり愚人なり。経に於ては大小・権実の旨を弁えず、顕・密両道の趣を知らず、論に於ては通申と別申とを糾さず申と不申とを暁めず。然りと雖も彼の宗宗の末学等此の諸師を崇敬して之を聖人と号し、之を国師と尊ぶ今先ず一を挙げんに万を察せよ。

  弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云く「此くの如き乗乗自乗に名を得れども後に望めば戯論と作る」と。又云く「無明の辺域」又云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く」等云云。釈の心は法華の大法を華厳と大日経とに対して・戯論の法と蔑り、無明の辺域と下し、剰え震旦一国の諸師を盗人と罵る。此れ等の謗法・謗人は慈恩・得一の三乗真実・一乗方便の誑言にも超過し、善導・法然が千中無一・捨閉閣抛の過言にも雲泥せるなり。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す。後漢より唐の始めに至るまで未だ此の経有らず。南三北七の碩徳未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師誰人か彼の経の醍醐を盗まんや。又彼の経の中に法華経は醍醐に非ずというの文之有りや不や。而るに日本国の東寺の門人等堅く之を信じて種種に僻見を起し、非より非を増し・暗より暗に入る不便の次第なり。

 彼の門家の伝法院の本願たる正覚の舎利講式に云く「尊高なる者は不二摩訶衍の仏・驢牛の三身は車を扶くること能ず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教・顕乗の四法の人は履をも取るに能えず」云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言の師に相対するに牛飼にも及ばず、力者にも足らずと書ける筆なり。乞い願わくは彼の門徒等心在らん人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや、大謗法に非ずや、所詮此等の誑言は弘法大師の望後作戯論の悪口より起るか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は、法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め、然る後世尊は霊山に隠居し、多宝諸仏は各本土に還りたまいぬ。三仏を除くの外誰か之を破失せん。

 就中、弘法所覧の真言経の中に三説を悔い還すの文之有りや不や。弘法既に之を出さず、末学の智・如何せん。而るに弘法大師一人のみ法華経を華厳・大日の二経に相対して戯論・盗人と為す。所詮釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉じて之を案ぜよ。

 問うて曰く、昔より已来未だ曾て此くの如きの謗言を聞かず。何ぞ上古清代の貴僧に違背して、寧ろ当今濁世の愚侶を帰仰せんや。答えて曰く、汝が言う所の如くば愚人は定んで理運なりと思わんか。然れども此等は皆人の偽言に因つて如来の金言を知らざるなり。大覚世尊・涅槃経に滅後を警めて言く「善男子・我が所説に於て若し疑を生ずる者は尚受くべからず」云云。然るに仏尚我が所説なりと雖も、不審有らば之を叙用せざれとなり。今予を諸師に比べて謗難を加う。然りと雖も敢て私曲を構えず、専ら釈尊の遺誡に順つて諸人の謬釈を糾すものなり。

【曾谷入道殿許御書 本文】 その六に続く

by johsei1129 | 2014-10-19 22:38 | 曾谷入道 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 19日

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは【三重秘伝抄】

 
第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは、

 経に曰わく、諸仏は世に興出すること(はるか)遠くして値遇すること難し、正使(たとい)世に出づとも是の法を説くこと復難(またかた)し、無量無数劫にも是の法を聞くこと亦難し、能く是の法を聴く者()の人亦復難し。譬えば優曇華(うどんげ)は一切皆愛楽し、天人の希有とする所にして時々一たび出づるが如し、法を聞いて歓喜して讃めて乃ち一言をも発するに至る則は已に一切の三世の仏を供養するなり等云云。

(まさ)に知るべし、此の中の法の字は並びに一念三千なり。

記の四の末の終りに云わく、(けん)(のん)等とは、若し此の劫に准ずれば六四二万なり文。劫章の意に准ずるに住劫第九の減、人寿六万歳の時・留孫仏(くるそんぶつ)出で、人寿四万歳の時・拘那含仏(くなごんぶつ)出で、人寿二万歳の時、迦葉(かしょう)仏出で、人寿百歳の時、釈迦如来出づと云云。是れ即ち人寿八万歳より一百年に人寿一歳を減じ乃至一千年に十歳を減じ而して六四二万等に至る豈懸遠に非ずや。
 (たと)世に出づると雖も(しゅ)(せん)多仏(だぶつ)多宝如来の如きは遂に一念三千を説かず、大通仏の如きも二万劫の間之れを説かず、 今仏世尊の如きも四十余年秘して説かず、(あに)是の法を説く、復難きに非ずや。既に出興懸遠にして法を説くこと亦難し、(あに)容易に之れを聞くことを得んや。縦へ在世に生まると雖も(しゃ)()の三億の如きは(なお)見ず聞かざるなり、況んや(ぞう)(まつ)辺土(へんど)をや。
 故に安楽行品に云わく、無量の国中に於て乃至(ないし)名字をも聞くを得べからず等云云。豈聞法の難きに非ずや。聞法尚爾なり、況んや信受せんをや。応に知るべし、能く聴くとは是れ信受の義なり、若し信受せずんば何ぞ能く聴くと云はんや。故に優曇華に(たと)うるなり、此の華は三千年に一たび現わるゝなり。
 而るに今宗祖の大悲に依て一念三千の法門を聞き、若し能く歓喜して讃めて乃至一言をも発すれば則ち已に一切の三世の仏を供養するに為るなり。

日享上人 註解

○経に曰くとは、方便品比丘偈(びくげ)在り妙法稀有なる(じゅ)である

○無量無数劫とは、劫は劫波の略語で印度国で年期の絶大に長遠なる事に名づけ其れが又小劫中劫大劫等と次第に数字が増上して又其の上に無量又は無数等の多数を示す語が加へられてある、吾が国の人の知り得る億とか兆とかの大数とは飛んでもない桁違ひの想像だも及ばぬ大数である。

○優曇華とは、此れ又印度の理想とも云へる物で世界を統一する転輪聖王出現する時、其の瑞兆(ずいちょう)海中広大である、統一大出現億万年空想であって極々(ごくごく)(まれ)もの妙法容易()てある。

○一切三世仏とは、過去に出で現在に出で未来に出でんとする十方世界の有らん限りの仏の事である。

○記の四の末とは、天台大師が法華経の文々句々を釈せられたが文句(もんぐ)であ法孫(ほうそん)妙楽大師解釈疏記(しょき)である。疏記調二巻つ、其れで「る。

 六四二万とは、六万四万二万の略で次下に(くわ)

○須扇多仏とは、大品般若経にあり住する事半劫で受化の者が無いから法を説かずして入滅せられた。

○多宝如来とは、大論には法を説かずと書いてある、天台大師は此れを解して全く法を説かんでは無い、開三を得れども顕一を得ずと云はれた、顕実即一念三千なる故に今不説と書かれた、又天台は応身にして法を説かざる須扇多、多宝の如きは此の(うん)(じゅん)って二仏慈悲衆生利益(りやく)事無である。

○大通仏とは、化城喩品の中に此の仏出世して諸梵王の請いに応じて十二行法輪を転じ更に十六王子の請いを受け二万劫を過ぎて妙法蓮華経を説くとある、妙法即一念三千であるから今爾か書かれたのである。

○舎衛三億とは、舎衛国は中印度で全印度中に別して釈迦仏に因縁多き仏都であるのに、其の中の三分の一は仏を見て仏の説法を聞いたが、三分の一は仏を見た計りで法を聞かぬ、三分の一は仏を見たことも聞いたこともない、左様に見仏聞法の因縁は難物である。

○像末辺土とは、像法末法は時に約し辺土は処に約す、我が日本国は一般仏教国の上から云へば粟散(ぞくさん)辺土粟粒った小島辺鄙(へんぴ)である、像末悪時辺鄙小国国大印度三億である、大善妙法

○一言を発すとは、今末法の(せん)南無妙法蓮華経であ



                 第二に文相の大旨を示すとは  に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-19 21:54 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 19日

一念三千に十門の義 【三重秘伝抄第一】

 三重秘伝抄           日寛謹んで記す

 開目抄上に曰く、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを(いだ)けり等云云。
 問うて云く、方便品の十如實相・寿量品の三妙合論(あに)一念三千経文の面に顕然(けんねん)なるに非ずや、宗祖何ぞ文底秘沈と言うや。
 答う、此れ則ち当流深秘の大事なり、故に文少なしと(いえど)も義意豊富なり。若し此の文を(あきら)むる(とき)は一代の聖教鏡に懸けて(くも)り無く、三時の弘経(たなごころ)に在りて覩るべし。故に先哲(なお)分明に之れを判ぜず、況んや予が如き頑愚(がんぐ)(いずく)んぞ之れを解るべけんや。然りと雖も今講次に(ちな)みて文に三段を分かち、義に十門を開き略して文旨を示さん。
 文に三段を分かつとは即ち標・釈・結なり。義に十門を開くとは、第一に一念三千の法門は聞き難きを示し、第二に文相の大旨を示し、第三に一念三千の数量を示し、第四に一念に三千を具する相貎を示し、第五に(ごん)(じつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第六に本迹(ほんじゃく)相対して一念三千を明かすことを示し、第七に(しゅ)(だつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第八に事理の一念三千を示し、第九に正像に未だ弘めざるの所以を示し、第十に末法流布の大白法なることを示すなり。

日享上人 註解

○一念三千法門とは、天台智者大師始めて法華経に依って述べられた法門で下の文に委しくす。

○天台智者とは支那の六朝末、陳と隋との世に在って南岳大師に継ぎて天台法華宗を大成した人、祖書の各篇に在るが委しくは高僧伝・別伝・仏祖統記等に見ゆる。

○十如実相とは、仏の窮め尽くされた方便品の十如是の理法は宇宙万法の実相であって衆生の妄想とは大いに異なるもの委しくは下の文に見ゆる。

○三名合論とは、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙を合せて寿量品の上に説かれたもの、一代聖教とは、釈尊一代五十年の間に説かれた(ひい)

○三時弘経とは、釈尊御入滅後、正法千年・像法千年・末法千年の間に羅漢・菩薩・論師・人師次第に出現して機法相応の小大権実本迹等の聖教を述べて衆生を済度せられた、即ち正像末の三時に弘教するの次第順序である、委しくは諸御書に散在する。

○先哲とは、門内門外の古き学者達。

○頑愚とは、事理に通ぜざるカタクナナル、ヲロカモノで本師自らの卑下の御辞である。。

○講次に因んでとは、因とは態とではなく次はツイデである。開目抄を披いて文底秘沈の文を講ずるついでにと云ふのである。

○標釈結とは、(つう)()順序であは「文相よ。

○大白法とは、大とは小に対し白は黒に対す、猶小少劣に対する大多勝・悪邪麁に対する善正妙の如くである。

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは に続く

三重秘伝抄 目次
六巻抄 目次




by johsei1129 | 2014-10-19 10:07 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)