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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 16日 ( 1 )


2014年 10月 16日

末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の肝心を流布せしむ可きと断じた書【曾谷入道殿許御書】一

【曾谷入道殿許御書】
■出筆時期:文永十二年三月十日(西暦1275年)五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:下総の曾谷教信・大田乗明に連名で与えられた書。両人は同じ下総に住む富木常忍の縁で大聖人に帰依し、この三人が中心となり下総国方面の弘教に励まれた。本御書では仏法流布の時「正法・像法・末法」について詳細に説かれ「末法に日本国に於て地涌の菩薩法華経の肝心を流布せしむ可き」と断じている。
尚、現在の中山法華経寺は大田乗明の領地に開基され、富木常忍に送られた「観心本尊抄」はじめ、「立正安国論」など50点以上の御書の御真筆が所蔵されている。
■御真筆:中山法華経寺 所蔵。
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[曾谷入道殿許御書 ご真筆: 中山法華経寺 所蔵(重要文化財)]

[曾谷入道殿許御書]本文 その一

夫れ以れば重病を療治するには良薬を構索し逆謗を救助するには要法には如かず。所謂時を論ずれば正像末教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密・国を論ずれば中辺の両国・機を論ずれば已逆と未逆と已謗と未謗と師を論ずれば凡師と聖師と二乗と菩薩と他方と此土と迹化と本化となり。故に四依の菩薩等滅後に出現し仏の付属に随つて妄りに経法を演説したまわず、所詮無智の者未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与えず悪人為る上已に実大を謗ずる者には強て之を説く可し。法華経第二の巻に仏舎利弗に対して云く「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ」と。又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまわく「此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり分布して妄りに人に授与す可からず」云云。文の心は無智の者の而も未だ正法を謗ぜざるには左右無く此の経を説くこと莫れ、法華経第七の巻不軽品に云く「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」等云云。又云く「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是の無智の比丘何れの所従り来りてか」等云云。又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云。第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。

問うて曰く一経二説何れの義に就いて此の経を弘通すべき。答えて云く私に会通すべからず霊山の聴衆為る天台大師並びに妙楽大師等処処に多くの釈有り先ず一両の文を出さん。

文句の十に云く「問うて曰く釈迦は出世して踟ちゅうして説かず今は此れ何の意ぞ造次にして説くは何ぞや。答えて曰く本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し本未だ善有らざるには不軽・大を以て之を強毒す」等云云。釈の心は寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味の小大・権実の諸経・四教八教の所被の機縁・彼等が過去を尋ね見れば久遠大通の時に於て純円の種を下せしかども諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す然りと雖も、下せし所の下種・純熟の故に時至つて自ら繋珠を顕す。但四十余年の間過去に已に結縁の者も猶謗の義有る可きの故に且らく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。

問うて曰く華厳の時・別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何。答えて曰く彼等の衆は時を以て之を論ずれば其の経の得道に似たれども実を以て之を勘うるに三五下種の輩なり。問うて曰く其の証拠如何。答えて曰く法華経第五の巻涌出品に云く「是の諸の衆生は世世より已来常に我が化を受く乃至此の諸の衆生は始め我が身を見我が所説を聞いて即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云。天台釈して云く「衆生久遠」等云云、妙楽大師の云く「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」と。又云く「故に知んぬ今日の逗会は昔成熟するの機に赴く」等云云。経釈顕然の上は私の料簡を待たず例せば王女と下女と天子の種子を下さざれば国主と為らざるが如し。

問うて曰く大日経等の得道の者は如何、答えて曰く種種の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず、但し所詮彼れ彼れの経経に種熟脱を説かざれば還つて灰断に同じ化に始終無きの経なり。
而るに真言師等の所談の即身成仏は譬えば窮人の妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し、王莽・趙高の輩外に求む可からず今の真言家なり。
 此等に因つて論ぜば仏の滅後に於て三時有り、正像二千余年には猶下種の者有り、例せば在世四十余年の如し、根機を知らずんば左右無く実経を与う可からず。
 
 今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して、権実の二機、皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。
 
 而るに今時の学者時機に迷惑して或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか。
 殊に真言宗の学者迷惑を懐いて三部経に依憑し、単に会二破二の義を宣ぶ、猶三一相対を説かず即身頓悟の道跡を削り、草木成仏は名をも聞かざるのみ。
 而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶・月氏より漢土に来臨せし時、本国に於て未だ存せざる天台の大法盛に此の国に流布せしむるの間、自愛所持の経弘め難きに依り、一行阿闍梨を語い得て天台の智慧を盗み取り、大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る。
 然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の弘法・慈覚の両大師之を弁えずして信を加う、已下の諸学は言うに足らず。
 但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまえり。然れども未だ分明ならず、所詮・善無畏三蔵・閻魔王の責を蒙りて此の過罪を悔い不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し、天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり。

【曾谷入道殿許御書 本文】 その二に続く




by johsei1129 | 2014-10-16 00:33 | 曾谷入道 | Trackback | Comments(0)