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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 02日 ( 1 )


2014年 10月 02日

法華経本門・寿量品の智慧をはなれては諸経の得道は有名無実なり、と断じた書【小乗大乗分別抄】二

[小乗大乗分別抄]その二

 又、世間の天台宗の学者並びに諸宗の人人の云く、法華経は但二乗作仏・久遠実成計りなり等云云。今反詰して云く、汝等が承伏に付いて、但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎつて諸経になくば、此れなりとも豈奇が中の奇にあらずや。二乗作仏諸経になくば、仏の御弟子・頭陀第一の迦葉、智慧第一の舎利弗、神通第一の目連等の十大弟子、千二百の羅漢、万二千の声聞・無数億の二乗界、過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつらずば、永く色心倶に滅して永不成仏の者となるべし。豈大なる失にあらずや。又二乗界、仏にならずば、迦葉等を供養せし梵天・帝釈・四衆・八部・比丘・比丘尼等の二界・八番の衆はいかんがあるべき。又、久遠実成が此の経に限らずんば三世の諸仏、無常遷滅の法に堕しなん。譬えば天に諸星ありとも、日月ましまさずんばいかんがせん。地に草木ありとも大地なくばいかんがせん。是は汝が承伏に付いての義なり、実をもつて勘へ申さば、二乗作仏なきならば九界の衆生、仏になるべからず。法華経の心は法爾のことはりとして、一切衆生に十界を具足せりえば、人、一人は必ず四大を以てつくれり。一大かけなば人にあらじ。一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・一微塵にいたるまで、皆十界を具足せり。二乗界、仏にならずば、余界の中の二乗界も仏になるべからず。又、余界の中の二乗界、仏にならずば余界の八界、仏になるべからず。譬えば父母ともに持ちたる者、兄弟九人あらんか二人は凡下の者と定められば、余の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母の如し。九界の衆生は実子なり。声聞・縁覚の二人、永不成仏の者となるならば、菩薩・六凡の七人、あに得道をゆるさるべきや。「今此の三界は皆是我が有なり、其の中の衆生は悉く是吾子なり。乃至、唯我一人のみ能く救護を為す」の文をもつて知るべし。
 
 又、菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす。第一衆生無辺誓願度の願、成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず。前四味の諸経にては菩薩・凡夫は仏になるべし、二乗は永く仏になるべからず等云云。而るをかしこげなる菩薩も、はかなげなる六凡も共に思へり、我等仏になるべし、二乗は仏にならざれば、かしこくして彼の道には入ざりけると思ふ。二乗はなげきをいたき、此の道には入るまじかりし者をと恐れかなしみしが、今法華経にして二乗を仏になし給へる時、二乗、仏になるのみならず、かの九界の成仏をもときあらはし給へり。諸の菩薩、此の法門を聞いて思はく、我等が思ひは、はかなかりけり爾前の経経にして二乗仏にならずば、我等もなるまじかりける者なり。二乗を永不成仏と説き給ふは、二乗一人計りなげくべきにあらざりけり。我等も同じなげきにてありけりと心うるなり。

[小乗大乗分別抄]その三に続く

by johsei1129 | 2014-10-02 19:31 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)