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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 08日 ( 2 )


2014年 10月 08日

聖人は千年に一度出、仏は無量劫に一度出世し給ふと説いた書【日女御前御返事】

【日女御前御返事(法華経二十八品供養事)】
■出筆時期:弘安元年六月二十五日(西暦1278年) 五十七歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書の対告衆は池上宗仲の妻とも、松野殿後家尼の娘、持妙尼とも言われてるが確かではない。いずれにしても大聖人の法門についても深い理解のある敬虔な信徒であったことは本書を与えられていることからも十分推察できる。内容は、日女御前が法華経二十八品の各品それぞれの供養のための品々を送られたことに対し、大聖人は「但事にはあらず」と語り、日女御前の信徒としては前代未聞の法華経に対する深い信仰に打たれ、宝塔品(法華経・見宝塔品第十一)に説かれている宝塔は「日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」とまで言い切り、強く称賛されている。
■ご真筆: 千葉本寿寺、他五箇所に分散されて所蔵されている。
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[日女御前御返事 ご真筆]

【日女御前御返事(法華経二十八品供養事)】本文

 御布施七貫文送り給び畢んぬ。属累品の御心は仏・虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしののすすきのごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞくとひざをつめよせて頭を地につけ、身をまげ、掌をあはせ、あせを流し、つゆしげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ。譬えば悲母の一子が頂のかみをなづるがごとし。爾の時に上行乃至・日月等忝(かたじけな)き仰せを蒙りて、法華経を末代に弘通せんとちかひ給いしなり。薬王品と申すは昔喜見菩薩と申せし菩薩・日月浄明徳仏に法華経を習わせ給いて、其の師の恩と申し法華経のたうとさと申し、かんにたへかねて万の重宝を尽くさせ給いしかども、なを心ゆかずして身に油をぬりて千二百歳の間、当時の油にとうしみを入れてたくがごとく身をたいて仏を供養し、後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし法華経を御供養候き。

されば今法華経を後五百歳の女人供養せば、其の功徳を一分ものこさずゆづるべし。譬えば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし。妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり。昔の雲雷音王仏の御代に妙荘厳王の后浄徳夫人なり。昔、法華経を供養して今妙音菩薩となれり。釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して、末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云。

 観音品と申すは又普門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候。此を観音品と名づく。後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり。此を普門品と名く。

 陀羅尼品と申すは二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり。二聖と申すは薬王と勇施となり。二天と申すは毘沙門と持国天となり。十羅刹女と申すは十人の大鬼神女・四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是なり。鬼のならひとして人を食す。人に三十六物あり。所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり。而るに下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。上品の鬼神は精気を食す。此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり。鬼神に二あり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき。此を答ふべき様は一には善鬼なり。梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨を食す。二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて法華経を修行する人を食す。善鬼が法華経の怨を食ふことは官兵の朝敵を罰するがごとし。悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし。例せば日本国に仏法の渡りてありし時、仏法の敵たりし物部の大連・守屋等も疫病をやみき。蘇我宿禰の馬子等もやみき、欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども、外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども、仏と法との信はうすく神の信はあつかりしかば、強きにひかれて三代の国王、疫病疱瘡にして崩御ならせ給いき。此をもて上の二鬼をも今の代の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬをも心うべし。されば身をすてて信ぜん人人は、やまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし。又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべし。例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろびぬ。

 又日本国の一切の真言師の悪霊となれると・並に禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり。又梵釈・日月・十羅刹の眷属・日本国に乱入せり。両方互に責めとらんとはげむなり。而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給いて候へば、一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候に、法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して真言師が法華経を読誦し候は、かへりてそしるにて候なり。又余の宗宗も此を以て押し計るべし。又法華経をば経のごとく持つ人人も、法華経の行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり。例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり。父が我がいとをしきめをとり、母が我がいとをしきおとこを奪ふとも、子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり。何に況や父母にまされる賢王に背かんをや。何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや。何に況や出世間の師をや。何に況や法華経の御師をや。

 黄河は千年に一度すむといへり。聖人は千年に一度出ずるなり。仏は無量劫に一度出世し給ふ。彼には値うといへども法華経には値いがたし。設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は頭七分に破れん」云云。

 今、日本国の者去年(こぞ)今年の疫病と去(いぬる)正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり。聖人の国にあるを・あだむゆへと見えたり。師子を吼る犬は腸切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり。日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ。又半分は死しぬ。今一分は身はやまざれども心はやみぬ。又頭も顕にも冥にも破ぬらん。罰に四あり総罰・別罰・冥罰・顕罰なり。聖人をあだめば総罰一国にわたる。又四天下・又六欲・四禅にわたる。賢人をあだめば但敵人等なり。今日本国の疫病は総罰なり、定めて聖人の国にあるをあだむか。山は玉をいだけば草木かれず、国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。

 設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし。設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき。日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし。此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。誰の人か此の功徳をば計るべき。設ひ父母、子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか。日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方、一切の仏の中には阿弥陀仏、一切の行の中には弥陀の名号、此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり、一向なる人もありしに、某去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間、遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深を立て、近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に、上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず。或は師師に問い、或は主主に訴へ、或は傍輩にかたり、或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国・郡郡・郷郷・村村・寺寺・社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様・法華経叶ひがたき事・諸人のいみじき様・日蓮わろき様を申す程に・上もあだみ下も悪む。日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ。かう申せば日本国の人人、並に日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり。此は仏法の道理を信じたる男女に知らせんれうに申す、各各の心にまかせ給うべし。

  妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり。妻が夫をすすめたる品なり。末代に及びても女房の男をすすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし。いはうや此は女房も男も共に御信用あり。鳥の二の羽そなはり、車の二つの輪かかれり、何事か成ぜざるべき。天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さき菓なるべし。

 次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども、迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如し。此は小乗経の仏なり。又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり。而るに一代超過の法華経八箇年が間、十方の諸仏・菩薩等・大地微塵よりも多く集まり候しに、左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事なり。而れども妙荘厳王品をとかれて、さておはりぬべかりしに、東方・宝威徳浄王仏の国より万億の伎楽を奏し無数の八部衆を引率して、おくればせして参らせ給いしかば、仏の御きそくや・あしからんずらんと思ひし故にや、色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうをねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと・ことにねんごろなるべきと申すにや、めでさせ給いけん。返つて上の上位よりも、ことにねんごろに仏ほめさせ給へり。

 かかる法華経を末代の女人、二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす但事にはあらず。宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給いぬ。此の宝塔品はいづれのところにか・只今ましますらんと・かんがへ候へば、日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候。例せば蓮のみに蓮華の有るがごとく、后の御腹に太子を懐妊せるがごとし。十善を持てる人太子と生んとして后の御腹にましませば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す。法華経・二十八品の文字・六万九千三百八十四字・一一の文字は字ごとに太子のごとし、字毎に仏の御種子なり。闇の中に影あり人此をみず。虚空に鳥の飛跡あり人此をみず。大海に魚の道あり人これをみず。月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず。而りといへども天眼は此をみる。

 日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり。日蓮又此をすいす。あらたうとし、たうとし。周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑは・ひが事ありしかども、根本の功によりてさかへさせ給ふ。阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間・位を持ち給いき。当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾も持つべしとはみえねども、故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじくて暫く安穏なるか。其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。

  此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり。我等は何れをも信じたりと云云。日蓮つめて云く、代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしは・いかに・不便・不便。而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり。此の功徳をもてる人、一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。

六月二十五日                    日蓮 花押
日女御前


by johsei1129 | 2014-10-08 20:57 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 08日

御本尊は我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはすと説いた【日女御前御返事】

【日女御前御返事(本尊相貌抄)】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279年) 八月二十三日 五十八歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:池上宗仲の妻で強信徒であった日女御前に宛てられた御書。おそらくこの頃、大聖人はご日女御前に本尊をご下付なされたものと思われる。それに対し日女御前がご供養の品々を送られ、大聖人はそのお礼とともに、ご下付された御本尊は「仏(釈尊)滅後二千二百二十余年未曾有の大曼荼羅である」と説くとともに、ご図現された御本尊の相貌の意味について詳細にしるされている。また「この御本尊全く余所に求る事なかれ、只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはします」とご自身の法門の深い内証を解き明かされている。
■ご真筆: 現存しない。

[日女御前御返事(本尊相貌抄)] 本文

御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候い畢んぬ。抑此の御本尊は在世五十年の中には八年・八年の間にも(妙法華経)涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕れ給はんをや。又顕すべき人なし。天台妙楽伝教等は内には鑒(かんが)み給へども故こそあるらめ言には出だし給はず。彼の顔淵(がんえん)が聞きし事、意にはさとるといへども言に顕していはざるが如し。然るに仏滅後二千年過ぎて末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由経文赫赫たり明明たり。天台妙楽等の解釈分明なり。

爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比(ころ)はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり。されば首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神、総じて大小の神祇等・体の神つらなる。其の余の用の神豈もるべきや。宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云。此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて、本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる。是を本尊とは申すなり。

経に云く「諸法実相」是なり。妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云。又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云。伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文。此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり。仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。

かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く、険難の処に強力(ごうりき)を得たるが如く、彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり。相構え相構えてとわり(遊女)を我が家へよせたくもなき様に、謗法の者をせかせ給うべし。悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり。

 此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之に依つて曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云うは天竺の名なり、此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり。此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。

 日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし・たのもし、如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり、仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云く「仏法は海の如し唯信のみ能く入る」と。弘決の四に云く「仏法は海の如し唯信のみ能く入るとは孔丘の言(ことば)尚信を首(はじめ)と為す、況や仏法の深理をや信無くして寧ろ入らんや。故に華厳に信を道の元・功徳の母と為す」等。又止の一に云く「何が円の法を聞き円の信を起し円の行を立て円の位に住せん」弘の一に云く「円信と言うは理に依つて信を起す信を行の本と為す」云云。外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽ちに冰り李広父の讎を思いしかば草中の石羽を飲む」と云えり。所詮・天台妙楽の釈分明に信を以て本とせり。彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立波こほり行くぞかし。石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり。何に況や仏法においてをや。法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり。此の事伝教大師入唐して道邃(どうずい)和尚に値い奉りて五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ。神力品に云く。委くは又又申す可く候、穴賢穴賢。

弘安二年八月二十三日 日蓮 花押
日女御前御返事




by johsei1129 | 2014-10-08 01:11 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)